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辰年ということで


はじめに

2024年が幕を開けた。

ガザとウクライナの戦争はまだ続いており、世界は緊張状態が続く。

また本年はアメリカの大統領選挙も控えており、一部の有識者は「トランプ氏が7割の確率で当選する」との見方を示してる。

トランプ氏の大統領在任期間の2017年から2021年の政策を見ると、自由主義的な価値観や多国籍主義を重視するのではなく、自国第一とした保守的な価値観に基づいて政治を進めることは間違いないと思われる。

各国の紛争、不安定な世界情勢、現在はまさに混迷の時代と言えるだろう。

ところで2024年は辰年だ。

辰つまり龍は干支の中でも実在しない生き物であり、古今東西の歴史や文化と深く紐づいている。

また興味深いのは西洋と東洋で「龍」に対しての歴史的な繋がりが対象的なことである。

西や東のような大きなスケール以外にも、その対象性は存在する。

ドラゴンボールの神龍(シェンロン)は七つの玉を集めるとなんでも願いを叶えてくれる神のような存在で登場するが、モンスターハンターの龍は凶暴で災厄をもたらす狩るべき対象だ。

(ちなみに私の好きなモンハンのモンスターはダントツでイャンクックだ。)

話は逸れたが今回はそれぞれ違う扱い方をされてきた「龍」を、私の稚拙な文章で書き留めたいと考えている。


西洋文化での龍

結論から記述したい。

西洋文化での龍は災いをもたらす悪の象徴として登場している。

その根源にあるのは「聖ゲオルギウスと竜」というキリスト教の伝記である。

リビアのシレーネは近隣の池を住処とし、田園地帯を汚染する毒を吐くドラゴンに悩まされていた。人々はドラゴンが都市そのものに害をなすことを防ぐため、毎日2頭の羊と、男と羊、そして最後にくじで選ばれた子供と若者を生贄としていた。あるとき運命が王の娘に降りかかった。王はすべての金銀と引き換えに王女の身代わりとなってくれるよう求めた。しかし人々は拒否した。王女はドラゴンの餌となるために花嫁衣装をまとって湖に送られた。

そこにたまたま聖ゲオルギオスがやって来た。王女は彼を送り出そうとしたが彼は留まると誓った。彼らが会話している間にドラゴンが池から現れた。聖ゲオルギオスは十字を切ったあと、馬に乗ってドラゴンに突進し、槍でひどく傷つけた。それから王女に彼女の腰帯を投げるように言い、それをドラゴンの首にかけた。彼女がそうしたとき、ドラゴンは鎖につながれた「おとなしい獣」のように少女の後に従った。

wiki

ゲオルギウスはローマ帝国の軍人で、多くの英雄的な行動が伝えられている。

しかし彼はディオクレチアヌス帝による偶像崇拝の考え方が受け入れられなかったため、最終的に殉教してしまう。

上記の伝記は西洋文化における龍のイメージに深い意味を与えている。

聖ゲオルギウスのような英雄が龍と戦う物語は、単なる伝説やファンタジーに留まらず、宗教的な信念と倫理的な対立を象徴するものとして捉えられている。

この視点から見ると西洋における龍は、単に物理的な敵対者以上のものとして表現されている。

龍は異教の象徴、邪悪な力、人間の倫理と信仰を脅かす宿敵としても描かれている。

これらの物語において英雄はしばしば正義と善の代表として描かれ、龍を倒すことで、善が悪に勝利するというメッセージを伝えている。

さらにこのヒーローストーリーは西洋の文化と芸術に大きな影響を与えており、龍や英雄のモチーフは絵画、彫刻、文学など多岐にわたる分野で見ることができる。

聖ゲオルギウスと竜の物語は特に中世の芸術作品で頻繁に描かれ、キリスト教徒の信仰と闘争の象徴としての地位を確立した。

このように西洋文化における龍のイメージは、歴史、宗教、芸術に深く関わっており、文化的アイデンティティの形成において重要な役割を果たしている。


東洋文化での龍


中国における龍の起源は深く古代に根ざしており、その最初の痕跡は新石器時代まで遡る。

この時期に制作された陶器や彫像には、龍らしき文様が確認されている。

自然界の巨大なエネルギーを象徴するとともに、さまざまな動物のパワーを組み合わせた神秘的な生き物として人々の想像力を刺激した。

また青銅器時代に入ると祭祀用の青銅器にも龍が描かれるようになり、その文化的な重要性が高まっていく。

この時代の龍はまだ多様な姿をしており、想像上の存在としての特徴が色濃くでていた。

しかし漢代に入ると龍のイメージがより具体化し、皇帝の権威の象徴としての地位を確立していく。

王符の『九似説』によると、龍は鹿の角、駱駝の頭、ハマグリの腹、兎の眼、牛の耳、蛇の項、鯉の鱗、鷹の爪、虎の手を持ち、長い髭と81枚の鱗を持つとされ、特に喉下の逆鱗は有名である。

そして日本では弥生時代に中国から伝わった龍のイメージが土器や倭鏡に見られ、古墳時代には壁画などにその姿が描かれるようになっていく。

特に奈良県の高松塚古墳に見られる青龍は、四神の一つとして被葬者を守る役割を担っている。

しかし日本の龍神信仰に大きな影響を与えたのは仏教の伝来だった。

インドの神話に登場するナーガは仏教において龍として崇拝されている。

このナーガはコブラをモデルにした半人半蛇の聖獣で、中国の龍とは異なる特徴を持っていたが、中国に仏教が伝わった際にはナーガが「龍」と訳され、中国の龍と同一視されるようになる。

このようにして中国とインドの影響が融合し、日本独自の龍神信仰が形作られた。

古くから日本では水辺に住む神や蛇神が信仰されており、龍神はこれらと結びついて、雨を降らす神、稲作の豊穣神、天候を司る神として崇拝されるようになった。

龍は水中に棲み天に昇るイメージから、運気を上げる縁起の良い存在とされ、金運や仕事運を上げる御利益もあるとされている。

このように東洋の龍のイメージは人々の守護神的な位置づけであり、ある種の権威性を帯びていて、その存在は決してネガティブなものではない。

まとめ

辰年ということで想像上の動物である「龍」の文化的背景について記述した。

東洋と西洋という地理の違いによって、そこに受け継がれる同一の存在のイメージがここまで乖離するものなのかと思い知らされた。

さて龍という存在がこんなにも多面的で複雑なことが分かった今、世界で起きているあらゆる問題も同様に多面的で複雑怪奇なのである。

一つの事象においても、国家、文化、宗教の背景が異なれば解釈もバラつきがある。

2024年もしかしたら負の側面ばかりがフューチャーされる年になるかもしれない。

そんな時私は龍を思い出して「鱗は一つじゃない」と思い出すことにしよう。


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