人は脳を体の外に追い出した。
失敗するつもりで今日を過ごそう。
大事なことは自分の中にもあるが、外にも転がっている。
むしろその方が多いのかもしれない。
自分と外をしっかり別のものとして捉えることは大事だ。
例えはスマホやネットがあるおかげで、自分は博識だと勘違いしてしまう、それは自分ではない誰かの経験と知識なのだ。
いつからか、人は脳を体の外に追い出し、それに頼る事を覚えたのだ。
スマホやネットに頼るなと、言いたいわけではない。
大事なことはその知識や経験を自分のものにすることなのだ。
調べてわかることは調べ、行動に移す。
心の衝動や痛みの伴わない経験、知識は、その場しのぎにはなったとしても、数日後の未来にはすっぽりと抜け落ちてしまっているのだ。
行動せよ、表面の甘い汁を啜るのではなく、そこに沈んだ毒まで呑み干してこそ、それは血肉となり、自分の身体に記憶する機能とりもどさせるのだ。
自分の尊敬する方に言われたことがある。
「創作において、自分の作っていったものが名刺がわりになっていく。」
実に、シンプルでわかりやすいと思う。
良いものを作ったという事実は、後々に自分を助けてくれるツールとなっていく。
もし、出来の悪いものを作ってしまったとしても、何も作ってない、名刺のない営業マンになってしまうよりはマシだ。
今日はいつもより寒いな、だとか、花が昨日より開いている、だとか、日常の小さな変化が時間が経過していることを思い出させてくれる。
目まぐるしく世界は変わっていく、だからこそ、今をに現実味を感じる。
今を思い出に変えていくのは、小さな変化に気づくこと。
その変化に気づくことが出来なければ、思い出となる前に世界から追い出されてしまうのだ。
過ぎ去った時間は二度とこない。
だからこそ今起こっていることを忘れないことは大事なのだ。
友人とどんな話をしただとか、どんな失敗をしただとか。
この今を、未来に過去として繋ぎ止めるために、形にして、色にして、言葉にして、はたまた、音にすることで、世界に記されてきたのだ。
つまり【創作する】という行動は、自分の過去を未来に残す事。
未来の自分を創っていくということなのだ。
今、自分の生まれる遥か前のことがわかるのも、過去の人が未来のために今を形にしてきた結果なのである。
そう考えると、 自分の好きなものや、やってきたことを伝えることが苦手だと言う自分は、どうしようもなく非生産的な人間と言えるだろう。
非生産的な日々だとて、それを誰かに伝えることで世界に記しておけるというのなら、つたなくとも、残していく理由にはなるのだ。
もし、伝える事を諦めたら、この思いはいつか消え去ってしまうのか。
自分の声は世界に届くことはないのか。
自分は今、頭の中に渦巻いている全てを出し切って、死にゆくことはできるのか。
どんなに馬鹿らしいことでも、やってみて、失敗して、、、そんな繰り返しが自分の今を、過去として繋ぎ止めていくことになるのだと私は信じる。
そしてそれこそが、自分を未来につなげるための創作なのだ
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