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絵画と文様の違い

芸術とデザインの話はこのnoteに書いた事がありますが
(下のリンクの記事の、中頃あたりからその話題になっています)

以下のリンクでは「工芸品と芸術品の違い」などを書いております。

が、「絵画と文様の違い」の話題は書いた事が無かったので書いてみました。

例えば、絵画なのに文様みたいな絵を描く人がおります・・・例を挙げればマティスや熊谷守一の絵は、作品によっては平面的で文様みたいな感じがあります。

また、マティスや熊谷守一の絵は、デザイン素材としても大変素晴らしく汎用性があります。しかしだからといって、それらの画家の絵が「文様と同じ」という事にはなりません。

なぜなら、彼らの絵は彼ら自身が描いたものでないと(あるいは複数人で手掛けたとしても本人指揮の下で描かれたものでないと)ニセモノになってしまうからです。本人しか、それを生み出す事が出来ないのです。それ以外は全てそれよりも劣っているか、ニセモノという事になります。ですからそれは間違いなく「絵画」です。

時に旬を過ぎた芸術家の作品、あるいは優れた芸術家であっても駄作であるなら、良く出来た贋作の方が作品としては素晴らしく、その贋作に美が宿る事は起こります。しかしそれは本物ではないのです。それはあくまでも贋作に宿った美であって、ようするに「嘘」があるわけです。(美は人間の都合とは無関係に条件が揃えば顕現する)

「文様」の場合は、特に伝統文様の場合は「誰が描いても最低そこそこのレベルにはなりサマになる」「誰が描いてもニセモノとはならない」特徴があります。

それどころか、色々な人が同じ文様を描きながら、その文様に描いた人のレベルを底上げし、かつその人の個性が乗ります。古典文様という地盤のお陰で描く人の個性を開花させてくれさえします。伝統的な名曲を演奏するのと似ています。上手くないアマチュアが演奏してもそれはそれで楽しめますし、上手いプロが演奏すればそれは素晴らしい音楽となる・・・

特に伝統文様は、多くの人にとっての公用語のような存在なので、皆がその伝統文様という公用語を使い、自分の語りたい事を語るのです。文様は絵画と違って、そういう面での「公共性」を根本に持っています。

誰かが新しく起こした文様を他人が盗用したものの場合は、まだその文様を描いた人の創作的余熱があるので真似した感じがありますが、それでも絵画の盗用のような「明らかなニセモノ臭」はしませんし、オリジナルよりも素晴らしいものが生まれる事もあります。新しく誰かが制作した文様を盗用した場合に問題になるのは経済的問題と著作権問題などの権利問題であって、変な言い方ですが、文様の場合は、ちゃんと真似されたものはニセモノ臭がしないのです。

文様には文化を作り出すための基礎のような性質があります。皆がそこに参加出来るのです。

ですから、多くの人がそこに関わる事が出来ます。

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もちろんこれは「絵画と文様のどちらが優れているか」という話ではありません。特性の話です。人為と人工物は全て等価です。



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