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子どもに「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」と聞かれたら

もし子どもに「勉強って、なんでせなあかんの?」(大阪弁の場合)と聞かれたら? 親として、保護者や家族として、先生として、ひとりの大人として、あなたならなんと答えますか?
相手の子どもは小学生なのか中高生なのか、想像しながら考えてみてください。


いちばん駄目な答えとは

私には実の子どもはいません。ですが、長年「先生」と呼ばれる仕事をしています。教育学科体育専攻を大学で学び、職歴は体育指導が12年、保育教諭(初等教育)が10年。保有免許は中高保健体育科教員免許と保育士と幼稚園教諭免許です。

子どもが【なぜ勉強することが必要なのか?】その意味を聞いてきたとします。その答えとして、私が思ういちばん間違った答えは、

「義務教育だから。」です。

日本国憲法を習ったことのない日本人はいないはずですが、覚えていない・または解釈が誤っている大人がたまにこういう答え方をすることがあります。しかし教育の義務を負うのは子どもではなく、大人である親や保護者・政府や国です。【子どもに教育を受けさせる義務】のことを言います。

となると、大人が「勉強しなさい!」と言うことにも違和感を覚えますよね。ドラえもんののび太のママがよく言うセリフかもしれませんが。だって、やらなきゃいけない義務なんてないんだから。
勉強することの意味を正しく伝え、子どもがそれを理解し納得し自分で取り組めるようにすることが大人のすべきことなのだと思います。やらされるだけでは、そのおもしろさに気づかないのかもしれません。

また、こういう質問をする時って、子どもは勉強が難しかったりつまらなかったり嫌いだったり、他にやりたいこと(テレビ・漫画・ゲーム・遊びなど)があったりするから聞いてくるんだと思います。

なぜその質問をしてきたのか?

なのに、親や大人は日々の忙しさもあって、義務教育だとか立派な大人になるためだとか、さらっと一言で済ませてしまいがちではないでしょうか。

違いますよ!子どもの「なぜ?」「なんで?」に対して、大人はちゃんと真剣に答えてあげなければいけないのです。このとき時間がかかったとしてもきちんと伝え、子ども自身がストンと腑に落ち勉強する意味を理解できれば、あとは何も言わなくても勝手にやるようになると思うのです。

勉強とは、新しい知識や考え方を得る楽しさ

勉強の楽しさと、やる意味を伝える

勉強に限ったことではありませんが、
・知らなかったことを知る
・分からなかったことが分かる
・できなかったことができる ようになる
ことって、嬉しいし楽しいよね?から話し始めてみてはどうでしょうか。

それから、勉強するとこんなに良いことがあるよと伝えます。
・物事に対する考え方が増えること
・選べる道や選択肢が増えること
・やりたいこと、好きなことができること
・なりたいものになれること
・多くの人に出会えること
・無知による損失が防げること など

これどおりじゃなくても全部じゃなくてもいいし、その子に響きそうな言葉とか、自分(説明する側の大人)の実体験から当てはまったことなどを話していきます。するとちょっと目がキラキラしてきますよ。

ついでに、世界には勉強したくてもできない国の子どももいっぱいいるんだよ、勉強できることは幸せなことなんだよ、とかも付け加えてみてはどうでしょうか。

シダ植物とかハート型の前葉体とか、サインコサインタンジェント?だとか、初代総理大臣は誰だとか、大人になってからはまったく必要としなかった知識でさえも、脳みその皺(シワ)を1本増やしてくれて思考回路が豊富になったと思えれば、無駄ではなかったということなんかもね。

私の子ども時代の話を少々

自身の体験談ですが、私は親に一度も勉強しなさいとかこんな習い事しなさいとか言われたことはありません。
小学校の頃、最も優先されたのは「夜10時までに寝ること」で、宿題が終わってなかろうが明日の用意ができて無かろうが、絶対にそれまでにお風呂に入って寝ることでした。まさに健康が第一であって、宿題なんて二の次以下の考えの母親でした。

連絡帳の持ち物チェックとか宿題とか、時間割合わせ等も、アンタの自己責任よって感じでほぼノータッチ。今思い返せば、本当に尊敬できる素晴らしい母です。まじリスペクト!ありがとう!

ちょっと自慢にもなりますが、それでも私は勉強はよく出来たほうで、成績は良かったし勉強が分からなくて困ったこともありません。宿題もちゃんとやっていました。
周りは公文やら塾やら進研ゼミやらやっていた友だちも多い中、特に学校以外の勉強はせずに漫画を読んだり描いたりしてました(漫画大好きっ子)。あと本を読むのも好きだったので、町内の子ども文庫で毎週本を借りて数冊読む習慣もありました。

なんとなく子ども心でも、任されているのは信頼されているのだなと感じていたし、あれこれ言われたり口出しされたりするのを嫌がる私のあまのじゃくな性格ゆえに母が放任主義になったのかもしれませんが、お陰で私は子どもの頃から【自分で考えて自分で決める】ことができました。

「やらされる」「仕方なしにやる」「納得してやる」
同じ時間取り組むにしても、成果は違ってくる。

中学生以降も、入る部活だとか受験とか進学とかは、すべて相談なしに自分で決めてからの事後報告でした。私「こうしたいんだけど?」→母「分かった。いいよ〜」みたいな。子どもは親の所有物ではない、決めた道を応援してくれる、まさにそんな親でした。ありがたいし、まじリスペクト!(2回目)

小学校の頃から、なんとな〜く【先生になりたい】という夢があった私。それは今、ちゃんと叶っています。

テストの成績(点数・順位)や偏差値はただの数字

勉強ができる=成績が良い、ではないと思っています。自分で何をどのようにして学ぶか、考えてできることのほうがよっぽど大事です。そしてその学びをこれからにどう活かすか。
大人になった現在、最終学歴や出身大学がどこかなんて聞かれることはないし、人に聞いたこともないし、そもそもなんの興味もない。それを知ったとてその人を見る目が何か変わるわけでもない。

だから受験や進学で迷う子どもがいたら、私なら「どこでもいいよ~。偏差値なんて関係ない!やりたいことやりや~。」と言うでしょう。

私はバカ高い私立の四年制大学(体育科)で、何百万も親に払ってもらって行かせてもらいましたが、絶対にそれが必要だったかどうかは疑問符。
おかーちゃん、ごめんね。いや、そこでの経験や学びは決して無駄ではなかったし、そのお陰で先生にはなれたけど、他の方法もあったということ。

大学でも部活に青春を捧げ、女子サッカー全日本インカレBEST4入りを果たせた経験も宝物だけど!(これもプチ自慢)

大学の4年間は、サッカー漬けのサッカー馬鹿でした

なりたいものがハッキリしていれば、なるための手段なんていくらでもあるのです。大人になってから学び直すことだってできる。

まとめ

私は、体を動かすことの楽しさや健康の大切さ、身体づくりの必要性を伝える仕事を12年 ⇒ 保育士として、初等教育に携わること10年。
「勉強」と言われる座学を教えた経験はほとんどありませんが、勉強の楽しさと必要性はちゃんと分かっているつもりです。広い意味での人生勉強としてとらえれば、学びは何歳になっても無限にあります。

好きで・楽しんで・没頭することが、何よりの上達だと思うし、【やらされてやっている人は、夢中になれる人に一生勝てません】。
夢中になれるものに没頭できることが、人生の楽しさなんだろうなぁと、40代になった今でも本気で思っています。

あなたが、夢中になれることはなんですか??

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