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大都市で生きていくための知恵

以前、これまで大都市(特に東京)で生きていく人生しか描けていなかった、ということを書いた。

子供の頃のことを思い返すと、東京へ買い物に行った折など、家族(特に母)からいくつかの「大都市で生きていくための知恵」を授けられていた。今回はそれらについて書いてみようと思う。

●人混みを横切るには斜めに歩く


最初に教わったのはこれではないかと思う。

我が家がよく買い物に出ていたのは新宿だった(だから今でも東京で一番好きな町は新宿だ)。地下駐車場に車を置き、周辺で買い物をすることもあれば、新宿を拠点に電車や地下鉄で別の場所へ行くこともあった。そうなると、大混雑の新宿駅の中を移動しなければならない。

大勢と同じ方向へ進むなら問題はないが、人の流れを横切るには、ただただ人混みの中へ突っ込んだのでは行く手を阻まれる。だから、斜めに切り込むように歩けば誰ともぶつからずに進むことができる…そう教えてくれる時の母はいつも何だか誇らしげだった。

最初は家族に手を引かれていたわたしも、いつしか一人で新宿駅の人混みを横切ることができるようになった。

ちなみに「同じ方向へ行く大柄な男性の後ろを歩くと少し楽」という方法を教えてくれたのも母だ。今も横断歩道を渡る時などに応用することがある。

●水溜まりを踏まない

全くピンとこなかったけれど、成長するにつれてその意味がよく分かってきた。都会の水溜まりは得体の知れないものでできている。雨水がたまった跡ならまだいいが、飲み物をこぼした跡だったり、吐瀉物だったり、排泄の跡の可能性だってある。だから当然踏まないほうがいいという訳だ。

●大きな音がした方向を見ない

「わざと大きな音を出して、気を取られた人の荷物を捕ろうとする人がいるから」だと。ただ、本当にそういう犯罪があるのかどうかは寡聞にして知らない。昔はよくあったということだろうか。例えば、車が柵をなぎ倒してこちらへ向かってきているなど、危険を回避できないケースもあるのではと思うのだが。

●胸を張り険しい顔をして早足で歩く

「人の良さそうな顔をしてのんびり歩いていたのでは、悪意を持った人に目を付けられるかもしれないから」と。だから、東京で過ごした学生時代や会社員時代の始め頃のわたしは、すごく怖い感じの人だったと思う。

そのお陰なのか、たまたま運が良かっただけなのかは分からないが、東京の路上で怖い思いをしたことはほとんどない。

(一度だけ、新宿駅で右往左往しているうち男性にぶつかってしまい舌打ちをされたことがある。周りをよく見ていなかったせいだと思い「すみません」と謝ったのだが、今考えるともしかしたら…)

しかし、学校のメインストリートでも同じように怖い顔をして早足で歩いていたせいか「人付き合い」というものが分からないまま社会に出てしまったようなところがあった。

ところで最近、大きな駅などで、特に女性を狙ってわざとぶつかってくる人がいるというニュースを目にする。

嘆かわしいことではあるけれど、胸を張り険しい顔をして早足で歩くことが危険回避の方法のひとつとして有効なのかもしれない。そうできない人を狙ってくるというのが、また卑劣なのだが…

 

●エスカレーターでは右側を空ける

以前Xでこんなアンケートをしたことがある。

サンプルが少ないので正確なデータとは言えないだろうが、このアンケートに限れば、成人前に他の人がエスカレーターの左または右を空けて乗っているのを見て、それが「正しい」エスカレーターの乗り方だと覚える人が多いということになる。

かく言うわたしも、母から「エスカレーターは急いでいる人のために右側を空けておくもの」と教わったクチで、長らくそれがマナーと信じて疑わなかった。

近年、エスカレーターを歩くと落下や接触の危険が増したり、麻痺などで左右どちらかにしか掴まれない人がいたりなど、これまで「マナー」と信じられてきたエスカレーターの乗り方に疑問を呈する動きがある。

だから、エスカレーターの安全な乗り方を啓蒙したければ、成人前の子供たちに正しいエスカレーターの乗り方を実践して見せてあげるのが有効、ということになるのだろう。

●目立つ服を着ない

●何かあったら荷物を全て捨ててとにかく逃げる


ここまで主に母から教えられたことを書いてきたが、父から教わったのは特にこの二つだったことを急に思い出した。

父は母やわたしが派手な色の服を選んだり着たりするといつもやめさせようとした。「通り魔などは目立つ色の人をターゲットにするはず」というのが父の持論で、自分はいつも黒や紺やグレーなど地味な色のものばかりを身に付けていた。

父の根底には自己責任論がある。

(本当にそう?と今なら反論できるのだが)

また、父からは「何か怖いことがあったら荷物なんて放り出してとにかく走って逃げるように」とも言い聞かせられた。わたしが女性だったせいもあるのかもしれない。時々、持っている荷物を全部置き去りにして逃げる脳内シュミレーションをするなどしていた。

大都市で生きていくための知恵。

いまだに役に立っているものもあるし、途中で人生の足かせになったものもある。

(もしこれが東京でなく大阪や名古屋や福岡など他の都市だったら違うのかどうか、興味をそそられる。)

母にとっては、将来大都市へ出る時のためにそれらをわたしに伝えることが子育てだった。同時に、東京へ長距離通学した辛くも楽しい学生時代を母自身が懐かしみ、娘の人生を通して追体験する行為でもあったのだろう。

母が大都市に立ち向かい「逃げない」ことを教えたのに対し、父が大都市で「逃げる」ことを教えたという対称性があるのは、身内ながら非常に興味深い。母も父も学生時代を東京で過ごしたあと地元に戻った人間だ。母はわたしを地元から出そうとしたが、父はわたしが地元に残ると言っても反対しなかったのではないかと思う。

少し嫌な言い方をすれば、子供を地元から出したくなければ、大都市の魅力からは遠ざけて育てたほうが良いということになる。ひたすら、大都市は怖いところで、猥雑で不自然で人間味のないところだと吹き込み続ければ…それでも思い通りにいかないのが子供なのだろうけれど。

大都市への人口集中の弊害が叫ばれている現在、そこで生きるための知恵はもはや輝かしいものとはみなされないのではないか。なぜなら、知恵を持つ者が増えれば、ますます人口が流れ込み問題を助長しかねないからだ。のんびりスローで朗らかな地方暮らしを幸福と描く動きとは対極をなすものとされるだろう。

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