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緑地帯 映画監督へ(中国新聞にて) 3話 森ガキ侑大

大学3年の秋になり就職活動が始まった。映画監督になりたかった僕は、東京の映画会社に片っ端から電話したが、監督の採用予定がないことを知る。
 いったいどうすれば映画監督になれるのか―。なり方が分からなくて悩んだ。「映画監督になるには」という本を西区のアルパークの本屋で買ったこと今でも忘れない。そして悩んだ末に分かったのは、有名な映画監督の中にはCM監督からスタートした人もいるということだった。尾道市出身の故大林宣彦監督もその一人だった。
 単純な僕は、そこから急にCMに興味を持つようになる。フジテレビの土曜プレミアムという映画番組の合間に流れる、指輪や腕時計、酒のCMに魅了されていたことに改めて気づき、心動かされるCMが身近にあることを意識したのだった。そして僕は大きくかじを切り、広告業界への就職活動を始めたのだった。
 しかし、時すでに遅し。都内の大手制作会社の採用はほとんど終了していた。地方に目を向けると「福岡の広告業界が熱い」という記事を見つけた。
 そして福岡なら広島からも近いし、食べ物もおいしそう。街の規模も広島に近い。そんな理由で福岡の広告制作会社を就職先に選んでいた。そして福岡で一人前のCM監督になることができたら、東京に進出して映画監督になる―。そんな夢を佐伯区五日市のコイン通りでお好み焼きをほお張りながら、一人妄想していた。
 福岡の広告制作会社に採用された僕は胸の高揚感を抑えることができないまま大学を卒業するのだった。(映画監督=広島市出身)

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