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吃音のある娘11歳

2歳半から言葉が出にくかった娘は、3歳児検診で発達検査を紹介され、重めの吃音症だと伝えられた。

当時の私はとてもとてもショックで
「この子はふつうに話せない」と悲観した。

吃音のことはきっとまねされたりからかわれたりして、悲しい思いをする日が来るだろう。吃音があることで、話す場面を避けるようになって、周りとコミュニケーションをとらなくなったらどうしよう。この子は一生孤独かもしれない。

知識のなかった私は
「親が神経質に育てたからでは?」という根拠のない憶測を信じて
「こんなに小さいのにかわいそう」という祖父母の言葉に自分が責められてるように感じていた

娘に「かわいそう」という目を向けられることがすごく嫌だったし、
両親ににそう言われるたびに、どうすることもできない現状に悔しくて悲しかった。
それは、どうしようもできない状況を無責任に哀れむな。
強い怒りと理解者のいない孤独でもあった。

娘には、身内にかわいそうだとと思われていることが伝わらないようにとピリピリと神経をとがらせていた。
そして、いつか治りますように。と切に願ってた。


幼稚園に通い始めてから

周りの反応から、なにか感じるようになってきた娘。
○○ちゃんが笑った
○○くんにまねされた

ある日。5歳になる直前のこと
「変な話し方だから遊ばないって言われた」
「なんでわたしだけこんな話し方なのか」と
泣きながら話してくれた。続けて
「幼稚園に行きたくない」と言い出した。

あぁ、ついにきてしまった。
いつかこんな日が来るだろうと思っていたことが現実になった。
吃音が始まってから、覚悟していたはずなのに
想像以上につらかった。

この頃は両親とは離れたいたけど
夫はわたしと二人でいると娘を「かわいそう」と言っていた。
ムカついて、ため息が出る。
あなたまで私を責めるの?わたしだって、無責任にかわいそうだと言いたかった。

本当に気にしていたのは・・

けど、そうしたら
「かわいそうな娘」を育てる「かわいそうな母親」で
わが子を「かわいそう」だと思う母親になる。
それは、それだけはどうしてもいやだった。

この子はかわいそうではない
この子は哀れまれる存在ではない

わたしはかわいそうではない
わたしは哀れまれる存在ではない

子どもとの一体感が強くて
課題に線を引くこともできないでいた
あのころの私は
吃音のことをたくさん調べて学んだ
病院にも行った
言語訓練にも通った
けど、吃音が治まることはなかった

どうして吃音であることが生きづらさにつながるんだ!
みんなと違うってなんだよ!

って社会にキレて

みんなに合わせようとしていた私、なんなんだよ!!
個性とか、多様性とか自分が一番認めてないじゃん!
そのままでいい。なんて嘘を言うな!
人の命をばかにするな!
思いあがるな!!

って自分自身にも怒りと絶望を向けた。
治そうとして現象を問題視していたことがもう苦しくなった。


治らなくても治ってもいい。


勝手にかわいそうな存在にして、
助けてあげなきゃと騒いでいたのはわたしだった。


選んで生まれたきたのなら


特性を選んで生まれてきた魂は勇気のある魂だときたことがある。
それを信じるならば、
娘は吃音を選んで生まれてきた勇気ある魂だ。

なんかかっこいいな。娘。
(気づいても意識が変わるまで何年もかかった。)


11歳になった娘は今も吃音とともに生きている。


声が出なくて顔を強張らせる
全身に力が入り赤面しながら、太ももにこぶしを打ちつける
緊張とともに呼吸と合わなくなって唾が飛ぶ
顎を上げ頭を揺らしながら伝えようとする


朝の会で「はい、元気です」と答えること
日直 発表 班長 委員会
クラブ活動 行事
注目されること
人前で発表すること

学校の一日には、娘の苦手な場面がたくさんあって
そりゃあ毎日疲れるよね

「吃音がバレたくないからなるべく話さないようにしている」
「遊びたいけど話しかけられない」
「誰も私の話を聞いてくれない」
「友達がいないから学校行きたくない」

「なんで私は吃音なの?こんな自分もうヤダ!!!」
こう言ってわんわん泣いている娘を前に…私も泣いた。

吃音のせいで、うまくいかないことがたくさんあるんだよね。
吃音がなかったら、うまくいくはずだって思いたいよね。

ひと通り一緒に泣いた後、娘が言った
「あ。私が選んできたんだった。でも嫌な時もある。」

いいじゃない泣いたって。
嫌だった。悲しかった。苦しかった。怒りをぶつけた。
嬉しい。楽しい。ハッピー。感動した。
全部ぜーんぶ、自分だけの当たり前で大切な感情だもん。


勇気のある魂が
周りに気づかせてくれること


もう、幼稚園の時の娘じゃない。
もう、あの頃の私じゃない。

きっとあの頃の娘は、吃音に神経質になっていた私のことは感づいていたともう。
小さければ小さいほど、自分と母親の境目が曖昧だもんね。


今は
吃音を家でふつうに話すようになった
そのまんまの自分を矯正されないって感じたんだと思う。


誰かに頼る とか
得意なことを生かしあう とか
自分のまま 誰かとつながる とか

当たり前で 自然で 大切な 
難しいことを
娘は見せてくれている
娘の吃音は一つの要素でしかない。


それもこれも
性教育をするようになったことで
より自信をもって言えること


親に矯正されるのでなく
自分から湧いてくる自由意思で行動してほしい
いろんな感情を味わってほしい


口うるさいガミガミばばぁだけど
あなたが幸せにしかならない!って信じてるよ。

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《お茶の間🍵性教育 さとうゆきえ》

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