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妊娠、流産の中で見た奇跡

ご無沙汰しております、ゆっきーです。
タイトルを見て驚いた方もいるかもしれません。
実は、11月から妊娠していたのですが、赤ちゃんの心拍を聞くことは叶わず、1月7日に流産の手術をしました。

世の中的には、流産の経験を記事にする人は少ないかもしれません。
それはきっと、あまりにも辛いから。
私も「人間はこんなに泣けるのか」と思うほど泣きました。私は赤ちゃんのハイヤーセルフとお話ししながら過ごしてきたので救われる面が多かったですが、それでも本当に本当に辛かったです。もしリーディングができなければ、まだまだ立ち直れていないのではないかと思います。

私はサイキック能力を活かし、少し特殊な見方をしていると思います。そういう観点で見ると、「今回の経験はたくさんの奇跡やギフトをくれた」という確信を、早く持つことができました。
世の中には、何十年も流産の傷を負っているお母さんがいるようです。お父さんも辛いですよね。私の経験や観点が、不妊症の方、流産を経験した方、これから妊娠を目指す方・・様々な方に届けばと思い、noteに残そうと思います。

不妊症のことも含めて書いており、ものすごく長文です。
10000字超えた、、軽い論文か(笑)
基本的に時系列で書いています。どうぞお付き合いください。

1.ニセモノの生理

確か23歳の頃だったと思います。
仕事で忙しくしている中で、重たい生理痛や不調に悩み、初めてレディースクリニックを受診しました。はっきり覚えていませんが、何かしら検査をしたのだと思います。

「あー、あなたは無排卵ですね。今までの生理は全部ニセモノってことです。生理痛はひどいけど、排卵してないからニセモノね。無駄な痛みというか。でも今子供欲しくないんでしょう?欲しくなったら排卵誘発剤を使えばいいですよ。」

今思い出しても、なんという言い方だ・・と思うのですが、当時の私はキツくて冷たいお医者さんばかりを引き寄せていました(笑)
あまりに冷たい先生の宣告にパニックになった私は、病院後に泣き崩れたのを覚えています。当時お付き合いしていた人がいて、結婚も視野に入れていたので、それも全て無理になるという感覚になったのでした。(その方とは数年後にお別れました。別の理由で。笑)

23歳の時の「ニセモノの生理」という言葉は、以降私の心にずっと残っていました。「私は子供ができないのかもな〜」とある意味自分の中で決めてしまっていたかもしれませんし、仕事に邁進できた理由にもなっていたかもしれません。

2.両方の卵巣に病気が見つかる

31歳の時、すでに独立していた私は、そろそろしっかり検査しようとレディースドックを受けました。そしてその時、卵巣に、チョコレート嚢胞(卵巣子宮内膜症性嚢胞)という病気があることが判明しました。両方の卵巣にそこそこの大きさで嚢胞があり、手術する大きさではないけれど付き合っていくしかない(治らない)と言われました。赤ちゃんはできにくいかもしれませんね、とも言われました。

すでに無排卵と言われていたので、この時は「あー本当に無理なのかもな」と感じました。数ヶ月後、別のクリニックに行って「体外受精からになると思います」と言われ、いよいよ「不妊症なんだな」と思い知らされたのでした。

(旦那さんは、この話を聞いた時に「子供ができなくてもいい。楽しく生きていこう。」と心の中で実は覚悟していたらしいです。だから不妊治療をしようと言わなかったのだな。最近知った事実です。)

3.不妊治療をする気持ちになれない自分

「不妊症」という現実は、多くの女性にとっては苦しい出来事だろうと思います。
子供を切望している人にとってはもちろん、そうでもない人にとっても。

私も23歳で覚悟していたとはいえ、ショックでしたし、泣きました。
旦那さんや自分の両親、旦那さんのご両親に対して申し訳ない気持ち、罪悪感もすごく感じました。一時は、友人から送られてくる赤ちゃんの写真入りの年賀状や、SNSの投稿も見たくないと感じていましたし、旦那さんのご両親が孫を欲しがっているエネルギーを感じるのも辛かったです。
私の母親は悪気なく「孫を抱っこしたいわ〜」と発言してきて、当時は母親との関係が改善していなかったので、「なんて無神経なやつなんだ。娘のことなんか本当に分かってないし、信じられない。」とがっかりし、激しく憤っていました。

それでも、私は不妊治療をする気になれなかった。

当時、大学生に向けた仕事をしていたので、愛情を注ぐ相手がいて、「子供がいっぱいいるみたいだからいいや」とも思っていました。外出した時、電車や様々なところで子供が騒いでいる時、うるさいなとイラっとする自分もいました。子供ができたら大変、仕事もできなくなるのでは、とも思っていました。

私、子供好きなのかな?本当に欲しいと思っているのかな?ー分からない。
多額のお金をかけて、自分の体に負担をかけて、不妊治療をしたいのかな?ー分からない。

周りの人は不妊治療をするなら早くした方がいいとアドバイスをくれました。そうですね、、と言いながら「分からない」という感覚にしておくことで、不妊治療について考える優先順位を下げ、そのまま月日が流れていきました。

4.片方の卵巣の病気が消える

不妊症と分かった31歳の頃は、精神も肉体も限界に近いような状況で日々を過ごしていました。

独立して結婚して仕事が軌道に乗り始めた時に旦那さんの転勤が決まり、失望や寂しさや不安の中で東京に来て、孤独感の中で必死に人脈や仕事を作っていました。
私には目的目標があるんだから!とにかく頑張るしかない。誰も頼れない。人より努力して、結果を出すしかない。人は信じられないし、自分なんてもっと信じられない。

今は東京が大好きですし、大阪に帰る気もないのですが、あの頃は本当に辛かったんです。とにかく必死で走っていました。

そして32歳の時、旦那さんに「ゆき、笑ってないね」と言われ、雷で頭を打たれたような感覚になりました。
ここには書ききれないほど色々あったのですが(笑)、本当に限界が来ていたので、ずっと拘っていた仕事や環境を手放すことにしました。めちゃくちゃ悩みましたし、勇気がいりましたし、先が見えなくて不安でいっぱいでしたが、それよりも、「自分を大切にしよう」と初めて思えたのだろうと思います。

こうして、少し立ち止まることができた私。
好きなことや得意なこと、本当に心が動くことに注力していくにつれ、心の状態は大きく変化していきました。日常に色が戻り、半年後くらいに改めて病院で検診を受けた時に分かった、最初の奇跡。
片方の卵巣の嚢腫が見事に消えていたのです。

5.魂の感覚に沿って生きてみたい

病気が減って驚いたけど、それでも不妊症に変わりはない、そんな気持ちでした。私は、子供が欲しいか「分からない」という状況を選択し続けました。

子供(という別の人間)のことを考えるより、自分の魂の感覚に沿って生きてみたいと思ったのです。自分のスピリチュアルな感覚に嘘をつきたくないし、皆が求める私を演じる時間を減らし、自分を好きになってみたい。魂の目的を知って、自分の力を知って、魂が喜ぶ感覚で生きてみたい。

心許せる人の前で、ロジカルさを無視して(思考を使い過ぎず)擬態語だらけの感覚で話したり、自分が昔から持っているスピリチュアルな感覚を話すことから始めました。過去の頑張ってきた自分を認める言葉を口に出してみたり、自然の中に身を置く時間をとってみたりもしました。

そして33歳の終わりの頃に、ハイヤーセルフリーディングのセッションを受け、自分の魂の目的やサイキック能力を理解することができました。パッと視界が広がった感覚になれ、「自分の能力を人に活かせるように高めよう」と決めました。

34歳になってすぐにハイヤーセルフリーディングを学び始めました。このnoteでスピリチュアルな感覚やサイキックなことをカミングアウトし、リーディングや潜在意識のことをさらに学び、自分のサイキック能力も磨いてきました。
35歳になってすぐに個人セッションを始め、今では企業の組織開発コンサルや人材育成の講師の時もスピリチュアルな感覚を活用するまでになりました。

魂が喜ぶ感覚で生きること。それは人間の本来の姿で、本当は難しいことではないこと。難しくしていたのは、誰でもなく自分だったということ。

6.赤ちゃんからのロックオン

潜在意識からクリアにしていくという学びを進めていく中で、私は「子供」という体験をしてこなかったことや、幸せになってはいけないと潜在意識から思っていたことなど、それはそれはたくさんの事が解明されていきました。

子供が欲しいか「分からない」という状態を続けてきましたが、そもそも「子供という体験=無条件に愛されたり育まれたり無邪気でいること等」を経験していなかったため想像がつかなかったのだと思います。潜在意識の中で、私は幼少期から、「親の親」をやっていたのでした。親だけでなく、常に自分を放置して、誰かのために何かをする、ばかりをやってきたのでした。そして、自分を大切にしてはいけないと思い込んでいたのです。

他にも、潜在意識の中にある山ほどのビリーフ(信念)を置き換えたり癒していく中で、2020年の8月末、35歳の夏に、突然「あ、私子供できるんだわ」とハッキリ感じとることができました。赤ちゃんの魂が私をみている、ロックオンしていると伝わってきたのです。自分を癒すことで起きた奇跡でした。

7.一瞬で母になる

子供が欲しいか分からなかったにもかかわらず、ロックオン後は、純粋にワクワクして楽しみで仕方ない感覚になりました。変な感覚でした。

自分のハイヤーセルフに「赤ちゃんいつ来るの?」と聞いたら、「11月だよ」って言うんです。早くない?!一応、不妊症よ?と半信半疑な私(笑)

・・結果的には、本当に11月に来てくれました。自然妊娠です。なんだこの奇跡。

妊娠が分かったのは12月の初旬でした。ハイヤーの言葉に半信半疑だったので、生理がこないのも気にしていなかった程でした。

12/7、初めて病院に行き、エコーを見せてもらいました。
エコー写真を見たことがある方は分かると思いますが、子宮の中に楕円が見えて、その中に小さな小さな丸みたいなのが見えるんです。

あの、、正直、何がなんだか分からない。
なのに、なぜか「可愛い」って思うんです。
本当に不思議。笑顔になる。ドキドキする。
愛おしい、可愛い、大好きって、思うんです。

もうね、一瞬で、お母さんになる。

自分のお腹にもう1つの魂が宿っている。なんという奇跡。
急に感じる一体感。
別の人間なんて感覚じゃない。私の中の、私より大切なもの。

この愛おしい存在をどうすれば守れるか。どうすれば元気に育ってくれるか。
多くのお母さんは、こんな風に思うのではないでしょうか。
吐き気や眠気、だるさなども「母体を休ませよう」としているように感じました。
自分の体をリーディングしたら、全細胞が赤ちゃんを育てることに総動員で協力体制に入ったというイメージでした。

私が一瞬で母になった日。もう一つの奇跡。
私のもう片方の卵巣の病気も、跡形もなく消えていることが分かりました。

8.赤ちゃんのハイヤーセルフの神聖さ

エコーで確認してから、早速赤ちゃんのハイヤーセルフと繋がってみました。
あまりの神聖さに、息を飲みました。
太陽のような光そのもので、とんでもない光の量、そのエネルギーは無条件そのもの。全てを分かっていて、全てを包むような愛そのものでした。

「助けに来たよ」そう言ってくれました。
「あなたの人生をサポートしに来たよ」って。

嬉しくて、涙が溢れました。
よく見ていくと、何だか宇宙にいた頃に、すでに会っているようで。
先輩と再会したような気がしました。

赤ちゃんという存在は本当にすごいですね。
自分の両親、旦那さんの両親、近しい人にも報告したとき、皆本当に喜んでくれました。「生まれる時は東京に手伝いにいくから」って母親が言ったのです。一般的には普通なのかもしれませんが、私にとっては奇跡。私は母親の言葉を素直に受け取り、「ありがとう」って笑顔で伝えることができました。

9.心拍が確認できない

その後も毎日、赤ちゃんのハイヤーセルフと話をしました。楽しい時間でした。

「どんな風にサポートしてくれるの?(ワクワク)」と聞いたら「いやいや私赤ちゃんなんだからサポートしろよっ」とツッコまれたり(笑)

「男の子?女の子?女の子なきがしているんだけど」と聞いたら「まだ決めていない〜。もう1人来るよ」って言われて驚いたり。

なんとなく遺伝子異常があるかもと思ったので、「異常がなくてもやりたいことできるよ」と伝えたら「そうなの?!」と言っていました。
今思えば、この時すでに遺伝子異常があったのでしょう。多くの流産の原因は遺伝子異常と言われますね。

12/21、検診にいくとまだ心拍が見えない。
週数が進んでも、6週くらいのままに見えました。先生は「もう心拍が見えてもいいんだけどね。2週間後、年明けにまたみましょう。」と言いました。

2週間も待つのか、不安だなと思っていたところ、少し出血があり年末にもう一度診てもらうことになりました。私は怖くて、自分の子宮をリーディングしました。なんだか溶けているような映像が見えて、ザワザワしました。

結局12/28の年末の検診でも心拍は確認できませんでした。
エコーを見ると、私がリーディングで見た、溶けたような様子に見えました。
先生は「年明けに心拍が確認できなかったら遅すぎるかな。」と言いましたが、きっともう難しいと分かっていたと思います。流産についての軽い説明、年末年始に出血した時の救急病院への紹介状などを書いて渡してくれました。

10.赤ちゃんがくれた心の準備期間

病院の中でも泣き、帰り道でも泣き、帰ってからも号泣。
自分の心や涙がコントロールできなかったです。

12/28の夜、私は眠れませんでした。泣きながら、お腹をさすって起きていました。深夜、フッと、赤ちゃんの体から魂が抜けるような感覚を覚えました。
「あーいなくなってしまった。」と感じました。
泣きました。たくさん。今も書きながら泣いています。

本来なら、12/21の検診のあと、年明けまで2週間不安の中で過ごすはずでした。
でも12/28に検診に行けたことで、その夜中に魂が抜ける体感があったことで、私は離れるための心の準備をすることができました。

年末年始だったので、仕事もなく、旦那さんもいて、1人になる時間もなく過ごすことができました。毎日毎日泣いて、眠れないので夜中は潜在意識のセルフワークやヒーリングをして過ごしました。

1週間くらいは、本当におかしくなりそうでした。あまりに心が辛くて、赤ちゃんのハイヤーセルフと繋がる余裕もありませんでした。
何をしていても、ふとした瞬間に涙が溢れる。夜中に音がなくなって、暗闇になるのが怖い。どうしようもない悲しみに襲われるから。
なんで、なんでって思う。こんなに好きなのに。こんなに愛おしいって思っているのに。
流産の経験って、とんでもないです。心臓が潰れそうでした。

11.自然排出か、手術か

私は、お腹の中で赤ちゃんが亡くなってしまう、稽留流産でした。
稽留流産は、週数にもよると思いますが、自然排出か手術かを選ぶようです。
先生曰くは、「海外では自然排出を待つのが一般的。日本でも今は自然排出を待つことが増えているよ。」とのことでした。

お母さんの体は、今回は赤ちゃんが育たなかったんだな、と気づくんだそうです。
そうすると、自然に子宮が妊娠できる状態に戻ろうとして、排出が起きる。それが自然排出だそうです。次の妊娠がすぐにできたり、何より体の働きに委ねるので、動物的に見ると自然排出の方が体の負担が少ないのかもしれませんね。
ただ、いつ排出が起きるか分からないこと、大量の出血になる可能性があること、痛みも人によってはかなり強い可能性もあるようです。
そして、排出されたもの(つまり赤ちゃん)をお母さんが拾い上げて検査に出すケースが多いそう。

私は、自分で拾い上げて・・をする勇気が出ず、手術を選ぶことにしました。
子宮に傷がつく可能性があったり、感染症のリスクもありますし、次の妊娠まで少し期間があきます。自分の心を想像し、手術を選んだということです。

1/4に年始の検診を受けて、1/7に手術が決まりました。

色々調べたり、流産経験のある友人にも話を聞いて、納得して手術を選びました。自分で決めたけど、なんとも言えない感情でした。
「どうしよう、離れたくない。何で離れなきゃいけないの。」
「私の体に吸収できたらいいのに。そうしたらずっと一緒なのに。」
そんな風に思って、手術を決めてからも、小さい子供のように、駄々をこねるように、私はわんわん泣きました。

私、子供の時にわんわん泣いたことないんです。
「あー、子供というものを体験しているんだ」と感じました。
自分の感情のまま。自分の心を守るため。とにかく泣く。誰がどうとか関係なくただ泣く。それを自分に許し、そして無条件に受け止めてもらうという体験でした。

12.手術当日と術後

手術は日帰りでした。これはネットで検索したら出てくるし、病院によって時間も変わると思います。ざっくり書いておきます。

11時半に病院に入って、血液検査や消毒などを行う。
30分ほど心の準備をして(私はまた泣いた)、昼頃に手術室へ。
全身麻酔をして、知らない間に手術が終わって、気がついたらベッド。
17時頃まで体を休めて、帰宅。

手術中は寝ているので痛みはありませんし、15分ほどで終わるみたいです。
私は手術中にすごく発汗していたらしく、ベッドで目覚めた時は、体が冷えて震えていました。(毛布とか暖房とか色々温めてもらいました。)

手術後に体を休めている時も、私は泣いていました。看護師さんが心配して何度も見にきてくれました。本当に皆さん優しいですよね。

術後は、1週間程度、痛みや出血があることが多いみたいです。
生理痛みたいな感じです。私は、他にも、頭痛やめまい、吐き気が少し出ましたが、鎮痛剤や胃薬に助けてもらいました。

子宮をリーディングすると、うねりを起こして、復旧作業を行ってくれているように見えました。体って本当にすごいなと感じましたし、体を信頼すると、痛みなども悪いものではないと思うことができました。

13.嬉しかった言葉、対応

ここまで書いてきたように、流産はとんでもなく苦しい体験でした。本当に愛した人を亡くしたり、大大大失恋をしたり、最愛の母を亡くすような感覚に近いのでは、と流産を経験したことのある人はおっしゃっていました。

私は、いずれこの経験をnoteに書くと決めていたので、自分が運営しているコミュニティやFacebookでも打ち明けていました。
本当にたくさんの人が支えてくれて、どれほど救われたか分かりません。

以下はほんの一例ですし、あくまで私の感覚ですが、救われた言葉や対応を残しておきます。

・泣いているとき、ただただ居てくれる。
 「声出して泣いていいんだよ。我慢しないでいいよ。」
・私が発する言葉をひたすら聞いてくれる。
 「そうだね、そうだね。」
・「ゆきは何も悪くないよ。一所懸命頑張っていたよね。」
・「お母さんになったんだもんね。これからも、お母さんだよ。」
・「赤ちゃんはいなくならないよ。きっと一緒にいるよ。」
・「ありがとう。頑張ったね。」
・辛いね、本当に辛いね。言葉が見つからないよ。
・どれほど心を痛めていることでしょう。
 ゆきさんの傷が癒えることを祈っています。
・私も心が壊れそうなほど辛かったよ。ゆきの心と体が一番大切。
 少しでも安心する選択(自然排出か手術か)をするといいよ。
・顔見たくて、来ちゃったよ。温まるお茶持ってきたよ。
・リーディングができても、ヒーリングができても、
 悲しいのは当たり前だよ。ゆっきーは人間なんだから。
・赤ちゃんに、ゆっきーの愛は届いているよ。
・言葉にするのが上手くないからとプレゼントを贈ってくれたこと。

どんな言葉も嬉しかったですが、特に、励ますというよりも私の心の苦しさに焦点を当ててくれた言葉や対応が、本当に嬉しかったです。多くの方からの愛が、どれほどの癒しになったことか。全ての方に、心から感謝しています。

奥さんが流産してしまった旦那さんや、親族の方へ。
どうか、お母さんの心の痛みにただただ寄り添ってあげてください。想像できない苦しさがあると捉えて、たくさん一緒にいてあげてください。
流産の経験を通して感じたことなどがあれば、素直に伝えてあげてください。「僕には経験できないことだけど、本当に辛いよね」とか、「よく頑張ってたよね、赤ちゃんも君もすごいよ」とか「この経験でたくさんのことに気づけた、ありがとう」とか。

※「次があるよ!」「切り替えて行こう!」みたいな言葉は、しばらく経ってからでいいかもしれません。人によるのでしょうけれど。。
少なくとも私は、弟から「諦めないで!姉ちゃんは悪くない!次がある!」って年末に言われて、今その言葉いらんわ〜次とか今考えられへんわ〜って、結構しんどかったです(笑) 悪気がないのはもちろん分かってます(笑)

14.赤ちゃんはとても満足しているということ

いくらハイヤーセルフリーディングができても、ヒーリングができても、人間なので、本当に辛かったです。でも、リーディングやヒーリングができて、回復が早かったのは事実なんです。

色々な方に知って欲しいです。
赤ちゃんは全然後悔していないし、とても満足していることを。

私達お母さんは、「この子はもう生まれることはできない」「こんなに短い命で終わるなんて、可哀想すぎる」「どうしてこんなことに」「私が悪かったのかな」「私が〜〜していれば」などと感じる人が大半だと思います。
医学的にみて、赤ちゃんの遺伝子異常が原因の多くを占めると聞いても、自分を責める感覚に陥る方は多いのではないでしょうか。

赤ちゃんはきっと、何か役割を持って、地球に遊びにきています。
私の赤ちゃんは、「人生をサポートするために来たよ」「どんな準備が必要か分かったでしょ〜」と言っています。
今回赤ちゃんが渡してくれたギフトです。

・私の仕事の仕方を見直すきっかけ
・自分の体を大切にしようと、義務ではなく心から思うきっかけ
・夫婦の関係性をよりよくするきっかけ
・赤ちゃんを迎えるために必要な準備を教えてくれた
・私が赤ちゃんが欲しいと思っていることに気づかせてくれた、
「分からない」を終えられた
・同じような流産を経験した方の力になりたいと思った

ほぼ同じ時に流産をした友人がいて、その子もリーディングができるのですが、同じく「赤ちゃんはすごく満足しているみたい」と言っていました。その子の赤ちゃんは、こんな役割をしてくれたようです。その子と話している時に出てきた言葉をピックアップします。

・最愛のパートナーとの結婚を応援してくれた
・自分の弱さを受け入れ、人にたくさん甘えることや頼ることを教えてくれた
・旦那さんへの愛情を深めることができた
・自分が休んでも仕事が回ること、休んでもいいことを教えてくれた

他にも、私も友人も、「周りの方の無条件の愛」をたっぷり感じることができました。優しい言葉、愛あるプレゼント、たくさんの愛を受け取ることができました。

赤ちゃんは、「あー楽しかった」って言っています。
すごく満足していて、ニコニコしているんです。


きっと、それぞれの赤ちゃんが、役割を持って来てくれているのではないかな、と私は思います。

そして、これはびっくりしたのですが、今、自分のハイヤーセルフを見に行くと、赤ちゃん一緒にいるのですよ!一体化している感じで!
12/28の夜、赤ちゃんがいなくなったと感じたのですが、一緒にいたんです。

私たちの肉体は、この3次元の世界での器みたいなもの。
魂的に見ると、私と赤ちゃんは、出会っているし、離れてもいないのです。

そして、私と上記の友人の赤ちゃんは「また来るねー」って言っています。
なので、外見は違うんだけど、同じ子が来るってこと

9.で書いたように、私の赤ちゃんは「もう1人来るよ」って言っていましたが、また別の体で来るねって事だったのだと思います。

15.あまりも辛く、あまりにも奇跡的な体験

私は妊娠も流産も初めてだったので、この経験や感覚は皆さんに伝えないと、と思いました。あまりにも辛く、そしてあまりにも奇跡的な経験だったからです。

子供が欲しいか分からなかった自分が、不妊症だった自分が、子供をさずかり一瞬で母親になったこと。流産の経験は、信じられないくらい辛いこと。赤ちゃんは実は満足していてたくさんのギフトをくれていること。

辛い思いをしている方がいたら、何か力になれたら、と思いました。
私は、皆さんご自身や、赤ちゃんのハイヤーセルフとお話しすることもできますし、皆さんのお辛い気持ちもヒーリングすることができます。セッションじゃなくても、ただただ話を聴くこともできます。一人で苦しまず、声をかけてください。

本当にすごい経験をさせていただきました。
今は、自分の身体を整えるために、リラックスする時間を増やしたり、臓器のクレンジングを始めています。嫌いな運動も少しずつできそうな気がしています。
取り組まねば、ではなく、取り組みたいという気持ちで動けているのが不思議です。これもギフトですね。

長文お付き合いくださり、ありがとうございました。


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