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オレの『イチバン』狂想曲

『イチバン』にすこぶる弱い。


物心ついたときからそうだった。
なかなかなれない。
自分の記憶の中で、イチバンになった経験がほとんどない。
三人兄姉のなかですらなったことがないぐらい、イチバンとは本当に縁遠い。
だからなのか、異常なほどに憧れてる。



やみくもに『イチバン』に憧れてしまったせいで、わたしのマインドは『なんでもいいからイチバンになりたい』に育ってしまった。


かけっこでも。
早食いでも。
テストでも。

なんだっていいさー。

そして、大人になってもそれが解消されることなく、むしろこじれた。←なぜ?

『誰かのイチバンになりたい』


なんだよ、それ。と思うかもしれないけど、いよいよ意味がわからないことになっていったのでした。


お母さんにとっての子ども。
それって、きっと『イチバン』なんだろうと勝手に思ってて。
どんなことがあってもお母さんは子どもを守ってくれるし、愛してくれる。
それはもう無償。無償の愛。
子育てをしてないので、幻想+勝手な妄想で、ついにはこう思った。


自分もそんなふうに愛されたい!
それこそが『誰かのイチバン』だと。


だから、そんなふうに好きになってくれる男の人が好き!と思ってました。
しかもつい最近まで。
ひゃあー。あほだ。恥ずかしい。


でも、真実なのでしかたない。
そしてそれが最近、やっと!
ガラガラと崩れました。

「本当はあの人とつきあいたい」


と思っていても、ままならないことはある。
その人がすでに既婚者だったとか。
その人と過去に揉めて、どうやってもいい関係には戻れないけど、どうしても好き。
あるいは、自分にとってはその人がイチバンでも、相手にとってはそうじゃない場合。


そういう人がわたしのところに来て「お付き合いしてくれませんか?」と言われたら、以前なら絶対に許さない!と思っていました。



それじゃ、オレはあなたのイチバンじゃないからイヤだー!ムリー!ありえないわー。

なんだけど、そういうのもしかたないかな、となぜか思うようになったのです。
実際に直面したのが、おつきあいではなく『仕事』だからそう思えるようになったのかもしれないけど、


イチバンじゃなくても、いいと思ってくれる人がいる。この人ならまあいいかな、と思われるぐらいのレベルではある、とか。


そういう状況に遭遇して、わたしだって自分以外の人にそういうところあるし、と。

だいたい、誰かのイチバンになるとか無理じゃね? 自分だって自分がイチバンのくせに、わたしをあなたのイチバンにしてくれってことでしょ? ずうずうしいぞ、オイ。



そう思ったのでした。
ひゃあ、恥ずかしい。
少しだけど手放せて、よかった。




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