マイストーリー①~アレルギーっ子を育てることは、私へのギフトだった!

産まれてきた長男は、生まれつき重度のアレルギーがあった。

生後1か月ごろから乳児湿疹がひどく、3か月を過ぎても一向に良くならず、むしろ悪化するばかり。

いつも痒くて、全身をかきむしる。寝られず、機嫌が悪い。

病院で検査してもらったところ、食物アレルギーがあることが分かった。

「小麦、卵、乳製品でアレルギー数値が高く出ていますね。母乳育児ですから、今日から、お母さんがこの3つを摂るのをやめましょう」

健康体でアレルギーとは無縁だった自分が、自分の子にアレルギーになるなんて、思いもよらなかった。

でも、「この子のためになることは、とにかくやるしかない!!」

そこから、今まで大好きだった小麦パンやケーキを断つ、自分にとっては修行のような日々が始まった。

でも、子供のためならとにかくやるしかない!、と自分を奮い立たせ、

とにかく無心で、肌のケアと食生活を変えることを続ける毎日。

今自分に出来ることを精一杯やる、そのことだけに集中していたので、

大変とか、そんな感情は出てこなかったし、口にも出さなかった。


でもやはり辛かったのが、アレルギーのない、周囲との間に感じる、壁。

アレルギー=大変、かわいそう

そんな周りからのイメージは強く感じた。

「○○ちゃんは、小麦のアレルギーなんだね。美味しいものには何にでも小麦が入っているから、食べられるものが少なくてかわいそうだね」

かわいそう?

むしろ、手作りの安心なご飯を毎日食べている、長男はある意味幸せだと思っている。

でも周りから、そんな風に見られているこの子は、自分をかわいそうな子、と感じてしまうだろうか?

また、一番壁を感じたのは、家族以外の人達皆で楽しく食事を囲む、という機会が、もてなかったこと。

その機会があっても、とても楽しむことは出来なかった。

親戚で年に数回集まって食事に出かける時や、

幼稚園のお友達と集まってお店でご飯を食べる時。

他の人が食べているパンを触っていないだろうか?

その手で顔を搔いてないだろうか?

心配で、怖くて、本人から目を離せない。

緊迫した気持ちで、その場を過ごしていた。

そもそもそんな危険を冒してまで、皆で食事をする機会を持つことは、次第になくなっていった。

外食や旅行に行くことさえも、アレルギーっ子である我が子にとっては、

とても大変なことだった。


でも、

長男には、アレルギーのない世界との間の壁を感じながら、この先の人生を送ってほしくない。アレルギーがあっても、食事以外の制限を受けさせたくない。

アレルギーがあっても、幸せになってもらいたい!

皆と一緒に食事を囲みながら、美味しいね、楽しいね!そんな時間を味わわせてあげたい。

そんな思いで、

小麦、卵、乳製品を使わず、それでも、普通のものと変わらずにおいしいパンやお菓子を作りたい!いや、絶対に作る!

アレルギーがない人が食べても、「美味しい!」と思えるものを。

そんな想いで、米粉のパンやお菓子の作る研究を始めた。






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