夏の夜の惨劇
いつか、いつかその日がやってくることはわかっていた。
だけどそれは今日でなくてもよかったはずだった_____
プロローグ
4歳と2歳、体力無限の男児たちを1日ワンオペ育児した夜のことだった。
灼熱の日差しが降り注ぐ中のブルーベリー狩り、自分の食べ物は飲み込むようにしてすませる昼食。HP残り10くらいになった後からの屋外遊び…
そうだ、いつものようなそんな1日だ。
縦横無尽に走り回り、触ってはいけないとされるものをご丁寧に全て触り、入ってはいけないとされるスペースに笑顔で蹂躙。警備員からは怒られ、累計100回は鬼の形相で子どもたちの名前を叫びまくる。
思考能力が低下し、兄弟の名前を何度も呼び間違える。
そんな、いつものような何ともない1日だった。
そう、あいつに遭遇するまでは_____
出逢い
昼寝もしてないくせに全く寝るそぶりを見せない長男。
次男は何が楽しいのだか、大声でABCの歌を歌いながら1人で爆笑している。Cがうまく発音できずに、エービーチーになってしまうところがえらく可愛いが、それすら笑えないくらいに一刻も早く寝て欲しい。
そう、私は疲れている。
疲れているのだ。
真夏のワンオペ育児。ただでさえ毎年落ちていく体力を、責任感やら義務感やら愛情やら、色々含めて「気力」という言葉で乱暴に括った感情で補って生きている。
ギリギリである。
寝て欲しい。
一刻も早く。
リビングでアイスを食べながら「僕のヒーローアカデミア」の続きが観たい。
だから、次男の「ティー(お茶)飲みたい」という突然の指示にも笑顔で応えた。
お茶飲んで寝てくれるんなら、お安い御用よ!
私は「はい!」と元気に返事をして、勇んでキッチンのある1階に向かった。
その時である。
通り過ぎた足元に違和感があった。
第六感が振り向けと言っている。いや、振り向きたくない、だが、振り向かねばいけないと…
……………Gだ。
……1度目を背ける……息を呑んでもう一度目線を戻す
………やっぱりGだ。
私が世界一、生理的に受け付けない生物Gである。
後悔…そして焦燥
なぜ。なぜこんなことになった。
1階玄関の2階建の家に住むことになった時点で、私は数々の対策を講じてきた。
今までのマンション暮らしとは違う。
下層に飲食店でも入っていない限り、マンションのそこそこの階数ならばGと遭遇する確率は至って低い。
しかし、今回の家は地続き。
鉄壁の守りを固めないといけないことは明白だった。戸建てで育ってきた私の経験が言っている。
そしてそれは、成功していたはずだった。
なぜならこの家に住み始めて3年___つまり、3回もの夏を私は奴らと対峙することなく過ごしていたのだ。
完全勝利
既に眼中に奴らのことはなかった。
そう、私は圧倒的に油断していた。
「根こそぎ断絶」「巣ごと駆除」そんな甘い文句に安易に踊らされていた。
___あの、あのディフェンスラインを超えてきただと___?
毎年恐るべき量のドラッグを家中に配置しているというのに。あの、あのトラップを安安と抜けてきただと___?巣ごと滅びてないだと___?
にわかには信じられなかった。
だが、目の前に鎮座する黒い物体は紛れもない事実だった。
私は焦った。
冷静さを欠いていることはわかっていた。だが、もう自分を保つことができずにいた。
Gだ!!!!Gがでたぞ!!!
私は大声でそう叫び、今まで「静かにしなさい」「しーっ」「大声出さないの」「喋らないで寝なさい」と言い続けてきた子どもたちを、その慟哭で叩き起こした。
そして服を脱いだ。
履いていたショートパンツ型のパジャマを脱いだ。
これから長い夜が始まる。
戦いに備えるためである。
万が一、万が一にも彼らから襲撃を受けたとき、あらわにした肌にでも攻撃をされようもんなら、私の心は瞬時に崩れ落ちる。
それだけは避けねばならない。
ヒーローアカデミアでもファットガムが言っていた。
「心まで折れたらホンマに負けや」と。
間違えて踏んだ時のために靴下も履いた。最悪の事態はこれで免れる。
マジでそれは最悪だが、靴下は捨てるので問題ない。私は私の精神をギリギリ保てるだろう。
対決
私は急いで1階に降り、武器を探した。
数日前に届いた荷物の段ボールが目に入った。
_____これでいく。
深く息を吸って、一気に物体に向かって腕を振り下ろす。
1___2___3度ほど。
かすりもしない。
全くもって無意味な素振りだ。
私は自分の極端な運動神経の悪さを、混乱のあまり忘れてしまっていた。
悔しいが、俊敏な動きで有名な奴である。反射神経勝負は戦う土俵にも登っていない。
だめだ、これじゃダメだ。
落ち着いて、落ち着くんだ。考えろ。考えるんだ。
食器用洗剤?いや、あんなリーチの短いもので攻撃する勇気はない。
外構用の箒?
だめだ、絶対に仕留める自信がない。
そうだ!確か、あそこに…!
そう、私が仕込んでいたのは毒薬だけではなかった。この3年一度も奴に遭遇していなかったが、念には念をいれてG用の撃退スプレーを購入していた。
それも2本も。
私は小さくガッツポーズを決めた。
要らないかな?と思ったが、あの時これをカゴにいれた自分の行動を褒め称えたい。
2つを1秒で見比べ、より効果の強そうな「Gを凍らせる」機能を持った缶を手にした。
これからまた遭遇したとしても、きっとこっちの缶を選ぶだろうから、じゃあもう一つは永遠に出番が来ないではないかと思ったが、それでも何故か「2つもある」ことが心細さで折れそうな自分の心を支えてくれるような気がした。
私は再度奴に挑んだ。
なんたって「凍止」である。絶対に勝てる。
着替えた長ズボンと靴下だけでなく、上半身も守るためにバスタオルを盾にしながら、私は勢いよく凍結スプレーを噴射した。
___当たった。しかし浅い。逃げる
子どもの保育園バッグの裏側に奴は逃げ込んだ。
長男が涙目になりながら私の傍らに立っていた。
ここで私は「大丈夫だよ、ママがやっつけるからね」というべきだった。映画なら絶対にそのセリフしか出てこない。
ただ、何度も言うが奴は「世界一、生理的に嫌いな生物」である。
ミミズもカエルも昆虫の幼虫も触れる私が、それを持ってしても、その名前を聞くだけで全身震えるくらいに嫌いな生物なのである。
口から出た言葉はこうだった。
「無理、ママほんと無理。怖すぎる。無理」
もう心が負けとるやないかい。
ファットガムのツッコミが飛んできそうである。
長男も錯乱し泣きながら「K(私の妹の夫)の家に行った時、Kはティッシュの箱で叩いたんだよ」と何故か謎のtipsをこのタイミングで教えてきた。
その情報をもらってももはやどうしようもない。段ボールで無理な私が、ティッシュで叶うわけがないではないか、息子よ。
ああ、もう逃げたい。
このまま子どもたちを連れて近くのホテルでも取って1晩過ごすのはどうだろう。
もしくは夫が帰ってくる0:30まで待つのはどうか。
いや、しかしここで奴を見逃したら最後。
私はずっと奴の存在に怯えながら暮らしていかないといけない。
やるしかない。
殺るしかない。
私はスプレー缶を強く握りしめ、Gの隠れているバッグを揺らした。
奴は勢いよく飛び出し、階段の方に逃げた。
そして姿を消した。
………消えた…だと…?
そんなわけがない。
その動きをこの目でずっと捉えていたのだ。見逃すわけがない。
しばし考えた結果、一つの仮説が浮かび上がった。
階段の死角…
階段のそれぞれの天板がやや大きいため、上から見るとその数cmのスペースが死角になるのである。
奴が身を隠すには十分な大きさだ。
その仮説が正しいかどうかは、一度自分が下に行って確認するしかない。
しかしそれには、奴がいるかもしれない階段の真上を超えていく必要がある。
_____無理だ。できない、私にはできない_____
いきなり奴が動き出したら?私の動きが読まれていたら?
パニックに陥った私は母親として最低なことをした。
「長男くん、行ってよ」
泣きながら私の横にいる彼に、そう言ったのだ。
「ねぇ、虫好きでしょ?好きだよね?」目にそんな圧をこめながら。
長男は「ヤダ!怖い!できない!」と全力で拒否。
そして、この期に及んで息子を利用しようとした母の心の弱さを見透かし、泣きながら「パパ…パパがいたらよかったのにぃ」と言った。
それは誰よりも私が思っている。
なぜ、何故夫の帰りが遅い今日に限って…!
「そうだよね、スマン。ママ、頑張るから」
折れそうな心を何とか持ち直し、長男の肩に手を置いてそう言った。言いながら全く覚悟のできていない自分を客観視してまた震える。
事態を把握できていない次男は「次男もこわいー」と言いながら、何故か楽しそうに私と長男の周りをうろちょろしている。
祭りではないぞ。
しょうがない、これが母になるということだ。
どんな時も子を守らねばならぬ。
私は意を決して階段を降りた。そして振り返ると…
奴がいた。
仮説は当たっていた。2段目の階段の下に身を隠していた。
姑息な奴め…
それじゃあ私の1段目を中心に仕掛けた追加攻撃はきいていなかったというのか…!
しかし、もう姿を捉えたらこっちのもんだ。
私は子どもたちに「危ないから下がってな」とさっきまで子を生贄にしようとしていたことなど忘れたかのような台詞を吐き、スプレーを噴射した。
奴はしぶとい。
普通「凍止」なんて物体を吹きかけられたら動けないだろう。だが奴は違う。
ガンガン動きながら私に迫ってくる。
バルサン並みの煙を出しながら私は噴射を続ける。
タオルを持っていたことが功を奏した。口元を押さえ、その絶対に身体に悪いであろう何かを、極力吸い込まないようにできた。
私が轟焦凍なら、こんなやつ一撃なのに。
無個性に産まれてしまったばかりに、この頼りないスプレーに頼らなければいけない。
だかしかし、それでも今の私の最大の武器…
闘いの末に
長い夜だった。
気づけば私は全身汗だくだった。
抵抗を続けたやつは、最終的に踊り場でひっくり返った状態で凍りついた。
動かなくなってからも、ダメ押しで1分くらいはスプレーを振り続けた。
こ、今度こそ…勝った…
一部始終を見守っていた子どもたちのところへ駆け寄り、私は泣いた。
「ママ…ママやったよ…!」
長男は泣きながら私を抱きしめ「ママ…!頑張ったね」と頭を撫でてくれた。よくわかってない次男も抱きついてきて、それはアベンジャーズの映画のラストシーンのように感動的だった。
そして、もう寝かしつけの手間も不要だった。
緊張が解けた子どもたちは何も言わずとも、すっと眠りに落ちた。
私はGを片付けられなかったので、夫に返ってきたら捨ててくれとお願いするLINEを送った。
ちなみに一部始終を説明すると、夫は爆笑していた。
笑い事ではない。笑い事ではないぞ。早く帰ってきてくれ。
学び
私は普段、割と冷静な人間である。
次男が救急搬送されたときも、「私が取り乱せば、長男に伝染する」と即座に意思決定して、終始落ち着いて対処した。
長男は混乱することも、ぐずる事も、泣く事も、ふざけることもなく私の指示に的確に従って行動した。
3歳とは思えないような動きだった。
大事だということは察していたのだろう。
反して今回、私が大きく取り乱したことで、長男は泣きながら「長男くん、Gこわい!動き早いから!いっぱいいるから!」などと言いながら終始怯えていた。
非常に申し訳ない。ひとえに私の責任である。
やはり親が狼狽えるのが1番よくないのである。
今、ウォーキングデッドの最終シーズンを観ているのだが、もしもゾンビに襲われたら絶対に子どもの前では気丈な親でいようと誓った。
パニックが1番怖い。パニックは何もいい結果を産まない。
だがしかし、またもや奴が現れた時、私はやはり冷静でいられる自信がない。
よって、明日は薬を追加購入だ。
ディフェンスラインを組み直す。
これがまず私にできる精一杯の抵抗である。
エピローグ
そういえば、昔バリ島に旅行に行った時に部屋に南国サイズの大きなGが出現した。
私と友人は叫び逃げながらフロントに電話をして、その旨を伝えた。
するとすぐに少女が部屋にやってきた。
14.5歳くらいの南国ガールである。
いやいや、お嬢さん。あなたの出る幕じゃないって!
そう思った私の期待を0.1秒で裏切る早技で、彼女は奴を撃退した。
そう、素手で__
そして最高に可愛い笑顔で「okok!」と言いながら、ティッシュに奴をくるみ、部屋に捨て去っていった。
色々言いたい事があったが、驚きすぎて
いや、部屋に捨てんでくれ…
としか呟けなかった。
あなたが出会った最強の人物は?と問われたら、彼女を真っ先に選択肢にいれるだろう。
私も強くなりたい。
彼女…までは強くならなくていいけど、もう少し強くなりたい。
ヒーローアカデミア…私も入れますかね…
どんな時も負けないヒーローに…
ああ、私は今なりたい。
※ヒロアカ知らない人には何のことだかわからないネタばかりで失礼いたしました
本代に使わせていただきます!!感謝!