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他人の幸せを願えることの幸せ

先日、私の友だちが結婚して結婚式では証人をさせてもらいました。この友人は私が6年前、初めてノルウェーに交換留学に来たときに文化交流のパートナーになってくれた子でそれからずっと仲良くしてもらっています。私が結婚したときには証人をしてもらいました🥰一緒にいるだけで自然と笑顔になれる素敵な友だちです。
友だちの結婚相手はベトナム系のアメリカ人で彼もとても面白くて優しい人です。

ウェディングドレス選びから誘ってもらってこれもかわいい、あれもかわいいと目移りしながら街中のドレス屋さんをまわって一緒にとびっきり素敵なドレスを見つけました👰

ドレス選びの時から、もう目がウルウルしっぱなしで心もずっとウキウキしていたのですが、式の当日純白のドレスに身を包んで現れた友だちが美しすぎて表情が幸せすぎて、世界中から集まった親戚や友だちにお祝いされている様子がただただ夢の世界のようで私は式の間中ずーっとニヤニヤがとまりませんでした。

素敵な食事にケーキ、スピーチや歌、新郎新婦のダンスで笑い泣いたあと、夜の2時まで家族や友人と喋り踊り明かし、夢のような一日を過ごしました。

みんなが幸せな空間にいるというのはすごく気持ちのいいものだなと思いました。もちろん大好きな友だちが幸せなのは嬉しいのですがそれ以上に私の知らない周りの人たちもみんな幸せで笑顔で心がとっても暖かくなりました。

人って本来、周りの人が幸せだと幸せになれると思うんです。他の人の幸せが自分の幸せ。

それなのになぜか最近の世の中は自分より不幸な人をより不幸にしたり、他の人の幸せを素直に喜べない、そんな雰囲気を感じます。

最近みた日本の記事でアフリカ出身の方が病気で母国にも帰れないが、日本では生活保護を受けられない、というものがありました。
その記事のコメントには母国に帰れ、外国人に医療費を使うな、自己責任だ、のような罵詈雑言が溢れかえっていました。
私もノルウェーに住む外国人の身。私がもし病気になって日本にも帰れない状態になったときにネットでそんなふうにたくさんのコメントを書かれたら耐えられないだろうなと思い、とても悲しい気持ちになりました。

あとは最近のLGBT法案の話題についても、ものすごく差別的な考え方をする人を多く見かけてとても心がつらいです。私には人と人が愛し合い、結婚する、そのことがどうして問題になるのかが分かりません。トランスジェンダーについても、どうしてそんなにも身体の性で女性と男性をはっきり区別しなくてはいけないのか分からないのです。そもそも女性も男性も同じ人間であって、みんな一人ひとり自分らしく生きて、お互いを尊重し、違いを認め合うことが出来れば男女差別も生まれないし、ジェンダーの問題も起きません。そうしたらみんな幸せになれるのにどうして差別の対象をわざわざ作り出してしまうのか。自分より不幸な人間がいないと気が落ち着かない、そんな人間の性を感じてしまいます。

私は聖人君子ではないし、嫌なことをしてくる人に対して不幸を願ったこともあります。でも、不幸を願うことで自分も一緒に不幸になってしまうように思います。

難しいことはわかっていますが、私が結婚式で感じたような幸せ空間が、世界中に広がることを夢見ています。

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