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ラジオのなかに大好きな大人たちと知らない世界があった

ラジオが好きです。

小学校高学年くらいから、ラジオを聴き始めました。

親の知り合いの方に大きなラジカセをいただいて、嬉しくてたくさん聴きました。

深夜ラジオデビューは、オールナイトニッポンの土曜日。当時は松任谷由実さんがパーソナリティを務められていました。
深夜に真っ暗な自分の部屋で、流れてくるたくさんのユーミンの曲。
なんだなんだ、今思うと「エモい」とはこのことですね。

送られてくるハガキ(当時はねぇ)やそれに対するユーミンのコメント、大人たちのやりとりはキラキラとまぶしくて、自分が少し背伸びできたような感じで大好きでした。
必ず毎年「苗場プリンスホテル」から放送するときがあって、さぞかしきらびやかな世界なんだろうなって。
大人になってからフジロックで苗場に行ったときに初めて苗場プリンスホテルを見て、いたく感動したのを覚えています。

平日は、学校があるからなかなか深夜は聴けないけれど、たまに起きていられたときは、月曜日の大槻ケンヂさんのオールナイトニッポンも聴いてました。
詳細はほとんど覚えていないのですが、「青春の殺人者」というコーナーで声を殺しながら泣くほど笑ったのだけ鮮烈に覚えています。

中学生になって、親の転勤で東京に引っ越し。
引っ越した初日の夜、いつものようにラジオをつけてみることに。
どこがよく聞こえるチャンネルなのか…と探っていると、TBSラジオの「岸谷五朗の東京レディオクラブ」という番組が放送されていました。
当時の家で最も音がよかったのがTBSだったので聴き始めたんだけど、その日から番組が最終回を迎える日まで、家にいる日は毎日聴きました。

五朗さん(あえてこう呼ばせてほしい)は、私たちのアニキのような存在。
中学で友達とうまくいかなくてしんどかった日も、高校で男の子たちにからかわれてしんどかった日も、すべて22時からの2時間が笑わせて、寄り添って、包み込んでくれました。
リスナーの年代が自分と合っていたのもあり、向こう側にいるたくさんのリスナーとやんわりつながっているような、ひとりじゃないような感覚で。
はがきの内容にみんなで笑ったり感動したり一緒に考えたりもした。

定期試験のときには詰め込み型の試験勉強をするタイプだったので、TBSラジオの深夜番組にも大変お世話になりました。
『SURF&SNOW』、『パックインミュージック21』、『コサキン快傑アドレナリン』からの『コサキンDEワアオ!』、『宮川賢の誰なんだお前は!?』などなどなど…
コサキンなんて、試験勉強中に聴いちゃうと笑ってなかなかはかどらないんだけど、それでも消したくなくて聴いていました。
ラジオを聴いていると、しんどい時間でも、ひとりじゃなかった。

ラジオのなかには、まったく知らなかった愉快な文化人がいて、知っていた人たちの知らない愉快な顔がありました。
ラジオのなかではみんなが楽しそうで、テレビのなかよりもなぜか近しい感じがしました。
本当のことを言ってくれているみたいな。
人としての確かな存在感を感じました。

大学生になると一人暮らしを始めて自分だけで深夜テレビを見ることができるようになりました。
その当時はフジテレビの深夜番組が豊作だった時代で、深夜テレビにはまり、さらに当時の部屋はラジオの電波が入りにくかったのもあって、徐々にラジオからは離れていきました。

ラジオが入らない家に住んだ時期が長かった私に、radikoという神がついに降臨。
ネット経由で雑音なく聴けるだと……!?
そのうち、聴き逃した番組まで聴けるように……!神さま…!!

だいぶ大人になってから再び、昔ほどではないけれど、私とラジオの近しい関係が始まりました。

今よく聴くのは、星野源さん、オードリー、安住紳一郎さん。
ときどきバナナマン、ジェーン・スーさん、たまむすび。

やっぱりラジオを聴くと、その人のことがさらに好きになる。
自分にはなかった視点とか考え方とかを教わることもあるし、単純に爆笑させられることも。
オードリーは、番組の5周年記念イベントにも参加したんですよ。(エッヘン)

今は昔とは違って、深夜に寝ないと翌日の仕事に響きすぎるので、深夜ラジオは夕方にキッチンに立ちながら聴くことが多くなりました。
その時間が、仕事からプライベートに切り替わるために必要なほっこり時間。
みんなに会いたくて、またradikoのアプリをたちあげます。



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