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音楽はアートか、ビジネスか


こんにちは、JC HOPPER Jr.のクワバラです


インスタグラムにてノートのお題を募ったところ、「音楽はアートか、はたまたビジネスなのか」という質問を友人からもらった。自身にとっても非常に興味深い話題だったため、バンドマンとしての視点から、自分なりにこの議題について論じようと思う。

この議論をする上で、まずアートというものが一体何なのか僕なりに定義しよう。

僕にとってアートとは、人間の精神状態、やりたいことを形として表現することがアートであると思う。自身の気持ちを投影していく中で及んだ行為は、僕の定義の中ではすべてがアートというものに成り得るのだ。

それは例えば、退屈な授業をやり過ごすためにノートの端に書いた落書きでも良い。

湯舟に浸かる中で、突然思い浮かんだメロディを鳴らす鼻唄でも良い。

散歩中、何の気もなしにアスファルトに石で描いた円でも良い。

そこには年齢も、性別も、人種も関係ない。人は今この瞬間から、気持ちを外部に対して発信したその瞬間から、「表現者」であり、「アーティスト」に成り得る。

この理屈から言えば、音楽というものは当然「アート」こそが全ての土台であり、芸術という表現のもとで成り立っているものである。

これを我々バンドマンに当てはめると、どうだろうか?

それはギターを始めて握り、コードを鳴らしたあの瞬間から何も、何も変わっていないのだ。あの時の情熱が、そのままアートとして活動の延長となっている。

音楽・バンドというものを始めると、ある程度自身にとってのバッグボーンが生まれる。自身にとってやりたい音楽…この議題上、アートはこれにあたる。自身の好きなアーティストの楽曲をコピーすることなんかは、まさに音楽としてアートの領域が強い行為だ。

ましてや自分で曲を作ろうとすれば、最初は自分の好きなアーティストのコピーと言われても仕方ないような楽曲が出来上がるのも無理はない。僕から言わせれば、それはアートの塊と言って差し支えない。純粋無垢な、自分のやりたいことの原点がそこにはあるのだから。

ここまではある種「アート」という側面から議題をブラッシュアップした「綺麗事」である。それでは、ここにビジネスという領域が表出するのは、一体どのタイミングだろうか。

それは偏に、「創り出した音楽をもとに得た金のみで、生活を送りたい」……こう考えた時点だろう。

ビジネスのいう単語を使用したが、自身がやりたい音楽のジャンルとある程度の折り合いをつけ、聴き手がついてこられるような、聴き手が増えるような音楽への歩み寄りを図る……それもこのケースにおける「ビジネス」という単語に該当する。

スマホ一つあれば簡単に好きなアーティストの楽曲を聴けるようになった現代において、音楽というものは、他の芸術に比較しても受け手の敷居が非常に低い。受け手は多岐に渡り、対象の芸術に造詣が無くとも楽しめる。

つまり言い方を選ばずに言うならば、「ミーハー」の人たちが現代の音楽の聴き手の大部分を占めている、というわけだ。

市場が広くなっていくほど、このリスナーたちの母数は増えていく。某キー局の長寿音楽番組に出演するような、有名バンドの1、2曲程度しか聴かない人が殆どの中で、ライブハウスに顔を出し、メジャーデビュー一歩手前のバンドに注目するリスナーでさえも、全体数からみれば、かなり歩み寄りをしてくれている方だし、ましてや小箱も埋めることさえできないようなバンドを律儀に見に来てくれる人は、絶滅危惧種といっても過言ではない。

彼らを相手にするというならば、やはりリスナーへの歩み寄りというものはどのバンドもある程度は念頭に置かなければならない事項だろう。あとは本人の音楽的才能や技術、そして時運……このような代物が綿密に絡み合い、キャリアの成否が分かれていく。

このジレンマは、キャリアで成功を収める上ではバンドマンの宿命ともいえる代物であり、例えば現代のバンドとして非常に天才肌として名高いあのking gnuでさえも、バンドが目指す音楽は、誰が聞いても「いいな」と思えるようなJ-POPであると、King Gnuのリーダー・フロントマンの一人である常田大希氏も発言している

常田氏の狙い通り「白日」にてヒットを記録し、自身のバンドのキャリアがある程度盤石なものとなったうえで、自身のやりたい音楽性、アートの領域にある程度振り切った「ミレニアム・パレード」を結成した。

つまり常田氏でさえも、「king gnu」のバンド自体に商業価値、名声がつき、ある程度自分の好き勝手をしてもファンが離れることはないだろうと段階まで到達しなければ、アートの領域に足を踏み入れることはできなかった、というわけだ。

これは決してKing Gnuに限った話ではない。スピッツもデビュー当初はパンク路線だったし、RADWIMPSも当初はファンクやパンク、ヒップホップといったミクスチャーで売り出していた。

つまり今ビジネスとして成功を収めたバンドは、大なり小なりこの問題に直面し、都度模索しながら結果を出してきたというわけだ。アートの領域に振り切った音楽が大衆に理解されることは、あまりない。

ただし、アートが突き抜けた……つまり自分のやりたいことに振り切った結果、ビジネスとして成り立ち得るケースは、僅かながらに存在はする。

例えばそれは、自身にとってのアートが「ビジネス」として消費者が求めたニーズと一致をする、そのケースである。

例えばだが、音楽におけるジャンルによっては、バンド・ファンの界隈の中で強力なコミュニティが存在している。ファンもその音楽のジャンルに対する造詣が深いため、アートの領域に振り切った音楽でも受け入れてしまう。

そういったコミュニティの中では、自身のやりたいことに特化した方がコミュニティに受け入れやすく、また先輩のバンドやブッカーにフックしてもらいやすいのが顕著であることがなによりの証左である。

市場が小規模であるほど、音楽のアートの領域の懐が深いリスナーは多いということは、バンドマンならばある程度理解しているはずだ。


キー局に出演し、オリコンのチャートで名前を挙げられたい。


数万、数千規模の会場を埋めたい。


全国のライブハウスを行脚して、満杯にしたい。


自身が音楽という代物に向き合う上で、どの「ゴール」を目指すのか……それによって「アート」と「ビジネス」という領域がどれほどの割合で生じ、やがてそれが自身の音楽となるのかは変わってくる。それを悩み、模索していくのもまた一つ「音楽活動」であるといえよう。

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