茶道を語るということ。

「茶道」をテーマに毎日文章を書こうと決めたが、なかなか観点が思いつかない。

「茶道」は一般的になじみの薄いもので、好きでやっている人は、茶道の世界の良さを暗黙知として知っているが、知らない人は、どういうものなのか、なかなか想像がつきにくいのではないだろうか。

その茶道の「わかりにくさ」を文章で表現するのは、難しいと感じていたが、森下典子さんの「日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ」「好日日記 季節のように生きる」という作品を読んで、その考えが覆った。

森下さんの本は、茶道の良さを「~が良い」という言葉を使わないで、森下さんのお稽古場での思いや考えを通じて、茶道のわかりにくさを分解して、茶道のいろんな良い側面を伝えている文章だと感じた。

お茶とは、その所作を通じて自分を振り返る事、そして季節を感じる事に意義がある、と私は考えている。
その2つの観点から、森下典子さんの本について述べてみたい。

その所作を通じて自分を振り返る事

勝手な想像だが、「日日是好日」では、「今に集中すること」「自然に身を任せ、時を過ごすこと」など、茶道を通じて得た感じ方・人生観が伝えられている。
例えば、「過去にとらわれず、今に集中することの大切さ」や「悪あがきせず、周りの環境に身を任せる事」などの格言を、あらゆる出来事を通じて持つことがあるのではないだろうか。
(一般的にそうかわからないが、私はそうだった。)

茶道においても、自分の人生観に影響を及ぼすような考えや思いに出会うことができる。
同じお点前であったとしても、全く同じことを考えながらお点前するわけでもなく、毎回自分の思索はちがっていて、そのたびに違ったお点前になる。
(それが茶道でいう「一期一会」だと思っている。)
そして、その思索の中に、ある時「これはこういう風に考えれば、自分が感じている不安が和らぐかも…」という発見がある。
その発見が、いつの間にか自分の人生観の一部になって、自分を形作る。
そのような出会いが茶道にはある。

季節を感じる事

茶道の中では、私たちが日々季節を感じているのよりも、より細かく季節を感じている。二十四節気を通じて、お稽古するたびに違う季節を感じることとなる。
「好日日記」の中では、季節に沿ってお稽古が描かれていて、挿絵も細やかで美しく、とても興味深い。季節特有の気持ちの動きも、細かく書かれていて、感情移入して読むことができ、一時お稽古場におじゃましているような気分になれた。
個人的に、お菓子の並べ方が難しいとか、先生に怒られてしまうとか、そういうお稽古場の風景はどこも同じなのだな、というところに、共感してしまった。

お菓子、軸、茶花、お道具の数々。。
それぞれに、季節が宿っていて、毎回その移ろいを楽しみながら、お茶をいただく。
忙しい日々の中で、季節を感じている暇などないけれど、その瞬間だけは、「春だな、もうすぐ桜が咲くかな」とか「そろそろセミの鳴き始めるころかな」とかゆっくりと季節を楽しむことができて、時間を満たすことができる。
「足るを知る」という言葉があるが、茶道の時間を通じて、「自分が現在に十分に満足できている」と知ることができて、安心できる。
立ち止まるきっかけを与えてくれるのが、茶道なのだ。

もし、自分の人生観を茶道を通して作ってみたいと感じたら、
また、忙しい日々に立ち止まって、季節を感じてみたいと思うなら、
茶道の世界に足を踏み入れてみるのもいいかもしれない。



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