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【健康とお金の価値】について考える

私の知人Aさんの、実際のお話です。

Aさんは40代後半女性で、人間ドックを受けたときに初期の乳がんが見つかった。
発見できた時はステージゼロという超初期で、手術で切除したあとに病理検査でそれはステージ1だったと分かり訂正された。

Aさんは自分の名義で住宅ローンを組んでいて、団信(団体信用生命保険)をつけていたため、当時残債が1,500万円ほどあったがそれはチャラ、つまり0になって消えた。

あなたはこの話を【ラッキー】だと思いますか?

乳がんになって良かった?
人間ドックを受けて良かった?
初期で見つかり手術で除去できて良かった?
1,500万円もあったローンが消えて良かった?
ステージ0じゃなくて1でよかった?
(※ステージ0では団信は適用されない。)

それとも、住宅ローンはちゃんと元気に働いて
返すから、がんになどなりたくなかった?
そもそも、どちらか選べるものではありませんが。

「健康とお金の価値」について、考えてみました。



①健康は、お金には換えられない価値がある

私個人としては、Aさんの話は全く羨ましいとは思いません。
がんが見つかり、言葉では言い表せないほどの怖さや不安があっただろうし、手術の傷跡も痛みも残っただろうし、今後の再発などの心配も計り知れないほどあるでしょう。

ただ、団信(だんしん)って本当に適用されるんだ〜とは思いましたよ。
我が家も夫名義で住宅ローンを組んでおり、もちろん団信に加入していますから。
でも、夫の病気でローンがチャラになったとて、私は決して嬉しくはない。健康が一番に決まってる。お金の問題じゃない。
がんの代償が1,500万円というわけではもちろんないのだけれど、この話を「いいなあ。」と思った人が何人かいたようです。

Aさんに
「自分もまだ住宅ローンが2,000万近く残ってるから、がんになって初期発見して完治させたい!」
なんて、心無い発言をした人もいた、と。
かなり無神経な人もいるものですね。

健康や生活習慣に気を配り、定期的にがん検診や人間ドックを受けている人ががんになってしまうこともあれば、食事や運動などあまり考えずにどうにかなるさ精神で過ごしている人・自分もがんになりたいなどと無神経に言う人が何故かずっと元気だったりもする。

私が知る限り、Aさんは料理上手で
食事は自炊、よく歩き、健康にはとても気を
使っている人のように見えました。

がんなどの病気になってしまう人は、【運】によるところもあるのでしょうか。
生活習慣だけでなく遺伝的な要素もあると聞くけれど、この話を聞くと誰がどんな病気になってしまうか、運は不平等な感じもする。

病気になる可能性は誰にだってあるし、ちゃんと完治するか、長く闘病を必要とするか、一生付き合っていかなければならないものか、最悪の場合は死に至るものなのか、先のことは本人にも・医者にも・神様にも・誰にも分からない。
ただ私も、ちゃんとがん検診は定期的に受けておこう、と思いました。


②健康をお金で買えるとしたら、買う?買わない?

逆の発想で仮定の話をしますが、もし今後「この先死ぬまで絶対にがんにならない予防薬」が発明されたとしましょう。
がんは遺伝子による細胞のコピーミスで起こるものだから、まったく非現実的な話でもないのかな?医学の進歩でどうにかなるの?←知らんケド。

そんな世界を揺るがすような画期的な薬が、1,500万円で販売されたなら、買うか・買わないか、人によると思いますが少なからず考えたり迷ったりはするでしょう。
「絶対的に保証された健康」をもし、お金で買えるとしたら、私は買いたいと思うかも。大金であっても、ローンを組んででも。

それぐらい、健康の価値はお金には換えられないものだと思うのです。

前回の記事で、私の夫が大怪我したことを書きましたが、もしもその時、ドラゴンボールに出てくる「仙豆(※センズと読みます)」が本当に存在したならば、法外な値段で売られていたとしても私は買っていたと思います。
ウン百万円だったとしても。

どんな大怪我もたちまち完治する仙豆(センズ)。
ま、漫画の話ですけどね。これは、カリン様。

病気や怪我の辛さというのは、なってみないと・自分が健康のうちは、案外分からないものです。
健康がどれだけありがたいものなのか、身に染みて感じる頃には手遅れだったりする場合もあるかもしれませんね。怖い、コワい。


③では、お金の価値って何?

私は、お金自体にはなんの価値もないと思っています。

お金だけを持っていても(札束を抱えている状態でも)、何かを買って交換しなければお腹いっぱいにはならないし、寒さが和らぐわけでも・知識が増えるわけでもなく、素敵な恋人ができたりもしない。

お金とは、目安の数字ではあるけれど、何か別のものに「対価として・引き換えとして払うもの」であって、そのお金で得た対象の【物】や【こと(体験)】や【サービス】がどう有益だったかで初めて価値が分かるものです。
同じ100万円でも、使い方によっては無駄にも有益にもなるということです。

例えば私にとっては、100万円の高級時計も宝石も
骨董品や絵画も、ペルシャ絨毯も、ワインも、
がらくたを買うのと同義なくらい無駄なことです。

【健康】のように、お金では買えないものにどれだけの価値を感じるかは個人差があるでしょうが、私は健康には10億円以上の価値があると思っています。

以前、別の記事でも書きましたが、例えば神様に
「10億円あげるから、不治の病になりなさい。」
と言われたら、YESと答える人はどれぐらいいるのでしょうか?
私は間違いなく、NOと答えます。
そんな10億円なんて、私にはなんの価値もないので。

「何に価値を見出すか」「対価として払う金額が妥当かどうか」は、人によるし、国や世代にもよるし、手持ちの資産にもよるし、それぞれだと思います。

私は、高額なお金を使う時は、自分なりの基準を決めています。
 ①QOL(生活の質)が上がるもの
 ②無駄時間の節約になるもの
 ③心躍るような体験になること
 ④健康や自己投資になるもの

などです。だいたいのザックリでも、決めておけば迷わなくなります。
あてはまらなければ、見送ればいいだけの話。

キャッシュレスの時代になり、お金はますます
ただの「数字」になってきましたよね。
デジタルの数字が減っていくだけで、お札が
目の前から消えていく実感がなくなりました。

このように、お金や健康の価値について考える機会があったため、書いてみました。
私見ばかりでしたが、最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。


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