見出し画像

【社会を変える 事業を創る。】子どもの機会格差を解消する、フードバンク兼業型ネットスーパーを起業しました①

はじめに(どんな目的で書かれた記事か)

はじめまして。木戸(@ykido)と申します。
株式会社ドリームインキュベータ(DI)を退職し、2022年6月10日にネッスー株式会社を立ち上げました。

創業してから約半年間、いろいろな方に支えていただきながら、フルコミット1人で事業立ち上げに取り組んできました。昨年12月に実証実験を行い、事業の実現可能性が見えたので、メンバーを募集し、本格立ち上げに向けてアクセルを踏んでいきたいフェーズです。

これから当社に関わっていただく様々な方に当社や私のことを知っていただくため、そして自分が原点を忘れないために、創業に対する想いや、これからどんな会社として社会に実装していきたいかをしたためておこうと思います。
また、タイトルの【社会を変える 事業を創る。】は、前職のDIが掲げているミッションです。退職はしましたが、同じ想いをもって活動しているアルムナイとして、拝借しています。

こんな顔をしています

想定している読者の方は以下です。

  • 当社のメンバーとなることを検討していただいている方

  • 潜在を含めた取引先・連携先の方

  • 投資家や金融機関の方

  • メディア関係者の方

  • 他、起業を志しているなどで、スタートアップに興味がある方

この記事を読んでいただくと以下のことがわかります。

  • 私はどんな人間か

  • 何に取り組んでいる会社か

  • 事業の現在地と目標

  • どんな組織にしたいか、どんな人と働きたいか

当初、1回で全部書き切ろうと思っていたのですが、「どんな人間か」を書いていただけで、7000文字とかなり長くなってしまいました。読むのもしんどいと思うので、2~3回に分けて公開しようと思います。
目次で興味ある部分だけでもご覧いただければ幸いです。また、今回の記事を読んで続きが気になった方は、フォローしていただけると嬉しいです。


私はどんな人間か

生い立ち

木戸優起(きどゆうき)といいます。1985年生まれの37歳です。
和歌山県有田郡のしらす漁師(父方)と、みかん農家(母方)の家系に生まれました。漁業は祖父の代で廃業してしまいましたが、続いていれば、16代目網本・木戸清右衛門になっていたかもしれません。

和歌山のみかん畑にて(右端)

父が高専卒業後、東京の企業に就職したため、神奈川県横浜市で育ちました。横浜市立の小・中学校→東京学芸大学教育学部附属高校→慶応義塾大学法学部政治学科で学んだ、文系人間です。
小さい頃は、弱い立場の人を守る法律を作りたいと考え、法務官僚を目指していましたが、挫折やいろんな方のアドバイスを受けて、自分の共感性の高さを生かせるビジネスの世界で社会を変える、という方針転換をしています。

高校時代(旗つかんでいるのが私)。たまたま受かった高校でしたが最高の環境でした


紙商社での経験

新卒では日本紙パルプ商事株式会社に入社し、経営企画部広報課で広報・IR、その後法人営業部で段ボール原紙の卸と、新規事業開発に取り組みました。もともと、情報媒体である紙の利用を発展途上国で広げ、教育の質を高めることに貢献したいと考えての入社でしたが、海外部門への異動はかないませんでした。
段ボール会社向けの紙卸の法人営業部署が長く、社内のさまざまな部署の先輩、同僚や、お客さんにも大変よくしていただきました。新規事業開発は、紙卸部門の本来の業務ではなく、独自に企画して取り組んでいたものですが、勝手な行動を特別に容認していただいたことは今でも感謝しています。
商売の現場での経験を積んで、売ってお金を回収するまでの商売のいろはや、仁義や筋を通すことの大切さ、カラオケなどでの宴会芸など、社会人としての基礎を教えていただきました。

待遇や人間関係、仕事内容もバランスがとれていて、非常にいい会社でしたが、新規事業を立ち上げた際の、新たな仕組みが社会に実装され、社会課題が解決されることにやりがいを感じ、社会課題を解決するビジネスを生みだせる人材になりたいと強く思い、成長機会を求めて転職することにしました。
11年勤め、部署が立ち上がるほどの新規事業も生み出せたので、採用・育成していただいた恩は返せたと、後ろめたさなしで辞めることもでき、今でも経営陣や当時の上司含め、交流が続いています。

新卒同期と(中列右のほう)。半分くらい転職していますが、今でも親交があります


戦略コンサルでの経験

その後、株式会社ドリームインキュベータに入社しました。DIとの出会いは、現社長の三宅さんと統括執行役員の島崎さんが執筆した『3000億円の事業を生み出す「ビジネスプロデュース」戦略』。こんな面白い考え方で、社会を変える事業を創っている会社があるのか、と衝撃を受けました。
たまたまAmazonで2冊買ってしまって、本棚で青い背表紙が目立っていたのも何かの啓示かと思い(ただの思い込み?)、DI1本で転職活動に臨みました。

DIでは、企業の経営戦略、新規事業、M&A案件の助言や、PEファンドの買収案件のビジネスデューデリジェンスなどに携わりました。仕事は量も質も重たく大変でしたが、とても優秀でバックグラウンドが多様なメンバーがそろっていて、刺激的な環境でした。あっという間に3年強を過ごしましたが、濃すぎて10年くらい働いたような気がします(精神と時の部屋)。

柳井道彦さんを審査員にした、DIタグライン審査会で入賞もしました(前列左から2番目)

また、DIのベンチャー投資ファンドの担当として、投資側からベンチャー企業にも関わらせていただけたのもいい経験になりました。
シリーズCでの資金調達時に投資させていただいた五常・アンド・カンパニーさんの慎さんや、多くの起業家の方と接する機会をいただき、とても大きな刺激を受けました。

私自身、学生時代からいずれ起業したいという思いがあり、商社とコンサルという違う角度からビジネスを学んできました。
取り組みたい事業が具体化でき、今こそ社会に必要な事業だと感じたため、2022年4月末でドリームインキュベータを退職し、起業をしました。


実現したいこと・原体験

会社のビジョンにも据えていますが、子どもの機会格差を解消することが、私のライフワークです。

この想いが形成されたのは、小学校中学年の頃。諸般の事情で詳細は割愛しますが、当時、難病の子どもたちが多く入院する病院で長い時間を過ごしていました。
病気で苦しんでいる同年代や少し年下の子どもたちと接して、多感な年ごろの私は、なんて残酷な世界なんだろう、と思ったのを覚えています。生まれた環境が少し違うだけで、まだ生きたいと泣きながら亡くなっていく子どもたちと、健康に生まれて将来に希望を持てている私で、住んでいる世界が全く変わってしまう。そして、本人だけでなく、家族の住む世界をも変えてしまい、大きな傷を残します。

この経験から、彼我の差はあってないようなもので、自分が持っているものは、自らの努力によるものではなく運によるものだという考えを持つようになりました。
そして将来は、自分が持っているものを、自分のためではなく、先天的な理由で機会を奪われ、苦しめられている人を助けるために使うことを決めました。


スキルや行動原理

法人営業が長かったのもあり、人と接するのが好きです。また、ビジネスの仕組みを考えたり、何かを企画することも好きです。
それらを生かして、何かを何かをつないで、新しいものを生み出す、というスキルは高いのではないかと自己評価しています。

そして、そのスキルを活かして何かをなすために、①行動量を多くすること②取り組みに対して覚悟を持つこと③Giveの精神と受けた恩を忘れないこと、を自分に言い聞かせています。


行動原理①行動量を多くする

何かをつなぐためには、引き出しを多くしなければいけません。そのためには行動量を多くすることが効果的だと考えています。
また、現場に行って自分で1次情報をとるように心がけています。そうすることで、世の中の仕組みや、相手の考えに対する解像度がぐっと高まります。手間や時間はかかるのですが、本で読んだり、インタビューなどで人に聞いただけでは見えてこない核心が掴めたりします。

もちろんこれは、昔からできていたことではなく、東日本大震災の復興支援活動に携わる中で学んだことです。
2011年3月11日に東日本大震災が起こったとき、私は社会人3年目でした。たまたま東北に住んでいただけで、いろいろなものを奪われてしまった人のために、何かできないか、と考えていました。そのとき、広報課の横のつながりで仲良くなった大手不動産会社の先輩が、「LIGHT UP NIPPON」という、被災地で地元の方と一緒に夏祭りを企画・開催し、鎮魂と復興の祈りを込めた花火を打ち上げる、という活動をしていました。その先輩に(半ば強引に)誘われ、2011年の夏からその活動に参加し、開催2年目の2012年から福島県いわき市を担当することになりました。

津波と火災の爪痕が残る2011年のいわき市

その活動を通じて、代表の高田さんや、メンバーの方が、とにかく行動をしていることに驚きました。私が何かできないかと考えているだけだった半年の間に、何かを成し遂げる人はとにかく行動をしていることを学びました。

2013年ころのLIGHT UP NIPPONイベントにて

それから、いろいろと行動をしてみることにしました。
紙商社時代には、シェアハウスに住んでみたり、早稲田MBAの単科コースに通ってみたり、中小企業診断士の資格をとってみたり、参加者を社外にも拡げ会社のバスケ部の立て直しをしたり、社内の若手を集めて勉強会を開き経営会議に経営改革の提案書をもって乗り込んでみたり、本業を効率化して時間を創り新規事業を立ち上げてみたり・・・。挙句、自分の結婚式の中座中も控室でパソコン開いて仕事していました。散らかって迷惑をかけることも多々あったと思いますが、行動原理を変えることができたと思います。

日本紙パルプ商事バスケ部のメンバー

DIでコンサルタントになってからも、クライアントに新規事業を企画・提案するだけでなく、PoCや仲間づくりをするところまで取り組んだり、2つのプロジェクトを回しながら、ずっと温めていた絵本を原作・装丁・編集し、DIを出版社として出版したりしました。
絵本「ふたりのももたろう」は新聞やテレビなどでも取り上げていただき、2023年にはミュージカルにもなります。お金ができたらいつか自費出版でやろうと思っていたのですが、DIの後押しもあって、予定よりも早く1つ夢を叶えることができました。

商社よりもはるかに激務な環境だったので、肉体的には(実は家庭環境も)かなり厳しい状況でしたが、みかねた同僚からの同情票もあって2020年にはMVPを受賞しました。
私よりも知識を持っていたり、頭の回転が早かったり、情報の構造化が上手な人はたくさんいましたが、行動して結果につなげることだけはおそらく誰にも負けなかったと思います。
社会を変えることに取り組んでいるDIで認めてもらえたことは、起業にあたっての自信にもなりました。

挑戦者が一番会いたい人は、自ら挑戦している人、ということなのか

今回の起業の準備でも、食品流通や子ども支援の現場を知る必要があると考え、株式会社ヤオコーのヤオコー子ども支援財団および、認定NPO法人フローレンスにて、3か月ずつ、現場経験させていただきました。
結果として、課題の解像度が高まり、何を解決策として生み出すべきかも具体化することができました

ヤオコーさんには、1か月間店舗研修もさせてもらいました(しいたけ並べ中)

また、IT領域での起業であるため、プログラミングを理解するためにGs ACADEMYに通い、Tokyo Dev23期として無事に卒業しました。
授業・課題もギリギリこなしていましたが、事業構築を優先して独学時間をあまり作れなかったため、JSとPHPで簡単なアプリを作れる程度で、エンジニアとして独立はできないレベルです。ただ、エンジニアの方々との共通言語は持てたのではないかと思います。
また、同期の中で仕事を手伝ってくれているメンバーが3人おり、いい仲間を作ることができました。

ギリギリ卒業


行動原理②取り組みに覚悟を持つ

何かをつなぐ、という行動は、誰かのリソースを借りることが前提となるので、相応の責任が伴います。リソースを提供する側も、本当に信頼に足る人物かどうか見極めるのが当然です。
そのため、私は最後までやり切る覚悟を持つことが必要だと考えています。

紙商社時代、新規事業を立ち上げた際、(新規部門でもないのに、自分で企画して取り組んだので当然ですが)社内担当は1人でした。しかし、段ボールの製造・販売の新たな仕組みを作る事業だったので、連携先は多数。そんな中、命が奪われるんじゃないかと思うほどの信じられないトラブルが起こりました。
しかし、そこで諦めたら連携先から二度と信用されなくなると思い、逃げずに取り組んでいたところ、どこかから話を聞きつけた子会社へ出向中の大先輩が現れ、難局を乗り切ることができたことがあります。その方は、「ここまで本気で取り組んでいる若手を初めて見て、定年前の最後の仕事だと思った」と言ってくれました。
また、事業が立ち上がったのち、連携先や顧客に、なぜこんな若手を信用してくれたのかと聞いたら、「最後までやってくれそうだと思えたから」と言われました。

難局を乗り越えて、事業をスタートできたお客さんと

上述のエピソードはうまくいった事例ですが、逆に失敗した経験もあります。
「LIGHTUP NIPPON」では、寄附金をもとに活動を行っていました。しかし、時間がたつとともに、企業・個人ともに寄附金は減っていきます。そうなると、複数ある開催地の1か所あたり予算が減り、お祭り開催の最低ラインを割るケースも出てきます。もちろん、いずれ予算が減ることはスタート時から伝えていますが、現地メンバーは大変な思いをすることになります。私の担当していた地域でも、議論が紛糾して、現地の実行委員の方々に迷惑をかけてしまいました。
その時、お世話になっていた地域のママさんから、「続けていくのか、お終いにするのか、いずれにしても、何かを始めた者には相応の責任がある」と教えていただいた言葉は、今でも大切にしています。

この経験から、私にとって覚悟というのは、根性論だけではなく、サステナブルな仕組みとして設計する、という意味も含まれています。

LIGHT UP NIPPON2016いわき会場にて、いわきのママさんと


行動原理③Giveの精神と受けた恩を忘れない

リソースをお借りするには、覚悟があるだけではだめで、一定の信用残高が必要です。
そのため、返ってこなかったとしても、基本的には先にGiveをするスタンスで人と接しています。そして、Giveできるものを持てるように、いろいろな情報を集めたり、分析したり、人脈を広げたり、といったことも頑張るよう心掛けています。また、リソースをお借りする時には、気持ちよく貸していただけるように、利己目的ではなく、利他目的で、というのが基本です。

また、受けた恩を忘れないように、お世話になった人リストを作って管理しています。お世話になった人が多すぎて、なかなかこまめに返すことができていませんが、何かの時にいつでもお返しできるようにしています(何か恩返しできるタイミングの方がいたらご連絡ください)。

その結果、飲み会が多くなる傾向にあり、紙商社時代は特に毎日飲んで妻にあきれられていました。

大学時代の先輩たちと。左奥の先輩に小四喜ぶち当てられたことも忘れていないぞ・・・

このスタンスが、実際に事業の立ち上げに重要な縁に繋がったこともあります。
昨年(2022年)末、三浦市農協さんと連携して、未利用野菜を寄附する実証実験を行いましたが、三浦市農協さんとの繋がりは、昔お世話になった人に、ひょんなことから紹介いただいて始まりました。
DIに転職してから2年半ほどたった2021年末に、紙商社時代にお世話になっていた段ボール会社の方が異動するという話を前職の先輩から聞き、その方や、工場長、営業の方々に久しぶりにお会いしようと、工場にご挨拶に行きました。そうすると、通された会議室に大量の大根が。聞いてみると、私の前の時間で、三浦市農協の方が工場見学に来ていたとのこと。そして、品質には問題ないが、廃棄になってしまう野菜を活用する方法を模索していて、何かアイデアがないか、と相談されたとのことでした。ちょうど私も、DIを退職してネッスーを立ち上げる構想を持っていたので、お役にたてるかもしれない、と事業構想をお話ししました。そこから三浦市農協さんにつないでいただき、トントン拍子に連携をすることになりました。
ベンチャーが飛び込みで三浦市農協へ相談しても、大きな組織に信用されるわけがなく、段ボール会社さんの信用残高を使わせていただいたからうまくいったと考えています。そして、これは、紙商社時代に、私個人としての信用残高を築けていたから実現したことだと考えています。

話の流れとは関係ないですが、このように偶然、私が求めていた事業のピースがはまっていくことが多々あり、何か大きなうねりの中で、事業を立ち上げるよう導かれているのでは、、と感じたりもしました。


今回は、ここまでにします。
読んでいただいた方、ありがとうございました。

ネッスー株式会社では絶賛メンバー募集中ですので、興味を持っていただいた方は、私のTwitterへのDMか、会社Webサイトのお問合せからご連絡いただけると幸いです。
続きは今週中に公開するつもりです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?