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茶道の魅力。

昨日に引き続き「茶道」について語りたい。

今日は「茶道の魅力」を自分なりに語ってみたいと思う。

私なりの茶道の魅力は2つある。
1つは、「季節を感じられること」もう1つは、「心の状態を知り、鍛錬ができる事」だと思う。

茶道の魅力①:「季節を感じられること」

茶道では、暑い時期は、風炉、寒い時期は炉というように、窯の種類が違う。暑い時期は窯を外においてお点前をするが、寒い時期は、畳の切ってあるところ(床下にくぼんでいるところ)に窯を置いて、そこでお点前をする。外に窯を置くより、お湯の温度が覚めにくく、温かい状態でお茶を飲めるからだ。
お菓子も季節に合ったものが出される。今時期ならば、水無月(白の外郎生地に小豆を載せ、三角に切られたお菓子)を食べる。もう少し季節が進むと水ようかんや涼やかな見た目の練り切りなどが出てくる。
お茶碗などのお道具も、時候に沿った花や生き物が描かれたものがあり、見た目で楽しむのも茶道の醍醐味だ。
普段意識せずに過ごさってしまう季節を、茶道の中で感じることで、一つ一つの季節を見逃さずに生きていけるので、忙しい中でも時間を彩って生きていけると思う。

茶道の魅力②:「心の状態を知り、鍛錬ができる事」

お点前は手順が決まっているので、それを覚えて一連の動作をできるようにするのがお稽古だ。同じ動作を続けるとはいえ、間違えずに最後までお点前を終えられたことはなかったと思う。どこかのタイミングで間違えるし、「ああそうだった」と思いながら、完璧を目指して練習する。

初めのほうは、「お点前を覚えていること」に重点を置いていて、覚えていないと恥ずかしくなったり、これではだめだと責めたりしていた。不思議と、何か心が引っかかることがあるとうまく集中できず、失敗を繰り返したりしてしまう。そういう時は「落ち着いてお点前ができていない」と感じていた。一方、特に何かあったわけではないけれど、集中してお点前に取り組むことができて、「うまくいった」と感じることもある。そういう時はめったにこないけれども。

このもどかしさにあまり意義を感じられずにいたが、岡倉天心「茶の本」の一節を読んで自分の不完全さを認めていいことに気づいた。それに気づかされたのが、次の一文である。

その根本は、「不完全なもの」を敬う心にあり、ままならない人生にあって、可能なことだけでもやってみようという心優しい挑戦なのだ。
                                                                岡倉天心『茶の本』 The Book of Tea

※その根本とは、茶道の根本という意味である。

うまくいかないもどかしさを知りながら、ずっとお稽古し続けることで自分の不完全さを知り、自分の外側にある不完全さを敬う心ができる、ということだと私は解釈した。

ここで書かれている「不完全さ」というのが、どういうものを表しているのかここではわからない。私の中で、「茶道の不完全さ」とは、お稽古を完璧にできないことだと思う。そして、それを乗り越えようと努力し続けることが鍛錬なのである。
「不完全さ」というのは、誰の中にもあって、自分ができないことがあるからこそ相手のことを思いやったり努力を重ねたりしていけるのだろう。

季節について出てきたので、次は茶道の季節の楽しみ方を少し書いてみたい。


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