いつか消えるイメージ📹
根っこが暗い人間なので、思考はしばしば死へと向かう。
産前、子の成長を記録するためにGoProを購入した。産んだ後はバタバタと忙しく撮れていなかったが、最近は気が向いたら、子が手足を「ほっほ」と声をあげて動かす様を撮影している。「かわいく撮れた!」と、どの動画も自賛していて、先日、夫に鼻高々で見せた。すると、夫は「何、この平和な映像」と笑う。どの映像を見たのか尋ねると、子と私が頬ずりしているものだと言う。そうか、意図もなく撮影した日常だったが、思っていたよりも平和に満たされているのか。
動画は最初こそ、子だけを撮影していたが、だんだんと自分も映るように変わってきた。というのも、子が大人になってこの映像を見つけたら、親も映っていたほうがおもしろいんじゃないかと思ったからだ。それで、じゃあ自分も一緒に映ろうか、と思考を変えるようになった。私以外にも、部屋や仕事をする夫の背中も、全部、逃したくないと映している。
撮影した映像は、いつか、子どもに「へー、こんな感じで育ったんだ」と軽い感じで見てもらえたらいい。
残念ながら、撮影された当人はビデオを観ても「ふーん」くらいで興味を持たないだろう。私が子どもの頃のビデオもいくつか現存しているが、昔の自分を見たところでつまらないし、ましてや住んだ記憶のない部屋なんて観たって面白くもないから。
そんなことはわかっている。それでも撮らずにはいられない。
きっとこの映像は、私が死んで、子も年老いたら捨てられてしまう運命だ。孫の孫くらいが「なにこれー、捨てていい?」とぞんざいに扱って、ゴミ箱にポイするのだろう。著名な人物であれば博物館にでも展示されるだろうが、一般市民でこれだけ映像が普及している世の中ならそうなる。
たぶん、そんな風に同じ思いを抱えた母親が、この世界にたくさんいる。
子どもが巣立ったときに、ふと今の映像をみつけたい。「結婚式の紹介VTRを作るのに使うから」と子に求められたい。
私の撮影した動画を見ている夫が、また笑っている。私は吸い寄せられるように画面をのぞき込んで、自分が撮影した動画を見た。それから、同じように笑った。
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