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料理人のマルケージ氏から学んだ事

ふと思い出した話なのですが・・・

現代イタリア料理の重鎮に「グアルティエーロ・マルケージ」という人がおりました。イタリア初のミシュラン三つ星を取った人で2017年87歳で没。最晩年まで活動的に料理に関っておられました。

マルケージ氏は、洗練されたシンプルな料理を現代的でアーティスティックなプレゼンテーションで出す人で、現代イタリア料理において、その影響は計り知れません。今では当たり前になっている料理も、マルケージ氏が始まりだったものが幾つかあります。

今回は私の若い頃、マルケージ氏の厨房で修行していた人の体験談を料理雑誌で読み、それが大変参考になったという思い出話です。

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・・・ある時、マルケージの厨房に若い料理人が入って来た。(マルケージが料理人として有名になってしばらく経ったぐらいの頃だと思います)

若い料理人は、有名なマルケージの料理だから大変凝った複雑なものとか捻りに捻った調理法やレシピなのかと思っていたら、全くシンプルなものだったので、

「え?たったこれだけ?」

と、思わず口走ってしまったそうです。

その時それを聞いたマルケージは

「そう。たったこれだけ。私はここに到達するのに20年かかった」

と言ったそうです。

それは、現代の様々な文化や料理の影響を受けつつ伝統的なイタリア料理を現代的に再構築し、現代的なプレゼンテーションで提供する料理で、ただ伝統に則した料理を出しているわけではないし、モダンなら何でもアリでもない。その独特のシンプルさは紛れもなくマルケージの料理なのです。

このお話は、若かった当時の私に、大変良い教訓を与えました。

例えば日本の伝統に関わる事をする場合、日本のように長い伝統を持つ国の文化は広く深いですから、そのなかのどこに自分の居場所があるのか、分からないものです。最初は皆目見当がつかない・・・というぐらいに迷子になります。

長い歴史のなかでは大変な才能を持っている人が数多く出ますし、技術面でも高度な技術を代々練り上げ、人間技とは思えないような高いレベルの仕事に昇華し、それを安定して制作出来るレベルに到達している工房もあります。

伝統というのは、いい加減なものや伝説や嘘も多いですが、本当の伝統はものスゴイもので、創作性でも技術面でも、個人の力では太刀打ち出来ません。

現代人として色々な事から影響を受け生活している自分と、自分が属する文化圏の伝統の太く大きな流れ・・・自分の居場所はどこにあるのか?自分の創作の起点はどこなのか?と自らに問うと、

「伝統・現代・自分の性質の“関係性”から見い出したもの、それが私の創作だ。私はそれしか出来ないし、それは他の人には出来ない」

という結論になり、それをやるしかない、という事になりました。

(しかしそれは、私個人というよりも、普遍的意味合いにおいてそうだと思います)

ですから、私の制作するものはだいたい賛否ありますが

「そう、これが私の作品です」

と確信を持って言えるわけなのです。

私にはそれ以外に出来ませんし、やりようも無いのですから。

(ヘッダー写真は、自分で作ったリゾットミラネーゼ。マルケージはここに金箔を飾ります)


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