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【エッセイ】“謙虚”になること

週明けの朝の少し憂鬱な気分のなかで───。

歩きながら顔を上げて
朝の光を額で受けとめると
少しあったかくなって
あらためて目が覚めてくるような感覚になった。

道端のベンチに荷物をおいて、
傍にある花壇の花をしゃがみこんで撮影しているおばさんが目にとまった
時間が止まったような空間の中で
お花畑の中にいるような空気が流れている
しばらく歩いたあと、僕も思わず立ち止まって
道端にある草花に目を落として眺めていた──────


すれ違う人たち。
あらためて意識すると、僕よりも年下の人がほとんどのように感じる
気がつけば、戦前なら平均寿命といわれた歳になり──

若い頃、まわりの人を意識しまくって
やみくもに競争し、出し抜こうとしていた自分を思い出していた


その頃の自分とおなじくらいの歳の人たちは
今この瞬間に同じような感覚で生きているんだろうか?
そんなことを考えながら
いつもの道を踏みしめながら歩いている──


ひととして成長することとはなんだろう?
「感謝」の心を忘れずに、言葉に出して笑顔でいること。
「感情」を押し殺して、無欲無心な聖人になること。
「自己啓発」という言葉で自分に暗示をかけ、いろんなテクニックや知識をつけ自分のメンタルを防衛することなのか?

ましてや僕は、とにかく”謙虚” になることが苦手で
自己中心的なキャラを前に出すことを自信に変えてきた人間だ。

ひとのことばかり気にして
表面的に謙虚になっているひとばかり目について
そんな風になりたくないと思い続けてきていた。


そんなことを考えながら歩いていると──────


週明けの朝の少し憂鬱な気分のなかで───

すれ違う人たちが昔の自分一人ひとりに見えてきたように感じて

歩きながら顔を上げて
朝の光を額で受けとめると
少しあったかくなって

自然と”謙虚”な気持ちになれたような気がした。



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