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飲食店でお金を使うことの本質

僕がコーヒー豆の焙煎と卸しをお願いしているcafe de ryubanさんというお店があります。雑誌"珈琲時間"などにも掲載されていて、とっても美味しいコーヒー屋さんです。
カッピングやコーヒーの淹れ方教室など、コーヒーに関するセミナーもやっています。なので僕らみたいなコーヒーを淹れるのが仕事の人間に比べて、より高度なコーヒーを扱う専門家である、と言えます。

それで、先日僕もセミナーを受けてきました。

実は若い頃から内容が被っていたりする事もあるんですが繰り返し受けてます。

えっとこれ多分なんですけど、僕が「知りたいことがあって」ってお願いすれば教えてくれるはずなんです。わざわざお金を払ってセミナーを受講しなくても教えてくれると思うんです。

でも、それって意味ないですよね??


お金を使うという事はお金と対価の単純交換ではない


お金を使う、という行為があって、そこに宿るのは、信頼、応援、愛情です。
僕はコーヒーに関することであればcafe de ryubanさんを1番信頼しているし、自分が学生の頃から行っているので思い入れなんか半端ないし、そしてryubanさんが無くなったら困るのでお金を払って支援しています。
(もちろんryubanさんはお客様を沢山抱えているので僕一人がいなくなったところで経営になんの影響もありません。便宜上偉そうに書いてますがご容赦ください、、)

タダは信用を無くす行為

僕が欲しい知識があったとして、それがお金を介した交換のもとで手に入らないのであればその場合は、お伺いを立ててお時間を頂いてご指導頂く、というのはアリだと思います。
ただ、その情報に価格がつけられていて、販売しているのであれば、それを費用を払って買うべきだと思います。
本屋さんで本を一冊全部立ち読みして買わない、みたいなことかなぁと思いますけど、情報を労することなく無料で手に入れようとするのは野暮だなぁと思う。信頼も、愛情も、支援もそこにはない。
週刊誌みたいな、お金の流れがデザインされているものは別ですが。

(少年ジャンプなんかは立ち読みさせて単行本へ引っ張るやり方なのでああゆうのは立ち読みでも、正解)

今の時代、値段の低いモノやサービスは信用が薄く、敬遠される時代です。ゲイシャ種(超希少なコーヒー)のコーヒーが250ml120円だったらすごい疑わしくないですか?その商品自体も、その商品を販売している人も。モノには適正価格がある。


だから、無料でモノやサービスを入手したり販売する事は信用を無くすことに後々繋がっていく。

だっておかしいもの。

ファンクラブに入らないとファンではないのか

一時期ありましたよね、ファンクラブに入らないファンはファンじゃないのか!みたいな。ファンクラブに入ってる人は優遇されたり、受けれるサービスが増える。でも、同じファンなんだから待遇に差があるのが不公平だ!ということを言う人がいるんですね。お金がないからそもそもファンクラブに入れない、でもちゃんと応援してるんです、とか。

あの、、本当にすみません。これ、声を大にして言いたいんですけど

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