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自分を責めるな、色を出せ

昨日気づいたことがあった、その気づきは長年感じていた。心や体、感覚の違和感を振りほどいてくれるような、すがすがしくもちからづよい、ありがたいものであった。

ぼくは長年自分のことを責めてきた、なにか悪口やひどいことを言われても我慢をして、ひとの愚痴に良く付き合って、自分だけが楽しんでいるのはいけないと、喜ぶことに臆病な自分ですごしてきた。

そのせいかコンプレックスが至る所に張り付いて、行く先々で気をつかい、消耗し、我慢し、疲弊していた...。

安心したかったのだけれど、どうすればそうなるのか、わからないし。今までのじぶんでなくなることがとても恐ろしくもあり、仕方なしに日々をやり過ごしてきた。



そうだそうだ、昨日気づいたことだった。昨日おもったのは「自分をじぶんで追いつめないでいい」ということ。人に対しても、自分に対しても、以前はひどく責めていた心のなかがぐちゃぐちゃで、じぶんを責めずにはいられなかった。

昨日は精神的にしんどかったので、苦しんでいる自分をいたわってあげればよいのに、そこでもこんな状態はいけない、こんなくだらないことを考えてはいけない、はやく元気にいならないと、などなどを考えて苦しんでいた。

そこで思ったのだ、

「自分のことは責めなくていい」と。



一見何でもないように感じる人もいるかもしれない、けれどそのことに気づいてから、じぶんを責め、他人を責めている自分を客観視できるようになった。「あっ、またやってるやってる」と(笑)

心のなかは誰にも見えない、自分でさえよくわからないものだ。自分がどんな人間なのかも、ほんとうの自分がどんなものなのかもわからないけど、シンプルに思った。

自分を生きているのだから、やはり自分自身には素直であるべきだと思う。何かを着飾って、誰彼なしに人に合わせて、人生の迷路に迷い込むより、自分の人生の主人公になればいい。

なぜなら、せっかくの一度きりの人生であり、二度と今は戻ってこないのだから。



誰かになる努力を重ねて、成功を目指すより自分を大切にした方がいいと思う。誰かに勝つことより、自分を大切におもって、じぶんを責めないこと、そして許すこと。

が、たいせつな気がしている。自分を傷つけるのは他人のことばというより、そのことばをどのように受け取り、どの部分の自分の中に取り込むかということだとおもう。

よい話もあるし、きかないほうがいい話もある。がんばって全部聞いて、相手の機嫌を取って、自分がぶれて・・・、では何も始まらない。「わたしはこう思います」「相手と自分はちがうんだ」「相手の立場もあるな」と考えたりして見る。



責めることは何も生まない、自分にとっても相手にとっても。生産的でないし、苦しいだけだ。でもやはり自分のことや相手を責める人はいると思うし、こう書いてもなかなか変われないものだ。

ぼくもそうだった、じぶんを責めることにある種の快楽すら感じていた。おそらく深い罪悪感があったのだろう、罪を償うように、相手に許してもらえるように。責めてせめて、責めまくった・・・。

その末わかったのだけど、「やっぱり責めることは何も生まない」「ただ自分を傷つけているだけであり」「自分を守る自己防衛だと」。そう思って、じぶんを責めることに終わりを告げようと思うようになった。



そんなわけで、ぼちぼち自分と付き合っていく、無理しないで誠実に。そんなふうに向かい合っていこうと。

また新たな扉が開かれた、勇気をもって、いま踏み出そうとしている。

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