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秋の夜、公園に1人たたずむという贅沢

夜の帳が下り、街の喧騒が静まり返る23時過ぎ。
秋の風が、日々の疲れをそっと拭い去ってくれる。

私、ある20代の会社員は、今晩、仕事帰りの一コマをここで、未知の公園で切り取ることにした。

この地に足を踏み入れてから数える月日が流れ、それでもこの公園の存在は知らなかった。

不意に訪れた静寂が、日常の喧噪を優しく包み込む。

しめしめ誰もいないということを確認し、ブランコに腰を下ろす。
足を軽く漕ぐ。
一回、二回。

子どもの頃の記憶が、心の奥から少しずつこみ上げてくる。
ブランコが空に向かって揺れるたび、"大人の私"は少しずつ解放されていくようである。

恥じらいながらも、心は軽やかに宙を舞う。
10分以上も時間が経過していたことに気づき、少し反省する。しかし、その反省は、次の冒険への足がかりとなった。

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公園の中心にそびえ立つ滑り台。

その頂上から、夜の公園が一望できる。
時計塔、ブランコ、砂場、そして動物の形をしたオブジェクト。
それぞれが、夜の静けさの中で、異なる物語を紡いでいるようだった。

ポケットに手を突っ込み、ミンティアを口に放り込む。
甘い香りが口の中を満たし、心地よい秋の風が頬を撫でる。

ここでの時間は、私だけのもの。
人々が寝静まる夜に、一人きりで公園を満喫する。
それは、予期せぬ贅沢の時間だった。

ブランコに揺られながら、はたまた滑り台の頂上で風に吹かれながら、私は日常を一呼吸置いて、違う世界を垣間見たのだった。
この秋の夜、私は一人の時間を贅沢に味わった。

秋の夜、公園を独り占めすることで感じた贅沢。

それは、「誰にも邪魔されずに童心に帰ることができる贅沢」であった。

子供の頃、ただただ無邪気に公園で遊んでいた時の純粋な気持ち。
その感情が、大人になった今、再び胸の中で躍りだす。
昼間に公園を訪れても決して同じような懐古はできないだろう。
なぜなら、大人の私たちは、常に何かを気にして、何かに縛られて、純粋な楽しさを忘れがちだからだ。

この静かな夜の公園で、私は自分を解放し、子供の頃の純粋な感情に触れることができた。
こんな些細なことが、大人の日常では感じることのできない、かけがえのない時間だった。

読みかけの小説を少しだけ読み進めて帰ろう。

今晩は、寄り道をしてみてはいかが?

では、また。

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