見出し画像

私の中の思い込み

昨年11月くらいから
私のハートの奥の扉が1つ開いたようで、
自分のコアの部分、
核心に少しずつ近づいている感覚を
興味深く見守りながら楽しんでいる毎日です。

少し前のブログに
「トラウマを超えていきたい」ということを書いたけれど、
その時に書いていた、
魂の声を響かせるセッションに行ってきた。

私にとって、
声を出すことは躊躇することであり、
特に大勢の前で何かを話すことはとても難しい、
という苦手意識を持っている。

セッションでは、
呼吸に意識を向け続けることをしたり、
私自身の魂のうたを響かせてもらって
私が何を感じたかシェアリングをしたり、
私から発せられる魂の音を出したり、、、
私にとってはものすごくいろんなことを感じる
深い時間になった。

そして、私の中にある恐れも明らかになった。

身体的には、
目を閉じて呼吸に意識を向け続けているときに、
外側にある何か余計なエネルギーを敏感に察知してしまったとき、
パニック障害だったときの予期不安が
襲ってきた。
激しい動悸と
体から精気が抜けていくような全身の硬直が起こって
呼吸が苦しくなる。

心の状態としては、
うまくやらなきゃいけない、
ちゃんと声を出さなきゃいけない、
そんな風に頭で考えすぎて
魂の音が自分から出せずにいる自分に焦っていた。

私は一体、
何を焦っているんだろうか?
なぜ焦っているんだろうか?

そして、家に帰って、
その日の夜から始まった、
HAPPYちゃんの21日間のサイレントプログラム。

昨年から入っているオンラインでのワーク、
私の人生にとても役に立っているんだけれど、
その最終章でもある。

夕方に受けた魂の音を響かせるセッションが
このプログラムにまで続いているとは、全く思ってなかったけれど、
もろにリンクして深まったのは間違いない。

最初にHAPPYちゃんがこの21日間プログラムの意図を言っていた。

自分の中にある不要な思い込みを取り除くこと

そう、それ。
思い込み。

なぜ私は思い込んだのか、
もうとっくに忘れていたり、認識にあげていなかったりするんだけれど、
昨日はびっくりするくらい明確に私の中に湧き上がってきた。

「私が声を出したら、変な目で見られる」

それが出てきた。。。
これが私の中に強烈に組み込まれた思い込みだった。

そして思い出した。

私は小学生時代、
クラスの人の前に出て喋ることができなかった。
だから、
中学受験をして私のことを誰も知らない中学校に入ったら
そんなの普通にできるふりをして喋ればいいんだ!と考えていた。

でもそんなのは甘い考えだった。

今まで一度もやってこなかったことなんて、
すぐにできるわけがない。

私は自分の心身の状態に戸惑った。

中学に入ってから、
小学校の時と同じように、
先生に教科書を読まされたり、解答を求められたりする。
そして私がみんなの前で話をしようとすると、
パニックに似たような状態になった。

激しい動悸と
体から精気が抜けていくような全身の硬直が起こって
呼吸が苦しくなる。
息ができなくなる。

さっき書いたセッション中に起こったことと全く同じだ。

そして頭の中だけでなく、
世界の全てが真っ白になって
何も見えなくなって
何も感じられなくなっていく。

周りはシーンとなって、
たくさんの目が私を見ている。
そのたくさんの目たちは私にとって凶器でしかなかった。

あの時感じていた世界は、本当に異様だった。
意識はどこか遠くの世界に逃げていって
今ここにいる私を極力感じないようにしていた。
立っているのか、話しているのかさえ、感じられない、
変な世界に迷い込んだ状態だった。

私は今何をしているのか?
私は何故ここにいるのか?
ここから消えてなくなりたい。
神様、私を今すぐ消してください。

ちっちゃな私はそんな風に訴え続けた。

私には生きている価値なんてない。
私はここにいるべき存在ではない。

そうやって
どんどんダークサイドに引き込まれていく私がいた。
その頃の意識を思い出すと本当に恐ろしい。

それなのに、学校を休むこともなく、
頑張って生きていたあの頃。。。

昨日1日に体験した出来事だけで、
私の一番扉の奥に閉じ込めていた感情が一気に吹き出してきた。
なんという日なんだろうか。。。

それを今ここに文章として書きながら、
体が心が猛烈に震えている。
ブルブルしている。
あの時閉じ込めていたものが今ここに存在し、
体から少しずつ放出されていっているのが分かる。

あぁ、やっぱりそうなんだ。
過去も未来もないんだ。
全ては今ここにしかないんだ。
全てが今ここにあるんだ。

私がずっと握りしめてた思い込み、
それをやっと解放するプロセスに入ったんだなと、
涙が溢れてきた。



私はとても弱い。
とても弱い生き物なのに、強いフリをして生きてきた。

強いフリをスタートしたのが、
小学校6年生。。。11歳の時。(あぁ、また何故かゾロ目が出てきた)

強いフリを続けていくと
まるで自分が強い生き物のように感じられるようになることもある。
だから強い部分もちゃんと形成されてきたのは有難いことではある。

でもそれと同時に、
弱い自分を出せなくなってしまう。

私は動物占いでは「こじか」

本当は怯えてるんだな。
急に動物占いのことを思い出したけど、
なんかあまりにそのままで笑えてきた。

人は弱くてもいいんだってこと、
やっと分かった気がする。

この冬の土用は何だかいつもより濃厚すぎて
自分がこれからどうなってしまうのか、
想像もつかない。

2月が始まりましたね。
寒さに負けず、
自分の真実を追い求める時間にしたいなと思います!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?