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ダイエットは究極の自己探求・自己理解のひとつ

【自己探求】【自己理解】と聞いて、どんなイメージが湧くでしょうか。

一昔前(いまでも言うのかな)だと「自分探しの旅」だとか「自分探し」というワードで、何か漠然とした不安や不足感を解消しようとしていた人もよくいたように思います。

かくいう私もそうでしたw

とはいえ振り返ってみると、「じぶん」なんて外側に意識を向けて探したって、見つかりっこないよと思うのです。

だって、「じぶん」は今この瞬間、この肉体でありこの意識であるのだから、探すなら外側じゃなくて内側じゃない?と。

内側に意識を向けていく方法はいろいろありますが、私はその中でもやはり、「ダイエット」がその方法のひとつとして挙げられるのでは、と思うのです。


自己否定がスタートライン

「痩せた方がいいな、、、」
「痩せなきゃな、、、」
「ダイエットしよう」
「ダイエットする」

こうしてダイエットをするという意思決定をするとき、スタートラインは「自己否定」です。

一人ひとり、その自己否定レベルは異なりますが、本当に本当に絶望レベルでダイエットを決意する場合、自己否定強度はかなり高めだと思います。

いま現在の、鏡に映るじぶんを「ダメだ」と否定して磨きをかけていく決意をする。

よく自分にダメ出しはいけない、と耳にします。

私ももちろん、同感です。

ただダイエット、という身に纏った脂肪を除いていく、という作業をするときの「ダメ」は、”きっかけ”としてはOK 、むしろ、ないとダイエットをしようとさえしないでしょう。

まずはダイエットを決意した瞬間、それが自己否定のフェーズだと思ってください。

無意識が意識化していく

「今のじぶんじゃダメだ」と自己否定したら、理想の体型に向かって行動を起こしていきますよね。

例えば、

食事の見直しであったり、運動をしたり。

また記録ノートやアプリを利用する場合、食事や運動の記録だけではなく、睡眠時間だったりトイレの回数なども意識する機会が増えます。

ログをとっていくと、「これまでのじぶんの当たり前(=無意識)」が可視化され、いやでも意識に上がります。

ログを取ることで、最初に否定した現在のじぶんの一部が炙り出されてくるわけです。

炙り出されてはじめて、じぶんは日頃からこんなものを食べて、飲んで、どれくらい眠っているのかなど、気付き、理解することができます。

そして好ましいものへと変更を加えていく作業に入ると、今度は工夫と調整のフェーズに入ります。

工夫し、調整していくフェーズ

ダイエット決意時:自己否定
ダイエットスタート:ログを取ることで無意識が意識化されていく

以上が、ここまでの流れです。

そして意識化された「これまでのあたりまえ」を、痩せるために変えていく段階になってきます。

ざっくり言えば、習慣を変える、という作業です。

身体の外側かつ物理的には、食事を整えていくとか、日常生活の中で体を動かす時間を増やしてみるなど、”テクニック”という部分で「あたりまえのアップデート」をしていきますよね。

そして都度都度、定期的な見直しをしては習慣に必要な変更を加えて調整していく。

無意識が意識化されたことで、意識的に変えていくことができる。

じぶんを知ること、気づくこと、そして必要ならばアップデートしていくというステップは、まさに自己理解ではないでしょうか。

とは言え、体や習慣を変えていくだけでは自己探求・自己理解とは言えません。

内側———つまり、じぶんのこころや頭の中に対しても、同じ工程が適用されますし、応用される必要があるのです。

思考パターンの把握と自己肯定感

程度の差こそあるものの、ダイエットを意識、決意した人のこころのどこかには「太っている=よくない(場合によっては悪)」という考えが存在しているかと思います。

実際、肥満であれば病気のリスクもありますし、よくないと言えばよくないでしょう。

とは言っても、どんなに肥満でも健康で元気に過ごされている方もいるので、一概にそうとも言えません。

ですが、ここで観る視点を変えてみてほしいのです。

「太っている=よくない(場合によっては悪)」という概念を、「だから」という言葉につなげていないだろうか?と考えてみてほしいのです。

「太っているからモテない」
「太っているから評価されない」
「太っているから劣っている(痩せているから優れている)」etc…

もちろん、ルックスだけで判断する人はいます。

見た目が9割という言葉もあります。

人間の五感の中で視覚情報が特に大きな割合で、人に情報を与えるから、その傾向は事実としてあります。

ただ。

「太っているから、じぶんはダメだ」という自己否定は、否定させてください。

じぶんに自信が持てないとか、不安感が拭えないとか、不足感にさいなまれているとか、自己肯定感の欠如に「太っている・痩せている」は関係ありません。

絶対はないので、100%そうではないのですが、自己肯定感の欠如は別の、もっと複雑な部分が影響している場合が多いです。

仮にビッグサイズであっても幸福度や人生の充実度も高い人もいれば、逆に誰もが憧れるような体型、ルックスを持っていても実は人の目が気になってしょうがないとか、自分にはまだ足りないものがある、と心を揺らがせている人もいます。

前回の記事にも書きましたが、私自身、痩せたとしても不足感しかなく、まだまだダメだ、と自己否定は止まらず心身は見事に疲弊していました。

当時の私に必要だったのは、ダイエットの知識や方法などのテクニックではなく、どんな思考パターンで生き、起きた出来事に対してどのように反応しているか?というマインドセットを知り、実践していくことでした。

具体的には、街中で攻めたファッションをしている女性を見かけて心がざわついたら、「なぜ自分はざわついているのか」と考えを巡らせたり、起きた出来事に対する反応や解釈がポジティブになりがちなのか、ネガティブになりがちなのか、と傾向を把握したり。

ダイエットの知識やテクニックなどの「外側」追い求めたところで、根本のケアが必要だった「内側」の自己肯定感や自己受容、自信といったものは全く向上しませんでした。

やっぱりマインドセット

自己探求・自己理解って、人生を通して終わりがないと思うのです。

年齢や人間関係、環境などによって、「じぶん」は変わっていきます。

変わっていくからこそ、「知らない間に変わっているじぶん」に気づいて、理解して、整えていく作業の繰り返し。

そういったマインドセットの方法だったり、考え方っていうのは、人によって出会い方が違いますよね。

私の場合はダイエットがそうだった経験があるので、今回、『ダイエットは究極の自己探求・自己理解のひとつ』として記事を書いてみました。

じぶんに気づいて、理解する。

そしてそれがあまり心地よくないものであれば、心地よく感じるように意識的に調整していく。

まさにマインドセットですよね。

ダイエットして痩せたからといって必ずしも自信がついたり、深い自己否定が解消されるわけではありません。

やはり、心や頭の中身の部分でも同じように「ダイエット」する必要があるのではないかと感じています。

そういう意味でも【ダイエットは究極の自己探求・自己理解のひとつ】と言えるのではないでしょうか。

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