息するように気張ってる
ピンと張ったテグスのようにしたくなる。
だから、もしゃもしゃになった思考の糸を解していく。
これを怠ると、きっとまたいつか、
海綿のように、ずぶずぶのスポンジのように、
自分の中で想いが膨れ上がってしまう気がして。
強迫観念のようなものなのかもしれない。
私は、時折息をするのを忘れてしまっているかのよう。
でも、その実、
「息をするかのように気張っている」。
「頑張る」と「気張る」は似ているようで違う。
でも、どちらも用法容量を守らないと、
自分自身への負荷となって、
ブーメランみたいに自分に返ってくる。
今はまだ、「気張り始めた」サインに気付けている。
いつか、そのサインに気付けなくなった時、
きっと私はもしゃもしゃの中に埋もれているだろう。
だから、毎日緩めたり縮めたり、
深呼吸して、頭の中を空にして、
「気張る」自分をなぐさめる。
周りを見てごらん。
どんなに気張っていても、気張っていなくても、
別に誰も気にしちゃいない。
誰にも気にされないことが、
苦しかった時期もあったけど、
こんなに自由なのか、と思う時も増えた。
私が私自身を縛らないために、
何をしたいか考える岐路に来ているかもしれない。