【掌編】問題:動き続ける点Pを求めよ

「せんせー、問2の動く点Pの速度が求められません」
「おいおい、中山。早々に諦めるんじゃないよ。どれ、見せてみろ……あれ、えっと? 待ってなさい、今先生も計算しま――」
「せんせー、点Pが動き出して教科書から逃げ出しました」
「いや、慌てなくて大丈夫だ。先生がすぐに解いて……おかしいな、どこかで計算ミスしてるか?」
「せんせー、窓から点Pが出ていきます」
「あぁ、まずいぞ。塾長、塾長!」
「どうしたんだそんなに血相を変えて……」
「すみません、いや、この問題の点Pが求められず窓から逃げ出しまして……」
「おいおい、大問題じゃないか! 小杉先生! 高島先生! 緊急事態です至急計算を!」
「どれどれ……なんでだ、解けないぞ!?」
「おかしい、一定値にならない。それどころか計算する度に徐々に速度が増えている気が……」
「せんせー、もう点Pが商店街の方に向かってる!」
「仕方ない、警察と救急に連絡を! あぁ、とんでもないことになったぞ……」

 その110番通報を受けてから約130分後、首相官邸内に設置された緊急対策本部では首相をはじめ錚々たる顔ぶれが揃って議論を始めていた。
「動く点Pは都内の塾から出現、その後依然止まることなく南下中です。点Pの答えを求めない限り活動を停止することはないでしょう」
「警察の初動防衛数学班は?」
「総出で計算しましたが点Pの速度は算出できなかったとのこと。通常のパソコンでは計算中にエラーが発生、現在京都大学にてスパコンを使用した計算を試みています。同時に量子コンピューターの使用も視野に入れて各所に調整中です」
「点Pに関する詳細は?」
「点Pは速度が徐々に増えており、現在は時速7㎞ほど。走っているのと同等のスピードですがそのうち目測が危ぶまれる領域になるでしょう。やっかいなのが質量を持ち始めているということです。現在はほぼコピー用紙一枚分の重さ程度ですが、スピードと質量が増えていけばその分危険が増すのは想像に難くない」
「速度と質量、その二つが点Pを求めるのを難しくしているのか。スパコンの様子は?」
「計算途中でフリーズします」
「……ならばどうすれば良い? コンピューターでも計算できないものをどうやって止める?」
 その場にいる誰もが口をつぐんだ。しばらくしてから、その重苦しい空気を払うように、それまで沈黙を貫いていた初老の男が手を挙げた。
「私の古い友人に、かけあってみますよ。彼ならおそらく――」

 兵庫県A市、雲海で知られる城がシンボルであるこの地に彼は住んでいた。市街地から離れ、織りなす山々の麓。そこにひっそりと建てられた三角屋根の家の前に不釣り合いな黒光りのセンチュリーが止まった。運転手がドアを開け初老の男が下りていく。舞い込んでくる澄んだ森の空気を吸い込んで深呼吸をすると、男は家のベルを鳴らした。
 しばらくして、ドアの向こうから不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「……しばらくぶりだな。話は事前に聞いている。断る」
「旧い友人の頼みだと思ってくれ。お前の名前をもう一度日本中に轟かせよう」
「断ると言っている。そんなもの、弟にやらせればいいだろう」
 初老の男はやれやれといった様子で肩をすくめた。そして後ろで厳しい目を光らせているSPに離れて待機しているようジェスチャーを送った。ドア一枚を挟んで対峙し、初老の男は話を続けた。
「未だ弟、か。弟さんは元気にしているか?」
「元気だとさ。最近子供が小学校に入ったって言っていたよ。さぞ優秀に育つだろうよ」
「子が親に似るとは限らない。のびのびと育ってほしいものだ」
「どうだかな」
 初老の男は目を細めて木々の木漏れ日に目を向けた。
「……確かに、弟さんは優秀だ。何をやっても成績優秀、スポーツ万能。おまけに商いの才もあるとは驚きだったよ。日本中の誰もが彼を求めていた」
「それに比べて、兄の俺はあいつの後を追ったり、池の周りをほっつき歩くことくらいしかできねぇんだ」
「だが、君も求められる立場だったじゃないか」
「求められるだと!? あんなの弟のおまけみたいなもんじゃねぇか! なぁ、あんたは立派になったよな。弟と俺が日本中から求められたおかげで、あんたは大臣サマになってよ。ところが俺はどうだ!? 弟がいなけりゃ存在だってしてないようなもんじゃねぇか! 俺には何にもない……一人じゃ誰からも求められなかったんだ……」
 ドアの奥から悲痛な叫びが轟く。積年の思いを吐き出すかのように。初老の男は帽子を深く被り直し、そっと、だが強い意志をもって彼に言葉を返し始めた。
「それでも私はあの点Pに追いつけるのは世界中を探しても君しかいないと思っている」
「……なぜだ」
「君は確かに弟にコンプレックスを抱いているかもしれない。自分には何もできないと思っているかもしれない。――だが違う。君は、どんな状況にいたとしても必ず追いつけていたじゃないか」
「……っ!」
「そうさ。君はどんな時でも、どんな速度で弟が歩いて、走っていたとしても必ず後から追いついた。池の周囲を歩けば必ず二人は出会った。そこには必ず答えがあったじゃないか」
 初老の男の声は力強くなっていき、ドアの向こうへ確実に届けんとしていた。
「例えどんなに不利な条件であっても、君は必ず追いつく。そうやって日本中の誰からも追い求められてきたんだ。弟だけじゃない、君がいて、この日本の教育が成り立ってきたんだ」
「……大臣……」
「私も君のおかげでここまでこれた。だからこそ最も信頼しているよ。あの動き続ける点Pに後から追いつけるのは君だけだ。頼む、この日本を救ってくれ。君にしかできないその力で!」
 ドアの向こうからは返事が無かった。その代わりガチャリと重い錠が開く音がした。そして、ゆっくりとドアが開いていく。
「……俺にしかできないんだよな。文部科学大臣殿」
 その問いに初老の男はにこやかな顔で答えた。

「そうだ、君だけが点Pに追いつける。――たかしくんのおにいさん」

 

「中山こら起きろ」
「てっ」
 バスっと丸めた教科書で後頭部を叩かれた。顔を上げると、不機嫌そうな先生がこちらを睨みつけていた。
「あれ……たかしくんのおにいさんは?」
「たかしくんのおにいさん……? 中山、数学の夢でも見てたようだな。今は歴史の授業中だぞ」
 周りの生徒たちが僕を見て一斉に笑ってきた。そうか、あれは夢だったのか。頭をさすりながら眠たい目を袖で拭った。先生はやれやれといった様子で教科書を開きなおした。
「全く、それじゃあ授業の続きを。えー令和5年に起きた未解決問題による点Pの脱出で、日本列島は東西に二分割されましたが――」


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