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当事者になったら避けるのが自然だと思う

例えば、私が主に軸足を置いている和装染色などの「滅びゆく伝統工芸系」を社会の人々が是非残すべきだ、守るべきだとおっしゃるのは、本心だと思います。

が、実際には和装に限らず伝統工芸品は、日常生活でほぼ必要とされていないので、伝統工芸の維持に関する事に社会の人々の興味感心はあっても具体的な保存のための行動はなかなか起こりませんし、自分がリスクを背負ってまで直接そのようなものと経済的に関わるのは避けるものです。それは当然です。

そもそも、支援してもらいたい側が「支援したい人が、気軽に支援出来るシステムを提供していない」わけですし。

伝統的な和装染色を行っている私でも、職人製の素晴らしい道具、工芸品、衣服を日常生活のメインの道具としては使っていません。伝統的工芸品を使用して生活するのは手間がかかるからです。また、それはとても高価です。使用するにしても、それはあくまで趣味の範囲においてです。それは昔のように必需品ではありません。(人によっては、それは精神的な必需品である、という事はあります)

例えば、私のような世襲ではない、支払い済みの固定資産の無い、所属が無く社会的に、経済的に信用の無い、新規参入者が伝統工芸を生業としてやるとなると、収入が極めて不安定であると見なされ(事実そうですが)住居や仕事場を借りるのが大変にむづかしいという事実があります。(自営業者は伝統系に限らずそういう信用を得るのが大変ですが)

もちろん、金融機関にも相手にされません。どうにか売上が立つようになったとしても、あまりにも売上が小さいからです。

これらの問題には、本当に苦労しました。

仮に、滅びゆく伝統工芸を支援すべきだと普段熱弁を振るっている賃貸物件のオーナーさんであっても、収入が不安定で明日をも知れない工芸家と経済的に直接は関わりたくはない、自分が貸す部屋で取りっぱぐれがあっては困る、そう考えるのは当然です。

「こんなご時世に、伝統工芸を生業にしている人なら、是非応援したい、家賃など気にせず、是非住居として、仕事場として、ウチを使って欲しい」

なんて事は無いのです。

近い親族ならまだしも、他人なら当然です。そりゃそうだ。大家さんは全く悪くない。

(作家さんによっては、ほぼ無償で仕事場を提供されたりする事もあるようですので、全く無いわけではないですが)

だから「あるべき論としては」伝統工芸や伝統芸能、その他伝統文化を守るべきだ、と考えてはいても「自分がリスクを背負い直接関わる当事者になるなら支援は出来ません、もっとお金のある人とか、国とか自治体が支援すべき事」となるわけです。

しかし日本は日本独自の新しい科学や技術や文化、自国の伝統文化の維持や発展・・・ようするに「文化文明に対するチャレンジを支援する地盤が薄い」傾向がありますので(自治体によって違いますが)支援は官民問わず、あまりありません。あっても、条件が大変厳しく得るのは相当むづかしいです。

そうなると、仕事の良し悪しは関係なく「上手く」世襲で継いでいるところ、親や親族がスポンサーになってくれている人だけが残ることになります。しかしそれでも代々続けていれば、それが伝統という事になります。(その代わり、文化下落が起こります)しかし、世襲だからといって継いで行くのは簡単ではありません。

これは新規参入であろうと世襲であろうと同じですが、制作者が事実として、どんなに良い作品を作ろうが、文化的に良い活動をしていようが、経済的な優位性が無ければ、あるいは無くなれば社会から淘汰されるのです。(経済的な優位性には、社会的な権威なども含まれます)

小説やドラマだと、素晴らしい仕事をしているのに社会から認められない人は同情され応援されますが、現実の社会では本当に良い仕事をしているなら必ず認められるものだ、経済的に潤っていないのはそいつがたいした事をしていないか、ニセモノだからだ、と社会の人々から認定される傾向があります。

そういう一般社会に認められるのに必要なのは「権威からのお墨付き」です。だから、多くのつくり手は「〇〇工芸会」などの正会員になりたいわけです。

なので、そのような制度も必要ではあるのです。

いろいろ書いておりますが、これは別に誰かを批判するために書いているのではありません。上記は、一般社会生活において当然に体験する事です。

誰も悪くはありません。

また、今の時代が特別に悪いわけではありません。

人間は経済のなかに生きているのですから、そういう面から先に崩壊が始まり、その文化が滅びるのは自然です。お金のために伝統文化が滅びて良いのか?と良く言われますが、人間は社会的動物であり、文化は人間社会のものですから経済的価値が無くなったものは消えるのが摂理なのです。

その伝統文化に観光資源としての魅力があれば、違う路線で生き残る事は可能ですが、しかしそれは表層のみの保存であって、内容は変わってしまう、あるいは無くなる事になります。

そのような事はどこにでも起こる事で、自然な事なのだと思います。

産まれ出たものは、いつか消える、というだけの話で、特別な事ではありません。

だから伝統文化を維持するには「どこかの誰かが理解してくれない・保護してくれない」と嘆くのではなく、そういう「繰り返されてきた歴史」を前提に「ではどうするべきか?」を考える必要があるように思います。

それでダメならしょうがないじゃん。

そこまでがその文化の寿命だったんだよ。


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