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昭和のまま

「昭和に生きているのではないか」と思う瞬間がある。

乳飲み子を抱えて平日の昼間に一人で病院に向かう時、それから、保健師から「赤ちゃんの首が据わればおんぶして料理できますよ、お母さん」と夫ではなく私の目をのぞき込んで言われた時ーー。

「仕事を辞めて、母親に専念しなさい」と言われている気がして、心にさざ波が立つ。反発するのは、子どもを見てくれる人を手配しないと、仕事ができないからかもしれない。私が仕事をすることで、誰かに迷惑をかけている気になる。

日々増加するコロナの感染者数も、慣れと、外出の機会が著しく少ないせいで、脳みそがバリアを張ったようにぼやけて頭に入ってこない。なんだか、子の成長だけが目に映る。「声を立てて笑うようになった」「手でものを握るようになった」「抱っこすると、両手で抱きついてくるようになった」……。


実はオリンピックでも、昭和のまま時代が止まっているように感じた場面がある。テレビ放送で、1964年の東京オリンピックを振り返る『映像の世紀プレミアム(15)「東京 夢と幻想の1964年」』(NHK)を観た時だ。

今年のオリンピックは、新型コロナウイルス感染症の感染拡大を危惧して開催に反発する声があったが、1964年の開催前も、世論からは反対の声があがったらしい。何でも、関東に雨が降らず、水に飢えていたそうだ。「そんな状況で、なぜ政府は東京オリンピックに力を注ぐのだ」と街ゆく人は訴えた。当時のインタビュー映像では、子連れの母親が「水を求めて疎開するわけにもいかないでしょう」と苦笑している。

彼女と私は同じである。子どもを抱えて、政府の決めたことに右往左往している。誰かの助けがないと仕事ができないから自分の足で立てている感覚が薄い。「吹けば飛ぶような、弱弱しい存在だ」と気付かされる。

実は自国の開会式を観なかったフリをして、私の心はすでに次のオリンピック開催地のフランスへと飛んでいる。なんでも、セーヌ川で開会式をするらしいじゃないか。きっと盛大で美しい光景になるだろう。

その時には、昭和のママから脱皮できるように。子どもと一緒にいたい気持ちと、仕事に邁進する矛盾を抱えてスタートを切る。

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