見出し画像

「やりたいこと」はあるだけですごいけどなくてもいいんじゃないのか

高校生くらいの頃から、なぜか「好きなこと」を仕事にしないといけないんじゃないか、と思ってました。
むしろ、他に仕事につくためのモチベーションをどこに求めたらいいのかわからなかった。
時代の空気がそうだったのかなぁ。

それは大学生になって就職活動を始める頃になっても変わりませんでした。
変われなかった、と言うべきか。
だから、自分の興味のあることにつながる仕事を考える、探す。

これ、いいやり方なんじゃないの、と思われるかもしれません。
でも、これはそれなりに私を苦しめました。
趣味で興味のある世界が、仕事でやりたいこととも限らない。
自分に向いているとも限らない。
本当に「やりたいこと」なのか、うっすら疑問に思いながらもそれに気づかないフリして、これがそうなんだって思い込もうとしていました。

私は大学生のときに本当に舞台やライブや映画などに救われてきました。
でも思ってた。
私はいつも、もらうばっかりだ、と。
みせてもらって救われるばかりで、私にはなんにもない、と。
そんな自分を情けなく思ったりもしてて、だから、今度はそんな業界を支えるような人間になりたかったんです。

結論から言えば、向いてなかった。
業界の端っこを目指せそうな仕事についたものの、まず不規則な働き方が体に合ってなかった。
残ったのはボロボロの肌と体と、疲れた心。

私は、一般企業に就職して地道に働くことを嫌だと思わない人たちが心底うらやましかった。
それでもまだ、自分の心の奥深くまで潜って「やりたいこと」を探し、仕事にできないかと思っていました。

たぶん、仕事として本当に「やりたいこと」は、実はその時の私にはまだ見つかっていなかったのだと思います。

疲れた心でひねり出した「やりたいこと」が本当はそうじゃなかった。
そんな自分にガッカリする。
そんなことを何度か繰り返しながら、私は20代も終わりの気配がしてきた頃にようやく、言われたことはなんでもやってみようと覚悟を決めて、ある会社に入社します。

そこで様々な経験をさせてもらってようやく、ひとつの会社で真剣に働き続けることの意義を実感できたように思います。
そこから紆余曲折ありまして現在は保育士なわけですが。

やっと今、仕事として「やりたいこと」を仕事にできたんだなって感じています。
いや、仕事にできたっていうか、真剣にやっていくうちに「やりたいこと」だったと実感したというか。
これがわかるまでには、すごい回り道をしたかもしれません。

だけど私にとってはどれも必要なプロセスだったなと今は思える。
あらゆる経験や自分の思考が役に立っている。
それぞれの経験や私の趣味嗜好が噛み合った結果が保育士という仕事だとも思っています。

世間では多くの人が働いていて、やりたいことを仕事にしてる人もそうじゃない人もいるでしょう。
大して好きじゃないと言いながらも仕事を続けられる人のことを私は本当に尊敬しているし。
仕事を愛している人のことも尊敬している。
「やりたいこと」が実はなんだかわからないって人も、案外少なくない気がする。

でもそれぞれに、みんなよい。
本当はあらゆる仕事にそれなりに真剣に取り組めば必ずやりがいってものはあるのだろうなと思う。

「やりたいこと」かどうかなんて、実はあまり気にしなくてもいいのかもしれない。
自分の気持ちやご縁に素直になって導かれた先で頑張っているうちに、それが「やりたいこと」になった、なんてこともあるんだろうな。

「やりたいこと」はあってもなくても、胸を張っていいのです。

この記事が参加している募集

#仕事について話そう

110,303件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?