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私自身は、手描き、手書きに全くこだわりません

私は、仕事で「手描きの文様染、手作りの工芸品、その他手作りの創作品」を制作し、販売しておりますが、私自身が生活のなかで使うものや飲食物は、手作りである事、純粋な天然もの、完全無添加である事に全く頓着ありません。

もちろん、素晴らしい手作り品は大好きですが、しかし「イマイチな手作り品なら、良く出来た工業製品の方が好き」です。

私は単純に「モノの質しか観ない」ので「手作りという事自体には価値を置かない」・・・そんな感じです。

例えば、ダメな作家ものの器なら、100円ショップや、業務用の大量生産の器の方が全然好きで、実際にそういうものも良く使います。

飲食物でも、今ひとつ美味しくない天然無添加手作りでかつ高価なものなら、量産品で気の利いた味わいの廉価な食品の方をチョイスする、という事です。キチンと安全が確認されているものなら、添加物も問題にしません。

もちろん、天然で完全無添加の手作り品で、非常に美味しく、その方法でしか出来ないものなら、欲しいと思えば高価でもそちらを選択します。

そもそも、機械生産、デジタル系のものでも、その機械やシステムを産み出し、運用しているのは人間ですから、それも人間が作ったものです。だから、手作りであるという事自体には特別な価値は無いと私は考えるのです。

仕事で関わる事の多い着物関係で例えるなら・・・例えば着物の「江戸小紋」で、手彫りの型を使い、手で糊を置いて、しごき染した手作り品で、ダサい割に高価過ぎる有名作家さんのものと、普通のメーカーの機械プリントでセンスの良いものなら、私は全く躊躇無くプリントを選びます。手仕事である事や、市場価値や、希少性など、全く問題にしません。

織物でもそうです。ダメな手織りのものなら、機械織りの良く出来たものの方を選びます。

そういった具合に、私は「手作り品である事に重きを置かない」のです。

単純に自分にとって良い方を選択する、という事です。

なので、自分が良いと思って、それがプリントだと分かっていて購入したものを「この小紋、プリントだよ?ニヤニヤ・・・(手作りと思っちゃったのかな、騙されたんだね)」みたいな態度を、業界人や加工屋さんからされると、正直、呆れます。「ああ、この人たちは、未だにこういう“業界が商売用につくった伝説”が価値観でそれで商売しているんだなあ」と。

こちらとしては「いや、こちらの有名な先生のダサくてひどい色の小紋よりも、こちらのプリントの方がずっとセンスが良く、かつ安いのでこちらを選んだんだけど?」というわけですからね。手作りである事や、希少性や、知名度、ブランド・・・それらの「伝説」で選ぶ事はありません。

実際、プリントであろうと、着姿が美しければ誰もそれがプリントである事を問題にしません。「それが美しいから」です。

「美は力」なんですね。美は何にでも宿ります。手仕事のみに宿るのではないのです。

仕事においても

仕事での手紙は、私はパソコンで文章を打ち、プリントしたものに、エンボッサーで工房のロゴのエンボスを押して、必要な場合は手書きのサインを入れる形式で送る事が殆どです。

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(使っているエンボッサー。一台あると便利です)

手紙をいただく場合は、手書きであったら、ああ、手書きで書いて下さったんだなあ、という感想が浮かびますが、それだけで、プリントだからといって手抜きだとも思いません。

むしろ、手書きで、字が下手で、便箋のセンスがひどいものでいただくよりも、紙質が良く、デザインの良いレターヘッドのある便箋に、美しいフォントで印字され、書き慣れたセンスの良いサインで〆てある手紙の方が心地よいと感じます。

特に苦手なのは、実際にはあまり字の上手くない人が、自己流の崩し文字で、まるで字が上手いかのような態度で書いてあるものです。読みにくいし、内容も別にどうでも良いものが殆どです。形式の方に重点が行ってしまって、中身が無いのです。逆に、中身が無いのをごまかすために、それらしい手書きにするのかも知れませんが・・・

もちろん、字が上手い人は字を書いていて楽しいでしょうし、そのような手紙は美しいですから、そのようなものをいただくと、私も心が潤います。そのような人が手書きの手紙を出すのは大いに結構ですし、私もいただいて嬉しいです。

しかし、字の下手な人が「日本独自の手書き神話」によって、頑張って書いたものはどうにも苦手です。「こうやっておけば真面目で丁寧な人だと思われるんだろ」というあざとさの方が気になります。

何の気負いも狙いもなく、ただ手紙を書く必要から手書きされた手紙は、嫌味が無いので良いのですが・・・例えば文字をプリントする設備を持っていない人だから、普通に手書きで手紙を書いたものは自然なもので、手書き云々の話題には入らないのです。ようするに、いやらしい意図が含まれている手作りが個人的に嫌いなのです・・・

まだ字を書くことに慣れていない、かつパソコンを扱えない子供が、相手に何かを伝えようとがんばって手書きした手紙は良いですけどね。それはかわいらしいし、受け取って心を打つものです。

しかし大人のものは、そういうものではありません。絶対に一緒にしてはいけません。こういうところの区別が無く、同じ扱いにしてしまうのは、日本のマナーやエチケットの良くないところと私は思っております。

また、受け取る側・・・手書き神話をありがたがる人も理解出来ません。大人の伝達は伝達方法ではなく、その内容が問題だからです。もちろん、伝達方法が失礼であるなら、それはいけませんが、プリントした文字の手紙が失礼だなんて事はありませんし、手書きである事が丁寧というわけではないのですから。

プリントであっても、美しい紙質やデザインで、心のこもった文章であるなら、それは心を尽くした事になるのではないでしょうか?別にそこまでしなくても、必要にして充分な内容があれば良いと私は考えます。

私はそのような考えなので、当工房に弟子入り希望の人達の履歴書も、手書きでなく、また、履歴書アプリである必要もなく、メールで必要な情報をキチンと書いて、写真もキチンと撮れているものを添付してくれれば良い、としておりますが、それでも「手書き神話」で手書きの履歴書を送ってくる人がおります。もちろん、字が上手くても下手でも評価は全く変わらず、単純に書いてある内容しか観ません。

そもそも、履歴書ではたいした情報量を載せられません。履歴書アプリであっても、志望動機など、記入欄に書き込めないほど書きたい人、添付資料も付けたい人にとっては使いにくいですし。それなら、最初から「履歴書としてのメール」で送ってくれた方が見やすいと私は考えます。だから「メールで送ってくれれば良い」とするわけです。

繰り返しになりますが、昔の文化人、お坊さん、武将などの字が達者な人達の手紙は見事なもので、実に良いものです。

しかし、そのような方々も、主人が言葉で言った事を代筆をさせて手紙を出す事も多かったわけですし、現代なら、それを秘書がパソコンで打ち込み、プリントしたものを主人が確認後、署名だけするでしょう。

現代、ラブレターを書くのに、どうしても手書きで、というのはあるのかも知れませんがそれでも、今はLINEで告白、というが多いのではないでしょうか。

「手紙の目的って何?」という事を良く観れば別に手書きである必要は必ずしもない、むしろ読みにくい字しか書けない人であれば、パソコンで文章をつくってプリントした方がちゃんと伝わる、という事になりますので、私は素直にそれに従います。

しかし、それでも「手書きだから心が伝わる」という「内容なんて関係ない、手書きである事自体に価値がある」と思う人は手書きにすれば良いと思います。

私はそうではありません、という話です。

だから、余計に、私は仕事にしている「手作りの染物、その他創作品」は「手作りでなければ出来ないもの」を望み、制作するのです。


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