料理のレシピと譜面は似ていますね
一見、違うようですけども、似ているのです。
キチンと譜面を読める人なら、当然、譜面を読むだけで、メロディーや曲のイメージはだいたい把握出来ます。
そこに、演奏する際の楽器構成の指定や、その他細かい指定などがあれば、さらに具体的にその曲を頭の中に構築出来ます。
しかし、実際に演奏するとなると、そこからが始まり、というぐらいに試行錯誤が必要になります。脳内のイメージを自分の感覚にしっくり来るように具現化するというのは、それほど手間暇がかかるものです。(その処理の速度は速い人も遅い人もおります)脳内に鳴っている音を具現化するのは難しいのです。
その際に、演奏する人、指揮をする人によって、全く同じ曲であってもかなり出来上がり具合が変わります。それが、その演者の個性になります。
料理のレシピもそうです。
プロなら当然レシピを観ただけで、一般の人よりもかなり精度高く想像出来ますが、ただ使う食材や調味料の量だけが書いてあるのを読んだだけでは「こんな感じだろうな」という所までしか分かりません。
「オレの調理手法で、この食材と調味料の分量ではこういう味になるな」
というシュミレーションはかなり正確に出来ますが、そのレシピを書いた人は、具体的にどういう考えでその料理のレシピを書いたのか?までは分かりません。
そこに、手順が入ると・・・例えば何かの肉をソテーしてつくる料理だとして、ビネガーを先に入れるのか、後に入れるのか、2度に分けて入れるのか(その他その他)・・・となると「なるほど、こういう系統の味わいだろうな」と、量だけのレシピよりはかなり具体的になります。
そこでそのレシピを書いた人の、その料理に対する考え方はかなり分かりますが、それでもまだピントは合いません。
なので結局、そのレシピの背景を確認した上で、自分の感覚に合うように調整する必要が出てきます。また、料理のレシピの場合は、レシピ自体が完璧とも限らないものです(調理環境によっても変わるので)その補正も必要になります。
読譜が出来るプロや、レシピを読めるプロですらそうなのですから、アマチュアの人が、楽譜をもらった、レシピをもらった、というだけで、それが出来るようになるわけがないのは当然です。
例えばバッハの無伴奏チェロ組曲を、名演奏家と、難しい箇所以外どうにか通しで弾ける素人が弾いたら「まるで別物」になりますよね。全く同じ楽譜で同じ音を、楽譜の指定通りに弾いているのに。
全ての精度と深さが違うからです。
「その曲の良さを最も活かす演奏法そのものが、その演者本人の個性を最も発揮出ている状態。その両者に分離が無い状態」
というところまで持って行くのが名演奏家です。
・・・といった具合に、どの分野でも一流プロは掘り下げ方が違います。
なので、料理で言えば、一流プロはレシピが分かれば「その料理と同じものが簡単に出来る」とは考えていません。
だから、例えば伝統工芸などで後継者が絶えて一度失伝してしまうと、細かく制作方法の記録が残っていても、昔の高いレベルのものに簡単には戻れない、あるいは完全に失ってしまう事になるのです。
全く同じように作った(つもり)形は似たようなものが出来た(と思う)しかし「実質的には別物」が産まれてしまうのです。
「まだ制作現物を知っている人が残っている」場合は、再現の可能性がありますが・・・料理も同じですが、その実際の味を知らなければ、誰も観たことの無い幽霊の絵を描くようなものになってしまうのです。また、その味を体験した人であっても、過去の記憶はあいまいなものですから、それが正しいとも限りません。
料理なら、レシピの間にある「加減」やその料理の「味そのもの」はレシピや資料には残せないのです。それは人が人に直接教える必要があります。
陶芸家の魯山人は、料理のレシピを沢山残していますが(レシピといっても食材と調味料とザックリとした調理手順と調理上の注意点だけで、分量などはほぼ書いてありません)魯山人が良しとした味は現代では分からないのです。その当時の食材や調味料の味が不明だから、同じ手順でつくってもそれが「魯山人のその味」なのかは分かりません。現代人が受け取れるのは「その料理に対する考え」だけになります。
私がある有名イタリア料理店のコックの一員だった頃、私の後に入ってくる若い子が、やたらにレシピを知りたがるので、やる気があるのかな?と思い、私が苦労してまとめたレシピ帳を写させてやると、翌日から来なくなるなんて事がありました。少なくない数、そういう若い人がおりましたね。
そういう人たちは「レシピが分かれば同じ料理が出来る」と思っていたようです。
この子たちにとっては、料理ってそんなものなんだなあ、と思ったものです。
ところで
ウチの工房では、弟子が入ると、工房の給食をつくる手伝いをさせます。
慣れると、ひとりで作らせます。
それは、染色の仕事において、大変役に立つからです。
染色の仕事は、作品の始まりから出来上がりまで、そしてそれを実際に使っていただくまでに時間がかかりますから「制作→制作の結果」を把握するのに時間がかかりますが、工房給食でつくるような料理なら、30分から1時間で「制作→制作の結果」を確認出来るのが良いのです。
例えば、私が作った料理を、キチンとレシピも段取りも教えて弟子に作らせてみる。
全く同じようにやっても、同じ味にはならない。それは技術の無さ、段取りの悪さ、あらゆる面でです。何よりもつくるのが遅い。その時点で同じようには出来ないのです。レシピが同じでも「必要な速度と精度」が無いとダメなんですね。
そういう経験から「全く同じレシピで作っているのに、全然ああいう味にならない」という現実を知るわけです。
それが、とても良い経験になります。
「ああ、レシピを知っただけでは話にならないんだ・・・その内容と精度と、加減と・・仕上がりと、さらに食べてもらった時に相手に何が伝わっているのかまで、分かっていなければならないんだ・・・」
という事を知るのが、とても良い学習になります。
それは染色や、その他作品を制作し、社会に発表し、生きて行く際のサイクルと同じなのです。
それを料理だと短いサイクルで繰り返し体験出来るわけです。
だから、ウチでは弟子は給食を作らされるのです。染色の修行の一貫として。
私は料理人の頃、シェフと全く同じレシピで作っているのに、シェフの料理のような「抜けの良さ」「華やかさ」「キレ」が無く、微妙にこもった感じに仕上がるのに悩んだ事がありました。
もちろん、お店に出して問題の無いレベルのものではあるのですが、とにかく「素材が開花していない感」「明快さの無さ」は、未熟な自分でもわかるのです。当然、シェフからは「にへーの料理はこもってっからなあ(笑」といじられていました。
くやしくていろいろ試行錯誤しましたが、やっぱりヌケ感が出せない。
ある日、たまたまシェフが気まぐれに私が担当していた料理をつくった事がありました。
それで私は後ろから観ていたのですが、そこで原因を発見出来ました。
「ああ、全ての精度が違うんだ」という事です。
例えば
適切な多さに切ってある事(プロの精度での適切さです)
キチンと香りが出るまで加熱する事
キチンと、しっかり色がつくまで炒める事
ソテーならソテーとして、キチンと強火で調理して、肉なら肉の表面に必要な状態を作っておく事
などなど(その他沢山)・・・
当時の私は「適切の手前」だったり「適切から過ぎていたり」・・・「あいまいを積み重ねていた」から、出来上がった料理が寝ぼけたような感じになっていたわけです。分かってみれば当たり前の事です。(プロレベルでの微妙な違いです)
シェフの料理は「適切な加工を積み重ねていった結果」で出来上がった料理だったのです。
それは、沢山のレンズで構築されたカメラのレンズに光が通っていく様子と似ています。
カメラのレンズの設計自体が良く(←料理のレシピの完成度)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
全てのレンズに適切な加工がされていて、透明度が高い状態になっている(←調理の加工精度)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
ピントや絞りを撮影意図に合わせて「加減」をし(それぞれの加工の微妙な加減)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
そこに光が通り
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
それがフィルムやセンサーに定着され「キレイに写った写真」となる(←それぞれの料理人の個性が出た料理)
といった具合です。
その際に、どれかひとつのレンズが曇っていただけでも写真はぼやけてしまうのです。まして、何枚かのレンズが曇っていたら・・・お話になりません。
それを思い知った私は、シェフがやっているような精度と適切さをもっと意識して調理するようになりました。
ようするに、基礎の底上げと、意識改革をしたのです。
そうしたら、シェフの作るような料理のキレや抜け感が出てきたのです。
ああ、抜け感の無さ、キレの無さには、ちゃんと原因があって、才能や個性の話では無かったんだ、と思い知ったのです。
そこで、一流プロの凄さを思い知りました。
もう一つの例を・・・私はコーヒーの自家焙煎のお店で働いていた事があったのですが、そこでもマスターが淹れたものと、私が淹れたものでの「コーヒーの味わいの華やぎの差」に悩まされました。
それも、結局、上に書いた精度の違いと、加減の微細さの違いが原因でした。
だから、料理に詳しい人ほど、プロほど「レシピを知ったからといって簡単にマネは出来ない」と知っています。テレビドラマのようにちょっとレシピを盗み見た程度で同じものが出来るなんて事はありません。レシピを盗んだ後、かなり試行錯誤します。プロですら簡単ではないのです。
私がついていたシェフが
「おめえら、秘密のコツなんかがあって、それを知れば出来るようになるとか思ってっかも知れないが、プロに秘密のコツなんてねえよ!」
「プロに偶然なんてねえよ!」
と私たち下っ端に良く説教していたのを思い出します。
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