「やせたい!」焦燥を、人類学者が解きほぐしてくれた

だいぶ前から、コンビニの商品をくるっとひっくり返して裏側の成分表をみることが習慣になった。

食べ物は、「炭水化物」「脂質」「タンパク質」の塊だ。脂質が5g以上のお菓子は、ごほうび。牛丼も、カレーライスも、ピザも、肉まんも、ごほうび。同時に毒。

スカートのウエストを締めても苦しくないと「存在していていい」許可をもらった気分で、安心する。「標準体重」よりいくぶん軽い体重は「許されてる」。

もっと幼い頃、食べすぎた!と青ざめて、カレースプーンを喉につっこんで吐けないかと試みたことは一度や二度じゃない(吐けなかった)。

これは私の日常だが、特別めずらしい感覚でもないと思う。

「太ったら、存在を許されなくなる」と、肌感覚で思っている人は多いんじゃないだろうか。YouTubeは「身長XXcmで体重YYkgの私がふだん食べてるもの7選」みたいなのが無限に流れてくる。
ほとほとうんざりしかけているのに、やめられない。

この記事は、そんな自分が、文化人類学についてインプットする中で、人生でぶつかってきた「やせたい」をちょっとだけ理解することができた、そんな話だ。

なんで「やせたい」のかを解体する

直近、文化人類学に興味をもち、いくつかの本を手に取る中、出会ったのがダイエット幻想だ。

医療の文化人類学を専門とする磯野真穂さんが、拒食症の研究も通し、世界中の理想体型の歴史的変遷や、承認欲求、ジェンダーなどから、「やせたい」気持ちとは?を紐解く著作だ。

ちくまプリマー新書から出版されており、中高生でも手にとれる。

もともとは、文化人類学への理解を深めるために手をとったものだったが、読むにつれ、自分個人が持っていた疑問が解かれ、身体に染み込んでいくような、アハ体験を提供してくれるような感覚があった。

「痩せたい」は内にある欲求じゃない。「やせたい」という気持ちが「外からやってきてしまう」状態なのだと示してくれた。

私が「女の子」だったときにこの本を手に取れたらどんなによかっただろう!

「やせたい」を生み出すフルコンボ

そもそもの驚くべき事実としては、日本は平均体重が世界でも非常に少ないのに、最も痩せなければという意識が強いことだろう。なんと、第二次世界大戦後の栄養失調が取り沙汰されていた時期よりも平均体重自体は軽いのだ。

いまでは二〇代の日本人女性の五人に一人が BMI 18・ 5以下のやせ過ぎです。予防医学的にこれはゆゆしき事態であり、厚生労働省や産婦人科医も一〇年以上前から警告を発していますが、若い女性のやせは改善される様子はありません。

『ダイエット幻想 ──やせること、愛されること (ちくまプリマー新書)』磯野真穂著

日本、 韓国、中国、米国の高校生を対象にして行った合同調査の結果を見ましょう。これによると、日本の女子高校生は四カ国で最もやせており( BMI 20・ 2)、かつ標準体重に入る割合が一番多い( 71・ 2%)にもかかわらず、自分の体型への満足度は四カ国の中で一番低く、かつ約半数が自分のことを「少し太っている」、あるいは「太っている」と感じています。

『ダイエット幻想 ──やせること、愛されること (ちくまプリマー新書)』磯野真穂著

これまで生きてきた環境は、どうやら「やせたい」という環境が整いすぎているようだ。

逃れられない承認欲求と、やせる合理性

働くにも、友人になってもらうにも、人間として生きていくには常に誰かの「承認」が必要だ。いくら昨今で「自分らしさ」が素晴らしいと謳われても、その実態、もてはやされるのは、結局「承認される範囲での自分らしさ」でしかない。

「承認」は常に「承認されないかも」をはらんでいる。だからこそ、他者とは、生きることの喜びを感じさせてくれる存在でありながら、同時に、自分を傷つける可能性のある脅威なのだ。

そして、「やせただけで周りの態度が突然変わる」というのは日本ではあるあるだ。他のなにが変わらなくても、体重が軽くなるだけでそれまでなかった承認が得られて、人生が心地よくなるのだから、やらない手はない。
そうする内に、「やせたことで得られた生の喜び」が転じて「脅威」になることを恐れ、必死で体重をキープしようとし、やせていないと気が済まなくなる。

だが、これだけでは日本でこんなにやせている女性が多いことの説明はつかない。そもそもだが、なぜ「やせている」状態が良いと判断されるのか。

「やせてかわいくなりたい」

やせてかわいくなりたい。よく聞くセリフである。

この本の中で、「エマ・ワトソンが国連でスピーチする様子を"かわいく"するにはどうすればいいか?」という興味深い問いを投げかけた調査が取り上げられている。

詳細は実際に本を読んでほしいのだが、「かわいい」は、子どもっぽさの要素と親和性が高いことが改めて裏付けられる。

脂肪をつけていくことは「子どもらしい若い身体」から「成熟した大人の身体」に近づいていくとも言える。今の日本は、かわいくあり、承認されることと、成熟した大人になることが相反するという、なんともやるせない一面があるのだ。

つまり、いまの日本では、女性が承認されることと、やせていることーーひいては、若々しく、成熟しすぎていないこと、が強く結びついている。

薄々わかっていたことが、こういったアンケート調査、男女が求められることの統計調査などで、裏付けをされていく。

そして、生きる場や時代が異なると、どれだけその認知が変わるのかという、文化人類学者ならではの事例も交えて分析が展開されていく。

生きていくための救いとは?

さて、ここまで読むと、ちょっとした絶望の淵に立たされてしまうような気持ちにもなる。私たちは、どういった指針で生きていけばいいのだろうか?
なにを「美しい」と感じるか。内面化されたその価値観を消し去ることは難しい。そして、それ自体を否定するのも違和感がある。

この本では、最後に、救いも提示している。

どうしても人間関係の入り口では、「社会ステータス」「自分との共通項」「かわいい、美しい」など、わかりやすい特徴や属性で人を認識してしまいがちだ。

だが、入り口がそうだったとしても。関係値が深まった時、たとえその属性に変化があったとしても「あなた自身に興味があるよ」と認め合える人間関係となれたなら、単純な(やせてる、やせてないも含む)属性に囚われない状態を築くことができるかもしれない、と。

私個人としても、長期的な関係を築けるのは、こういった感覚を持てた人たちで、納得感があった。

現象から距離をとり、理解すること

「やせたい」は、本能じゃない。外からやってくる。社会通念も、常識も、時代や取り巻くもので変わる。

それを教えてくれるような本だった。

認知を生み出すシステムや構造を理解することで、知が広がり、客観的にその形をしることができる。
誰かの知をひきつぐことで、自分の世界の見え方や解像度を変えることができる。

それこそが学問の存在意義のひとつなのかもしれない。

おまけ: 創作でも認識を紐解ける

同時期に、出会ったBUTTERは、たまたま本屋で見つけた小説だ。偶然、両方とも、「食べる」が重要なキーワードになっていたので驚いた。

とある事件をモチーフにしているが、事件を正確に描き出すと言うよりかは、その向こうにある、社会通念やメッセージを 描き出す触媒として使っているような作品で、「やせてかわいくありたい」考えを持つ人たちを張り倒しぶん殴ってくるような内容だ。

創作もまた、新たな視野を広げてくれるものだ。

おわりに

学問や創作は、自分の価値観や世界観を広げてくれる、ある種の癒しや啓示にもなる。
もともと「人を知る」ことには関心があるのだが、その歩み方やプロセスを、いざない紐解いてくれるような学問や研究アプローチが世の中にはある。

ここまでの文章でちょっとでも引っかかった部分のあった人は、ぜひ紹介した本を実際に手に取って見て欲しい。

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