学校に置いてほしいし、とにかく多くの人に読んでほしい。そんな本です。


読書感想文 「差別はたいてい悪意のない人がする」 著:キム・ジヘ


すみません、読書感想文に入る前に少し私の昔話をします。(飛ばしてもらっても大丈夫です。)


私は、「これが男女差別か」とはっきりと、感じた出来事がある。

それは、以前の職場での出来事だった。
男性が10数人、女性は私ともう1人という部署に所属していて、入社して1ヶ月も経たないころに急に上司からメールが来た。
私ともう1人の女性と、男性の上司ら5人くらいの飲み会に誘われたのだ。

「部署の飲み会のお誘いならまだしも、特に仲が良いメンバーではないのになぜ私が誘われたんだろう?」と疑問に感じていたら、メールの最後にこう書かれていた。

「おじさんばかりだとなんだから○○さんと△△さんも誘いました」


え~~~~~~~~~~??


なに、それ・・・?


要は「お酌してニコニコして女性として俺たちをもてなしてね」ってことですよね…?

このとき、会社の、入社まもない頃で信頼関係もまだ構築できておらず特別仲が良いわけでもない人に、「会社で働く1人の人間」ではなく、ただの「女性」として見られたことが嫌だと感じて、飲み会を断った。

(誘ってきたその上司になんの悪意もないことはわかっているが、悪意なく「ただの性別としての女性」と扱われたことが嫌だった。)



そんなことがあったり、あとは、友人に「恋人がいる方が幸せマウンティング」を無意識にとられたり(その時のことを書いたのがこちら→https://note.com/yuki_tanosiku/n/ne32af70e3234)



そしてここ数年でフェミニズムについての本を読んだりしていたので、この本のタイトルを見て「これは絶対興味深い!」と思って買いました。

このnoteのタイトルにも書いたように、マジで多くの人に読んで欲しい!(語彙力)って思った本でした。



「差別がダメ」と認識してる人が多い中でなぜ差別がなくならないか?
それは、私たちがあまりに差別や人間のことを知らなすぎるからだと思った。

たとえば、風邪をひいて高熱が出た時に、解熱剤を飲んで安静にするという方法を知って実践するか、解熱剤の存在を知らずに間違った方法を試すか、どっちが早く風邪を治すことができるかは一目瞭然だろう。

それに、「解熱剤がなくても、愛情を持って抱きしめれば風邪は治る!」というように感情でどうにかできることでもない。

差別もそれと同じで、適切な知識が必要だということをこの本を読んで知ることができた。



そして、この本を読むのはとても時間がかかった。
というのも、内容がとても難しいからというわけではなく、とても衝撃的でショックだったから。

それは、私は「知らず知らずのうちに差別をしていた」ことと「知らず知らずのうちに差別の影響を受けていた(かもしれない)」ということだ。

(★★以下、本文を少し引用するので、ネタバレがあります。★★)



今でこそ私は自分の発言に気をつけないと誰かを差別したり傷つけている可能性があると思っているが、数年前はそんなこと全然考えずに発言していた。

「結婚するのが普通」というような発言をしたり、同性愛をちょっといじるような発言をしたり。 
でも、きっと、今でも私は差別や偏見の発言をしているだろう。

本の中に、”私たちはまだ、差別の存在を否定するのではなく、もっと差別を発見しなければならない時代を生きているのだ。”とあったように、「自分が差別してるかもしれない」という目線を持つことが大切だと思った。

これは、一見ネガティブで悲しい言葉に感じるけど、そうじゃない。

「差別がないよ」と言うと、差別で苦しむ人の存在も否定することになってしまう。
そうではななく、差別したくて差別してる人なんて少ないであろうからこそ、「その発言差別だよ」と気づかないといけない。

本文にあったように”差別しないための努力”を意識的にしていかないと、きっと差別はなくならない。



そして本の中で「大学の専攻分野で性別の割合が1:9など極端な場合、それは差別だろうか?」という話がある。

これを話した時に多くの学生が「強制されたわけではなく自分で選んだ結果だから、差別ではない」という意見だったそうだ。

しかし、本の中でこんな実験も紹介されている。
数学で同じ学力の男女にテストをした時のこと。テスト直前に「この研究は性別による数学能力の差を調べるためのものです」と言ったら、本来同じ学力のはずなのに女性の方が低い結果になったそうだ。
否定的な事柄を意識すると物事の思考能力が落ちるということらしい。



と、いうことは、本来は「女性=理系科目が苦手」でなくても、「女性は理系科目が苦手だよね」と世間が言い続けることで、本来の力を発揮できずにその通りになってしまうという。
(全員がそうではないけど、そういう傾向があるということです。)

そして、この章の最後には、このように書かれている。

”もしも差別のない状態であったとしても、人はいまと同じような選択をするだろうか。固定観念や偏見のない社会で育ったとしても、私たちの関心と適性は、ほんとうにいまと同じだっただろうか。”



私はありがたいことに(?)女性だけど理系科目が得意だったので大学は理系だった。
それに、直接的に「女なのに理系の大学に行くのか」などと言われたことがなく、幸せだなぁなんてまぬけなことを考えていた。

でももしかしたら「理系は女性が少ないからこそ、得意なのが嬉しい」という気持ちがあったかもしれない。それが悪いということではないけど、固定観念の影響を受けていたかもしれない。

またそれ以外でも、転職活動をするたびに、自分が「女性」で「結婚していて(結婚していた時)」、「子どもをもった場合のこと」や「夫がいて家事をしないといけない」ことを何度考慮しただろうか。
もしかしたら私は人生の大きな選択や小さな選択で偏見や差別の影響を受けていたかもしれない。
私は今の自分に不満があるわけではないけど、差別や固定観念がなければ全然別の道に進んでたかもしれない。



それと改めて強く感じたのが、知識や情報を得ることの大切さ、感情だけで判断してはいけないということ。

こういう差別とか人権を考えるときに、「人の嫌がることはしない」みたいな感情論がある。
けど感情論だけではなく、きちんと適切な情報を知ることが大事だと思った。


例えば、本にはこのような例があった。
男女の割合が98:2という極端に違う会社で、これから採用する社員の男女の割合について50%、10%、2%という状況を考えたときのこと。

女性は、女性が50%の状況を「より公正」と感じて、男性は女性が2%の状況を「より公正」と感じるのだという。そして女性が10%という状況だと男女共に「公正」と感じるそうだ。

もし、感情だけで判断して、「男女共に公正と感じた10%に決定」となっても、実際には男女平等ではない。
それでも感情では「公正だ」と感じているから、平等ではないのに平等な社会だと錯覚してしまう。


これで思い当たるのが、たとえば女性差別の話が出た時に「でも女性はこんなことで優遇されてるじゃないか!」みたいな反論だ。
これも、平等じゃないのに平等だと感じているから反論が起きるんじゃないかな。
そして、本を読んでいる時にまさに私自身が平等だと勘違いしてしまったことが次のことである。



本の中でアメリカの人種差別についての記載がある。
アメリカで、「人種差別が昔よりどれだけ改善されたと思うか」というアンケートで白人は「かなり改善された」、黒人は「あまり改善されていない」と回答する傾向が高いらしい。

私はアメリカに行ったことがないからアメリカの人種差別に対するものが実感としてわからない。けど、一瞬「オバマさんが大統領されていたし、差別は改善されてるのでは?」とふと思った。

・・・けど、それこそ、さっきの男女比率の異なる会社の話と同じだ。女性の割合が少し増えて男女差別がないように感じるのと同じことやん。

このように悪意なく無意識で、差別を差別じゃないと感じたり、偏見や固定観念を持っていたりする。



これを読んだところで、すぐに自分の発言や行動すべてを差別や偏見のないものに変えるのは難しいと思う。
それほどまでに、知らず知らずのうちに差別の加害者にも被害者にもなっているということだ。

私は以前、女性差別が嫌だという話とセットにして「日本のおじさんたちが…悪い」みたいな発言をしていたことがあるが、そういう発言はしないように今は気を付けている。
私自身が「女性はこう」「女性だから」と言われるのが嫌なのに、「おじさんだから」とひとくくりにして偏見を持ってしまっていけない。

ほんの少しでも発言や行動を変えていくことが、少しでもよりよい未来につながると信じたいし、そうであってほしい。

本の内容は、他にも多くの例をあげて差別や偏見に書かれていて、内容が濃く、読むのに時間がかるけど、個人的にとてもおすすめだから、気になった人はぜひ読んでほしいです。

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