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継続は力となるのか?

 やはり、1日の始まりに気をつけないとメリハリというものをつけるのは、難しい。
 例えば、寝坊してしまったり、バタバタして忘れ物をしてしまったり、心当たりはいくつもある。

 1日の始まりで起こった失敗は、引っ張ってしまうのだ。
 それは、自分に対して課した約束事などにも言えるだろう。
 このnoteの投稿だってそうだ。
 毎日投稿することを決めることまではいいが、
 毎日同じようなことが起きて、同じように時間が取れるわけではない。

 当たり前だが自分の周りでも刻々と時間や状況は変化してきている。


 むしろ、毎日noteを書くことができるという状況もよくないのかも知れない。

 それは、自分の周りの状況が変わってない、否変えられていないということではないだろうか。
10年経ってもこのように燻ったような文章を書き続けていると想像すると目も当てられない。

 かといって続けることを否定したいわけではないのだ。
 続けることは大事だが、それと同じように、変化しなくてはならない。

 盛者必衰の理ともいうが、今を継続していくことは難しい。
 去年まで通用していたやり方が、今年は通用しないということはよくあることなのだ。

 しかし一方、伸び続けているものもいるということはあるだろう。
 なぜ伸び続けることができるのか、それは変化だ。
 ここまで登ってきたからもう良いやではなく、さらに上を目指そうという変化こそが上昇なのだと考える。

 つまりは横這いに続いていくということはなく、登っていくことでしか継続することはできず。
永遠に思えたものでも、長い目で見ていたらゆっくりと下降しているのだ。

 もし安定がないというのなら、やはり生涯勉強ということなのだろう。
 ならば今、自分の中にある常識とはどんな意味があるというのだ。
 昔、地球は平らと言われていたというが、今ではそんなことを言っている人はほぼいないと思う。
 しかし、その時代では当たり前に地球は平らで、丸いといっていた人の方が異常だった。

 このように、自分の中の常識が何かの拍子にひっくり返るかも知れないのだ。

 話を大きくし過ぎてしまったが、よく【継続は力なり】という言葉を耳にする、
 しかし、今自分が正しい、為になると思ってやっていることも、将来の自分からして見れば、必要のないことかも知れないし、自分自身の上昇なくして、ただ漫然と継続すること、それは衰えていることに変わりはないのだ。

 変えることや変わることを諦めたとき、人生は下りのエスカレーターに乗せられているのかもしれない。
そうはならぬよう、一年後、一ヶ月後、馬鹿なことをしていたなと思う、恥の多い人生を送ることこそ、上昇していく術と言えるだろう。

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