【掌編】お膳立て

「新人、そうじは終わったか?」
「もう少々!」
「あぁ、わかった。いそげいそげ。じきに来てしまうぞ」
 新人のぼくがひぃひぃ言いながらそうじをするのを、腕組みをしながらリーダーは厳しい目つきで監視していました。
「いいか、どうか少しも疑われることの無いようにするんだ! 入り口はこの店の顔だ! いっとう高級な店だと思ってもらえるようにな!」
「はいぃ」
 そうは言ってもぼくは最近雇ってもらったばかりの新人。何をするにも「何をしてるんだかなぁ」とまわりに笑われてしまうぼく。でもこの仕事はみんながうらやむ憧れの仕事。
 なんで雇ってくれたのか不思議だけど、その分みんなより頑張るんだ。
 ほうきをぱたぱた、ちり取りがしがし。そうして時間はちょっとかかりましたが、店の入り口をぴかぴかに磨きあげました。
「終わりました、リーダー」
「よぉし、では確認だ。ふむふむ……」
 リーダーは床や窓のあちこちに指をすりつけ、ほこりがないかを見ていきます。ぼくは心臓がばくばくするのを感じながら、リーダーの言葉を待っていました。
 しばらくしてから、リーダーは振り返りにやりと笑って
「ふむ、合格だ。やはりお前にはそうじの才能があるな」
と言ってくれました。ぼくはなんだかむずがゆくて、変ににやにやすることしかできませんでした。
「だが、まだ序の口。さっそくつぎの部屋の準備をするぞ。来い!」
「はい!」
 ぼくは足早に扉へ向かうリーダーの背中を追いかけていきました。

 つぎの部屋は、身だしなみを整える部屋です。姿見やげた箱がとても美しい彫刻で着飾られています。ここだけでぼくはとても満足して暮らせるような気もしてきます。 
「ここも重要な部屋だぞ。不快な思いをさせないよう、ここで十二分にきれいになってもらうんだ」
「へぇ」
「さ、わかったらそうじする!」
 リーダーはぼくのお尻をひっぱたきながらそう言いました。ぼくはちょっとひりひりするお尻をさすりながらあちこち磨いていきます。リーダーはそのあいだ、忙しそうに食材リストと書かれた本を見てはうんうんと唸っていました。
「あぁ、そうか。おい、新人。あとでとなりの部屋に黒い台を運んでくれ。あぁ、それからそのつぎの部屋にある金庫にはかぎをつけてくれ」
 たくさんのお願いをいっきに頼まれて、ぼくは目をぐるぐるさせながら、なんとか覚えようとしました。
「はい、はい、わかりました。それはなにに使うんですか」
「なにって、そりゃあ身支度をうんときれいにしてもらうためだ」
「この部屋だけじゃきれいにならないんですか?」
「そうだ。あれこれたくさん用意して、念には念を入れて準備しないと上等にはならないからな。たくさん下げ札があるだろう。あれにはひとつひとつ細かく確認するように書いているんだ」
「どうしてですか?」
「安全に食事をたのしめるようにさ。金目のものや尖っているものはそのままにしては危険だからな。金庫も用意しておいて……いや、こんな話をしている場合じゃないんだ、いいから早く、頼むな」
 ぼくはおなかが空くのを感じながら、手と足を倍に動かしていきました。

 
 たくさん部屋があるので、たくさんそうじをしなきゃいけませんから、ぼくはとてもおなかが減りました。だから、ちょっとだけ、このガラスつぼに入ったクリームをなめてしまいました。とってもおいしい乳の味がします。ひと口食べたら、もうひと口いいじゃないかと、ぼくはまたつぼに手をさしこんで――
「こらぁ!! 新人、なにをやっているんだ!!」
 ぽかりと頭をげんこつで殴られました。リーダーは鼻息を荒くして、全身の毛が逆立ってしまったかのようにぼくを叱ってきました。
「ごめんなさい、だって、おなかが空いたんだもん」
「まったく、これはいっとう良い牛の乳から作ったクリームだぞ! それをあろうことかぺろぺろと!」
「ごめんなさいごめんなさい。もう食べないから許してください」
 ぼくは罪悪感でいっぱいになって、気づけば目から大つぶの涙を流していました。リーダーはしばらく腕を組んでだまっていましたが、その腕をほどいてぼくの頭をもう一回こつんと叩きました。
「まったく。今回は許してやる。いいか、この仕事が終わったらごちそうにありつけるんだ。お前だけじゃなく、親分やみんなが幸せになるごちそうだ。それを作るための重要な仕事を、お前はやっているんだ。これはお前にしかできないぞ」
「……ぼくにしか?」
「ああ。おれはお前に『そうじの才能』があるといった。細やかな気づかいができないものにはそうじができない。お前はそういうところが良いところだ」
 そう言って、厳しくて優しい目をしたリーダーがおしえてくれました。そうだ。この仕事はみんなのために美味しい食事を届ける仕事だ。こんなぼくでもみんなのために役に立てるんだ。
 ぼくは腹のなかから熱いものがこみ上げてくるのを感じました。
「リーダー! ぼく頑張りますね!」
「ふふ、その意気だ。さぁ、あともうすこしの辛抱だ。もうすぐ食材がやってくる。お前のおかげで上等な食材がかかるだろう。あとはすぐに食べられるように、味つけの準備だ。吹き付けびんに入れたお酢と壺いっぱいの塩を用意してくれ!」
 ぼくはリーダーの言葉より早く、ものおきへ駆け出していきました。

「どうも腹が空いた。さつきから横つ腹が痛くてたまらないんだ。」
「ぼくもさうだ。もうあんまりあるきたくないな。」
「あるきたくないよ。あゝ困つたなあ、何かたべたいなあ。」
「喰べたいもんだなあ」
 二人の紳士は、ざわざわ鳴るすゝきの中で、こんなことを云ひました。
 その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。
 そして玄関には
  RESTAURANT
  西洋料理店
  WILDCAT HOUSE
  山猫軒
といふ札がでてゐました。

――宮沢賢治「注文の多い料理店」より

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