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【旅日記】芸術はみんなの居場所である

北海道に渡って2週間が経った。
函館から札幌、旭川、釧路と時計回りにぐるりと回って十勝まで来た。
今日はおいしいごはんと芸術、美しいものにふれる一日だった。
感動を忘れないうちに綴っておく。


昨夜は道の駅で一泊して、今日の朝9時、開店と同時にドラッグストアに入ってピンセットを購入し、トイレにこもって昨日からくっついてきているマダニと1時間あまり格闘した。

結局マダニの歯を完全に摘出することはできなかったが、11時にランチを予約していたのでマダニは諦めてお昼ごはんへと向かった。

ここ「かっこう料理店」は友だちにおすすめされていて、ずっと行きたかったお店。3日前に予約の電話をしたときにはすでに満席で断念しざるを得なかったのだが、その翌日偶然、今日の11時の枠にキャンセルが出たため、運よく行くことができた。

駐車場から少し歩いて森の小道を抜ける。
テーブル4つとカウンターの小さなお店だ。
ランチのみの完全予約制で1時間毎2組まで。
ランチメニューは基本的にコースのみ。
ぼくはやさいごはん(2000円)をオーダーした。

先付けの寒天寄せにはじまり、地元の旬の野菜をふんだんに使ったサラダ、それからフライやだし巻きたまごが乗った野菜料理プレートがでてきて、土鍋炊き込みごはんとみそ汁、そして最後は抹茶とスイーツまででてくる。これで2000円って、どうなってんだ!

料理はどれもこれもそれはそれはおいしかった。地元の旬の野菜を中心に仕入れられた何種類もの食材は、それぞれに適した調理方法で下ごしらえされ、一皿にわさっと盛られる。味をつけるということより、味を引き立てることに力が注がれているような料理だった。

ひとくちひとくちゆっくり味わう。どの野菜しっかり素材の味をもってるのに、みんなお皿の上で合わさっても喧嘩せずちゃんとひとつにまとまっていた。盛り付けもごちゃ混ぜなんだけどぐちゃぐちゃに見えないのがすごい。

料理は煮る、焼く、湯がく、蒸すなど、いわゆる基本的な調理方法やその応用が軸になっているようだった。そこにちょっとした創作がいいアクセントを加えている。創作が主張して素材の味を消してしまうようなことはなく、そこのさじ加減が絶妙だったと思う。

野菜たちはこんな料理をしてもらえたらうれしいだろうし、ぼくもそんな料理ができるようになりたいと思った。シンプルなんだけど、茹で加減とか塩加減とか、料理の基本がほんとにしっかりしていて、プロだなぁとしみじみと感じた。

美しいやきものを作るとしても、基本のろくろの技術がしっかりしてるのが前提で、それで最後にちょっと歪ませていい味を出したりする。ここの料理もそんな感じがして、そういう意味でもこういう料理は民藝的な美しさを秘めているよなぁと思った。

きっと根っこにあるのは利欲ではなく、野菜のおいしさをおいしくいただくんだという野菜への愛情なんだろうなということがひしひしと感じられて、なんて芸術的で美しい料理なんだ!と思った。そして、その料理のあり方を貫いているオーナーもかっこいいなと思った。

だって、たぶんしようと思えばがんばってもう少し値上げしたり、予約枠を増やすこともできると思う。そうすればもっと収入もあがる。でもそうしないのは、忙しくして文字通り心を亡くしてしまわないように、自分のしたい料理をすることを大事にしているからなんじゃないかと思う。

おいしいって美しい味って書くけど、まさにそんな言葉がぴったり当てはまるような料理。こんなに料理で感動したのはひさしぶりな気がする。おいしすぎてマダニのことなんてどうでもよくなった。ごちそうさまでした。

器も良すぎた

午後はお店の近くにあった「六花亭アートヴィレッジ」に行ってみた。広い敷地の中に森やら芝生やら丘やらがあって、その森の中とか丘の向こうとかに小さな美術館が点在している。しかも全部入館無料。

中でもぼくが特に気に入ったのは、丘の向こうにあった「真野正美作品館」だ。真野さんの絵は水彩画なんだけど切り絵?ってくらいくっきりしている。だけど水彩ならではの柔らかいグラデーションもあって、色も切り取る景色も美しい。写真を撮りたかったけどそれはNGだった。

だからもしあなたが北海道に行くことがあれば、ぼくは「かっこう料理店」と「六花亭アートヴィレッジ」のセットをぜひ推奨したい!それは自信を持って幸せを保証できるハッピーセットである。


今日は1日の間にこんなに美しいものに触れてしまっていいのかというくらいに美しさに浸った1日だった。人間にとって欠かせない芸術。でも生活に必要最低限のものではないとも言われる。これは一体なんなんだろうか。

美しさは心の居場所のような感じがする。自分にとって心地のいい大切な居場所。home。これは正しさによってできていくものとも少し似ている気がする。自分の持つ正しさは自分にとっての安心できる居場所のような存在になるという意味で。

しかし正しさは他の正しくないものを否定していく中で確立されていくことが多いから、正しさと別の正しさはしばしばぶつかり合って争いになったりする。正しさは自分の大切な居場所でもあるから、お互いに否定されたくないのだ。

それに対して美しさは、そんなにぶつかり合ったりしない。他人が美しいと思ったものに共感できなくても「君のその感性は間違っている!、」とはならない。その人が美しいと感じればそれは美しいのだ。と思うと、芸術はみんなの居場所や!!とか、今日はそんなことを考えた。

柳宗悦は「美しさは自然さ」ともいうが、 まさにそれだなぁ!と思う。ぼくが心から美しいと感じるものは、つくり手とものとの自然な関わりから生まれていると感じるし、受け取り手の美しいなと思う気持も、そこに感じるみんなの居場所のようなあたたかさもまた、自然そのもののようなのだ。

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