【掌編】善と黒と悪と白

 雷鳴が轟き、空は闇よりも黒い雲に覆われた。魔王城の周りは霧が立ち込め、その場にいる者以外の視界を遮った。人間と魔物で二分された世界、幾多の困難を乗り越え人間側の希望である勇者と悪の化身である魔王がついに相まみえたのだ。魔王の間は瘴気で包まれ、今にも勇者に襲い掛からんとする気迫であった。
「フハハハハハ!! よくぞここまでたどり着いた勇者よ……愚かな人間の中にも骨がある奴がいたようだな……だがそれも今日までのこと。お前はここで死を迎えるのだ!!」
「…………」
 勇者は俯き、剣の鞘を未だ抜けないでいた。魔王はにやりと笑い、悦に至った。
「フッ、恐れを成して声も出ぬか……無理もない。この世界を支配する王の玉座の前だ、恐れぬ方が無礼というもの……勇敢であり身を弁えたお前のことは人間界の良心として語り継いでやろう。さぁ、お前の最期を華々しく飾ろうじゃないか。剣を抜け!」
 地の底から震えが上がるような怒号。城は揺れ、雷がさらに増して閃光を散りばめる。恐怖の権化である魔王を前に、勇者は――
「…………」
 未だ、無言で俯いたままだった。
「……フ、フハハハ! 怯え切っているのか勇者よ! それでも我が同胞を倒し、四天王を退け、この場までやってきた人間の態度か!? 剣を抜け勇者よ! 魔王直々にその所業を後悔させてくれるわ!!」
「……………」
「……ふ、ふむ……恐れ戦き、戦意が喪失でもしてしまったか。ええい、つまらん! そんな状態の貴様とまみえても興が覚めるわ!! 今日のとこは一旦見逃して――」
「…………そういう」
「む?」
 うんともすんとも言わなかった勇者がようやく喋りだし、魔王は内心安堵を覚えながらも勇者のセリフを待った。
「そういう……ところが……」
「は、ハハハハハ! なんだ勇者申してみよ! 態度が気に食わないか? それとも憤怒で煮えくり返りそうか!?」
「そういうところが――」

「めちゃくちゃ羨ましいんだよ! 俺を魔王軍に入れてくれ!!」
「は?」

 勇者がきっかり45度のお辞儀をしながら魔王の元へ近寄ってくる。
「な、何を言っているんだ貴様! 耄碌したか!?」
「いや俺はこの旅で確信したんだ。お前らの方が正しい! 魔王軍のほうが善だって!!」
「本当に何言ってるんだ貴様」
 魔王はこれまでにないほど勇者の圧を感じ、若干怯みながらも勇者を落ち着かせようと手振りをした。
「まずは落ち着け! いったい何を根拠にそんなこと言っているんだ。お前は敵なんだぞ?」
「そうだ敵だ。人類を脅かす悪の権化だ」
「よく分かってるじゃないか。そこから理解してないのかと焦ったぞ」
「だが、旅を続けて敵に会うたびに思った――ここは手下にものすごく気を遣っている職場なのだと」
「職場って言ったか貴様。魔王軍のことビジネスワークだと思ってるのか」
「ああ。俺は忘れないぞ。最初の敵、雑魚スライムに出会った時のこと」

――――――――――――

『スライムが現れたな! よし、覚悟しろ! この剣の錆びにしてくれる!』
『ぴ!』
『覚悟……ん? なんか札が付いてるな、なんだこれ』
 ――【研修中】
『研修……? よくわからんが、とりあえず倒そう。えい!』ザクッ
『ぴ~……』バタリ
『よし、倒したぞ!』

 ~その夜~

 ヒソヒソヒソ…
『……む、どこかで魔物が話している声が聞こえる』
『――で――だから――』
『どこだ、この草むらの中か』ガサッ
『――今度は――そしたら――』
『あれは……ドワーフとスライムか。はっ、まさか寝首を掻こうと……魔王軍、なんて卑劣な!』
『出るんじゃなくて――した方がより良い――』
『……なんだ? 攻撃態勢じゃない……? すこし聞き耳を立てるか』カサッ

『――うん、いろいろ言ったけど、初戦にしてはかなり良かったよ。勇者の前に出てくるやり方も教えた通りばっちり。ポイントは抑えられてたし、そんなに落ち込むことはないよ』
『……ぴ』
『いや、ホントホント、失敗じゃないよ! 研修中とは思えないくらいばっちり戦う態勢になれてたよ。さっきアドバイスした所を加えるとより良くなるって!』
『ぴぃぴ……』
『……わかる、わかるよ。俺も最初はそうでさ、気持ちばかり焦って前線出たら先輩達の足を引っ張って、あっけなく倒されちゃったんだよ。スライム君には同じ思い味会わせたくないってだけ。だから今日のは失敗じゃないよ、経験から学んでいくもんだよ』
『ぴ!』
『うんうん、その意気だよ。着実に強くなって、勇者を一撃で倒すキングスライム大先輩になろうな。応援してるぞ』
 ワイワイ…

 ――――――――――――

「初研修に出て負けて凹んでるスライムに先輩がきっちりアフターケアしていたぞ!!」
 声を張り上げ、勇者は魔王へ訴える。魔王はたじろぎながら言葉を返した。
「ああ、まぁ……彼は研修中だし、初戦はそういうものだ。先輩達がきちんとケアして経験に繋げてもらう必要があるんだ」
「そういうの! そういうのが魔王軍の良いところ!」
「勇者がそんな台詞を吐くな。というかこんなこと当たり前だろう……? 人間側だってそうだろうが」
「当たり前じゃないぞ!! 失敗は己の意思の弱さ! 初戦だろうとなんだろうと負けたもの即ち敗北者だ!」
「極端すぎるだろ。それに、そのくらいの出来事で全体が良いかなんて分からないだろう。我が言うのも何だがな」
「いやまだあるぞ。あれはエリアのボスと戦おうとした時だ」

 ――――――――――――

『ここがゴーレムの住処……! この一帯を支配しているボスと聞いた。絶対に倒して村の平和を取り返さなくては――む、なんだこの一回りレベルが高い殺気は!?』
『ふふふ……よく来たね勇者。その勇気を称えて、この私デュラハンが直々に相手してあげよう』
『四天王の一人、デュラハンだと!? 何故だ、ここはゴーレムが司っているはずだ!』
『お前の噂を聞いてね、このまま放っておくと脅威になると感じたのだ。喜べ勇者、私が人間を褒めるなど無――』
『それにしても早すぎるではないか! まだ冒険を初めて数週間、魔王城への道のりは遥か彼方なのに、この段階で四天王が現れるなどおかしい!!』
『……わ、我ら四天王に常識など存在しない! 私が貴様を早々に倒し、愚かな人間に恐怖を与えてやるの――』
『いや納得できない。噂が流れようと、まだ序盤だ。ボスと戦っていないのに力量が分かるはずがない。いったんゴーレムと戦わせておけば良いだろう……何故四天王が出てくる? 何故だ?』
『あ……いや、それは』
『納 得 で き る 理 由 を 聞 か せ ろ』
『う……そ、その……』

『……ゴーレムが家庭の事情で有休を取ってるんだ』

  ――――――――――――

「部下の穴埋めを上のレイヤーボスが努めてたぞ!!」
「怖い怖い怖い、お前のその歪んだ正義感から生み出される圧が純粋に強すぎるぞ。魔王だけど恐怖しちゃってるぞ我」
 気づけば魔王は若干勇者と物理的距離を取っていた。そんなことはつゆ知らずといったように勇者は一方的に話をつづけた。
「きちんとゴールドも四天王戦の単価で渡してくるし、本番の四天王戦では攻撃手法をしっかりと変えてきていた! ここまで配慮できる魔王軍が羨ましくないはずがない!」
「きっちり戦って倒しているのも輪にかけて怖い。四天王は幹部であり上の立場だから、当たり前のこととして手下のフォローをしているだけだぞ」
「人間界ではそんなことは概念に過ぎなかった! ほかにもある! ダンジョンではセーブポイントを要所に設け、回復アイテムをさりげなく宝箱に補充し、出入りの武器商人へ通行許可を与えてる!」
「そうしないとフェアではないからな。我はアンフェアな決戦は好みじゃない」
「フェアを考える時点で素晴らしいということに何故気が付かない!?」
「我は今怒られているのか? 頭痛がしてきたぞ」
 こめかみの辺りを抑えながら、魔王は目を輝かせ話す勇者を見る。
「とにかく、こんなに行き届いた配慮ができるなんて、魔王軍はさぞ理念や方針が立派なんだろうと確信した! だから俺は魔王軍を志望する! さぁ魔王。早く採用面接を行ってくれ。それとも履歴書が必要か?」
「採用の手順が整っている前提で話を進めるな……」
「頼む! 俺はこのままお前と刺し違えることはできない!! 俺は魔王軍になるんだァ……!」
 しまいに、勇者は大声をあげて泣き出しその場に座り込んでしまった。魔王は呆れてその様子を眺めていたが、しばらくしてはぁと大きくため息をつき、勇者の顔を覗き込むようにしゃがみこんだ。
「……勇者よ、なぜそんなに魔王軍にこだわる? 人間界で生きてきた、人間の味方だろう?」
「……人間界なんてろくなもんじゃない。魔王を倒さないと平和が来ないなどと言いながら、討伐の名乗りをあげてくれる人が現れるまでダンマリだ。いざ俺が名乗り出たら、勇者などと祭り上げるわりに武器もゴールドも支給はナシ。『正義の人間が金や十分な保障が欲しいなど間違っている』とほざく始末だ」
「……」
「なぁ魔王、善と悪って何をもって決まるんだ? 人間は、人間が正義で魔王軍が悪だと思ってる。けど人間は”正義だから正しい”と決めつけてどんな行動も正当化する。魔王軍のモンスターを倒すことは正しくて、思いやりや助け合いが無いことも自己責任といって正しいと言うんだ。俺は、俺らは、本当に善なのか?」
 勇者は淡々と語っていく。喉の奥で飲み込んで固まった泥を吐き出すように。魔王はじっとそれを無言で聴いていた。
「旅を続けて、魔王軍のモンスター達の関係を見て、『ああ、きっとこいつらはこいつらの善と正義の中で生きてるんだ』って思ったよ。俺はそれを踏み荒らす悪で、こいつらにとっては俺が悪なんだって気づいて――」
「ちがうぞ」
 自棄になりかけた勇者の言葉を、魔王がぴしゃりと止めた。勇者は魔王へ目線を向けた。魔王は真剣なまなざしで勇者を見つめ返した。
「我々はお互いの善と正義で戦うんだ。どちらかが確実な白か黒かの二択ではない。それ故に我々は全力で戦うのだ。正義と正義をぶつけて”負けた方が勝った方にとっての悪”になるだけだ。……ただ、それだけのことだ」
「……魔王」
「お前がどう言おうとも、我々はここで決着を付けるのだ。人間の代表と、魔王軍の代表が戦う。戦いは勝つか負けるかの二択だ。引き分けなどない、最もフェアな善悪の決め方なのだ。だから立つんだ勇者よ! お前の正義と我の正義、今ここで火花を散らすのだ!!」
 魔王の言葉に、勇者の目に光が宿った。腹の底から熱いものがこみ上げてくる。勇者は目元を袖で乱暴にこすり、魔王の前に立ち上がった。その様子を見て、魔王はにやりと満足そうに笑みを浮かべた。
「魔王、俺はお前に会えて良かった」
「……フッ、我もだ。忘れることはないだろう」
「この結果がどうであれ、俺は後悔しない!」
「そうだ勇者よ、その意気だ! さぁ剣を抜け!!」
 勇者は剣を鞘から取り出し構えを取る。魔王はその構えに真っ向から立ち向かう態勢を取った。そして、刹那、雷鳴がひとつ鳴る。その音より早く、二人は距離を縮めていく――
「行くぞ! はぁああああああああ!!」
「うぉおおおおおおおおお!!」
 ――――――――
 ――――
 ――

「……ガハッ……ぐぅっ、勇者、よ、お前はやはり、強かった……! さぁ、その剣で、トドメを刺すがよい……っ!」
「……」
「…………トド、メを……」
「…………だ」

「だめだ! 俺にはトドメを刺すなんてできないっーー!!!!」
「いやもうそこはスッとやってくれ頼む」


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