しあわせを求めて歩む旅。コロナがあっても、変わらぬしあわせ、安心感。
しあわせの定義は人それぞれだと思います。何がうれしいのか、なにが喜びなのか、しあわせは色々だと思います。絵を描いている時間が、たまらなく好きだったり、写真を撮ることに喜びを感じる人がいたり、人との会話に幸せの泉がわく人も、いろいろですね。
しあわせはとはいったいなにか、ちゃーんと考えたことがありますか? 向き合ったことがありますか?
心がうれしいと幸せですね。でもそのように感じていても、その喜びは瞬く間に、そのことを終えると消えてしまいます。
それはまるで、ろうそくのロウが溶けてなくなると、同時についていた炎も、パッと消えてしまうように。
何かをしていて幸せというものがありますが、人の中には変わらない、さきほどの炎のように消えることのない幸せがあることを僕は感じます。
行為とともにある幸せではなくて、生命の喜びであり、永遠の幸せが。
それは自分が何かできたから感じるわけでもなく、反対にできないと凹んで元気を失ったら、スーッと消えてしまう幸せでもありません。
魂という存在について、意識したことがありますか?
ふつうはあまりない、というかそのものが、ある or ない?、のかもわからないのではないかと思います。一発入魂、魂の叫びとは言われるものの、魂を感じずに生きてきた人のほうが、大多数でしょう。
そう書きつつも、僕自身、魂のことについてはっきりと意識したのは、きょうがしょにちです。
しあわせについて考える上で、欠かせない要素なのだと今日、パッチリ目が覚めるように、感じました。
心と体のみで生きているのではない。魂も、その中でとっても確かで重要な役割をしていくれている。そう、考えたのではなく、体感しました。
魂というのはいままでちゃんと感じたことはなかったものの、生命であり、コア、中心軸のような。
心は揺らぎますが、魂は不動なのです。
このコロナがあり、大雨があり、また事件や事故、問題やトラブルが入り乱れ伝えられる世の中においても、魂はずーっと変わらない幸せで包まれている。安心が、そこにはちゃーんとあった。
病気をしようが、家族ともめていた時期があろうが、苦しい幼少期だったこともあり、いろいろごたごたしていた時期があったけれど、その時代も魂はきっと、ここにあって、支えてくれていたのかと思うと、
心から「ありがとう」と伝えたくなります。
世の中も変わる、自分も周りも変わっていく。けれど、その変化のなかにあっても、揺れない存在、大丈夫な存在に出会えたことは、かけがえのないこと。とても、意義深いこと。
note のスキの数や、お金とかの数字、誰と付き合っているか、生い立ちがどうか、いまの仕事は?
とか、そういうものではないところにある、深い幸せと出会えたことで、より一生目覚めが進みました。
Good job!!
物質的な生き方ではなく、本質により目覚め、生きているから生かされているへ。
エゴから、コンパッションへ。無知から光へ。
また人生いろいろ起きるでしょう、揺れることもあるだろうけど、たぶん大丈夫です^^
だって、本当の自分(=魂くん)がいてくれるから、それに魂くんはたくましいから。
それでは、今日はこの辺りで。
またお会いしましょう。
では。