【掌編】酒とバーと男と女

「マスター、席空いてるかな?」
 一人でお気に入りのバーで飲んでいると、そんなことを店先から大声で確認してくる男女二人組が入ってきた。俺は雰囲気がぶち壊されると嫌な予感がしていたが、結論から言うと大正解だった。
「ええ、空いてますよ。どうぞこちらへ」
 いつものように柔和な笑みを浮かべたマスターが奥の席を促すと、どかどかと男が女を連れてカウンターに座った。
「凄く良い雰囲気ですねー」
 長髪ロングでモデルのようなスタイルの女が辺りを見まわしながら呟くと、ストライプシャツの前を大きく開けた男がそうでしょ、と大きく相槌を打った。
「いやここね、ホントおススメ。こういうとこ中々来ないでしょ。マスターが一級品のカクテル出してくれるんだよ、ね、マスター?」
「お褒め頂き光栄です」
 マスターは笑みを崩さずそう返し、二人におしぼりとメニューを渡した。そこからの二人の会話は――聞きたくなくても聞こえるもんだから――酷いもんだった。
「お酒、何好き? みやちゃん結構飲める感じかな?」
「そんなことないですよぉ。嗜む位です」
「そっかそっか。俺もまぁ弱くはないって感じかな」
「そうなんですね。こういうお店は行き慣れてるんですか?」
「ああまぁ、人並みにかな。たまに一人で有名なオーセンティックバー回ったりするかな。最近だと銀座の○○に、南青山の××とか行ったかな」
「凄いですね、私そういうお店に行く機会が無くて……」
「全然連れてく連れてく。いくつかお気に入りの店あるから、今日で雰囲気慣れたら今度行こうよ。あ、ごめんね一方的に話しちゃって。メニューの中で知ってそうなお酒ある? 無かったら最初は俺が頼んじゃおっか。あ、すいません。俺はアードベッグをストレートで。あと彼女にはアレクサン――」
「あ、そーだ。友達に教えてもらったカクテルがあるんです。それを頼んでもいいですか?」
 女がマスターにそう訊くと、マスターはにこりと微笑み返した。
「もちろんです。材料があるものであれば」
「じゃあシンデレラっていうのをもらえますか?」
 すぐに「承知しました」と返し、マスターは材料を並べ始める。
「へー、シンデレラ? 可愛い名前のカクテルだね」
「そうなんです。名前が可愛くて、それで覚えてたんです」
 そんな会話を繰り広げる最中、マスターは俺に向かってチェックをするかアイコンタクトを取ってきた。俺は大丈夫とかぶりを振ると、少し窮屈そうに微笑んで、それからサービスだとナッツの盛り合わせを置いてくれた。
 そして、鮮やかな手つきで二人分のドリンクを作り始める。女がわーと小さく感嘆の声を漏らすと、その様子を見ている男は満足そうに頷いた。どうせ事が順調に進んでいると思ってるんだろうな。俺はけっと心の中で毒づきながら手元の酒を飲み進めた。
「お待たせしました、アードベッグのストレートとシンデレラです」
「はーいどもども。じゃあ、お近づきの記念に乾杯」
「かんぱーい」
 わざとらしくグラスを鳴らし、二人は飲み始めた。

「俺の仕事はまだベンチャーの粋を出てないけど、これからの世の中で必ず目にするサービスを提供するはずなんだよね。俺はそれを心の底から信じてるし、仲間も俺のビジョンに賛同してくれてる。社長じゃないんだよね、俺は。どっちかっていうと周りの一人一人が社長で、俺がその基盤を支えて上げてるって感じ。あ、マスター。カリラをロックで」
「やっぱり意思を持ってる人って素敵だと思いますー。私はそういうのあんまりないから……あっすみません、私はサマー・デライトをいただけますか?」

「それでね、車って旧い考えかもしれないけど社会人のステータスの一つだと思うんだよ。俺は投資的な意味合いもあってポルシェのオーナーだけど、やっぱりそれもラグジュアリーだけで決めてる訳じゃない。コスパが最も優れてるのがポルシェなんだよ。エンジン、デザインどれをとっても乗り手に重厚な満足感を与えてくれるんだよね。次はみやちゃんもぜひ乗ってほしいな。……あぁ、グラスが空だね。次はロングアイランドアイスティ―なんてどうかな。このお酒はね――」
「さっきのお客さんが飲んでた綺麗な色のカクテル気になるなぁ。同じものをもらえますか?」
「かしこまりました。バージンブリーズですね」

「――でさ、そんときに、ここでは言えないけど某検索エンジンの企業の社長がさ、『君には可能性を感じる。是非うちで働いてくれないか』って言う訳。俺も正直悩んだよ? けどね、俺は夢があって、絶対起業してその夢を叶えたい。そのときに手伝ってくれないかって言ったのよ。そしたら社長が俺の手を握ってくれて」
「すごい、そういうとこ憧れちゃいます。すみませんマスター、次はキールっていうかっこいい名前のを!」
「えー、凄いねみやちゃん。めっちゃ飲めるじゃん! いいねいいね」

 中身があるようでドーナツの穴のように欠けた話を延々として、それに対して女が献身的に言葉を返す。一周回って面白くなって二人を観察していたが、実に延々二時間同じことの繰り返しであった。しかしそれも男の酔いが回ってきたのか、話がだんだん女を誘うことに寄ってきた。
「みやちゃん、俺まじでみやちゃんのこと好きだと思うわ。こんなに魅力的な娘いないよ」
「ありがとうございます、そう言ってもらえるの本当嬉しいです……!」
「いやまじで、まじで本気、本気よ……どう、別のとこで飲み直さない?」
 若干呂律が回っていない首まで真っ赤な男に対し、「だいぶ飲んでますけど、大丈夫ですか?」と女はお冷を差し出しながら答えた。
「だいじょうぶだいじょーぶ……みやちゃん実はそうとうお酒つよいっしょ。同じペースで飲んでるもんね」
「そうですね、私もだいぶ酔っぱらっちゃいました……もう時間も遅いので、ここは出ましょっか」
 女がマスターにお会計を求めると、男が高そうなブランド財布からなんとかカードを取り出し女に渡す。
「これで払っといて」
「いいんですか?」
「いーっていーって。マスター、よろしくぅ」
 そう言うと、男はぐでんと首を辺りに振り回しながらお冷を飲んだ。すでに自分の体を制御できないようだ。マスターは会計を終え、カードを男に戻そうとすると女がスッとそれを受け取った。
「お会計終わりましたー。行きましょう」
「お、行こうか。うんうん、次はね――」
 男を若干押し出すように、女はマスターに礼を言い店を出ていった。ようやく静けさが戻った店内に、俺のため息が大きく響く。そして特に怒りもせず柔和なままのマスターがカウンターを片づけ始めた。
「いやぁマスター、散々でしたね。あれは酷い」
「少々困りましたが、そうでもないですよ」
「だってさぁ、終始男はあの娘のこと狙っててさ。ぎらぎらしてたよ最後まで。出ていくときなんか釣れたぜみたいな表情浮かべちゃってさ」
「そうですか」
「どう見てもそうですよ! 男がひたすら何も知らない女の子に酒飲ませてさ、やっぱ男って浅ましいよ。女の子も可哀そうに――」
「いえ、恐らくはその逆です。釣られたのは彼の方ですよ。……恐らくお金的な意味で」
 マスターにそう返され、俺はえっと声を上げてしまった。
「えっ、どういうことですか」
 マスターは二人が入ってきた時と変わらず柔和な笑みを浮かべたままこう返した。

「彼女、最初から最後までノンアルコールカクテルしか飲みませんでしたから。多分一番飲み慣れてますよ」

 唖然としながら、俺はアルコールか寒気か分からない身震いをするだけだった。

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