見出し画像

「 怒り 」をごまかすと②     小さな私がつけた知恵

少し前に
「こうありたい私」を強く持ちすぎて
今の私と乖離しているような違和感が
苦しさに変っていく感覚があってね

感じたままの感覚を味わえなくなっていた


掘り下げてみるとに書いたように

「怒り」に分厚い蓋をしてきたことに気づいて。


子ども時代につきあたる。

祖母と父が不仲でいつもケンカ腰
母と祖母も不仲

祖母に日中世話をしてもらっているのに
母が仕事から帰れば、母のかたをもち
祖母の前ではにこにこするしかなくて
両親がケンカをすれば、その時々でどちらかのフォローをして

「今日はケンカにならないといいな」
と祈りながら過ごしていた日々。

怒っている大人が怖かった。

私に向いていなくても
両親の険しい顔や大声のある家にいる事は
怖かった

親に穏やかにいてほしくて
心配をかけないように
いい子でいようと
「こうなってほしいな」
をいち早く察してきた

学校で何があっても
家に帰ったら
「ごきげんないい子」でいる事が
私の居場所をつくる手段だった

子どもの頃は
当たり前の生活だったし
私へのあからさまな暴言・暴力は無かったし
他の家庭と比較することもないから
しんどい自覚は無くってね

とは言え
怒りの恐怖から逃れるために
家じゃない所に居場所を求めた

外の居場所は
気がまぎれた
気楽だった
自由だった
喜びだった
その場に合った自分を作ることは得意だった


そして時を経て

・パートナーとの関係が深まるとき

・子育てが始まったとき

・自分らしさと向き合うとき

子どもの頃のクセがまざまざと出てきた。


よりプライベートで閉鎖的な関係性。
「愛」を構築していく土台のとき

自分がどうしたいのか
相手とどうなりたいのか
どんな未来を生きるのか

自分で決めることができなくなっていることに気づく。
正解のない問いに戸惑っている自分に気づく。

相手の望む正解をいち早く提供して
その瞬間瞬間で
目の前の人を満足させようと

他人軸で生きてきて
自分で創りだす未来にピンとくるわけがない。

幸せの基準が私の外にあったから。

そうしないと生きてこれないと信じ切っていたから。


「 愛=自己犠牲 」
ガマンありきで成り立つものだと疑わずに。

③へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?