お店で過ごすことは豊かさの手段の一つに過ぎない
僕がこのマガジンの配信を始めたのは2018年の10月ですが、消費増税があったり、大雨や地震などの災害増加、首里城の火災、最近では感染症の感染拡大など、いろんなことがありました。
これだけのことが起こるとこれまでに僕が書いてきたことの内容で修正が必要になるものだとか、むしろ古くなり「使えず無意味になる」内容もあります。
特に今年に入ってからゲームの盤面そのものが変わってしまったのでそれまでのルールが通じず、今までのゲームでは最善手だったものがむしろ「悪手」で、1手で自軍の詰みに繋がったりします。
なので今までのルールがどんな土台のものであったのか?を理解できていないと全く対応できなくなったりするわけです。
飲食店でいうとなぜ経営が成立していたのか?ですね。
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さて。
今日はそんなルールの根底の話と言いますか、カフェという存在そのものについて改めて考えていきたいと思っています。
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サードプレイスのこと
僕が「カフェ」を作ろうと思ったのは20歳の時で、出来上がったのは26歳の頃です。今もそうだと思うのですが当時からカフェは
「サードプレイス」であると捉えられてきました。
自宅でも職場でもない第3の居場所ということですね。
僕自身、ゆっくり過ごしてもらえるその人の秘密基地のようなものとして捉えてきました。
建築家のクリストファー・アレグザンダーは(ストリート)カフェの存在理由について
「人びとが衆目のなかで合法的に腰をおろし、移りゆく世界をのんびり眺められる場所としての機能」
を挙げています。
つまり、カフェは都市空間に溶け込むという都市生活者の潜在的な願望を叶える場所であるという位置付けです。
アレグザンダーは繁盛する(ストリート)カフェの基本条件を挙げています。
1.地元の常連客と、その意識を共有するスタッフがコアを形成している。
2.オープンスペースと、それ以外の空間が別にあり、思い思いの流儀で時間を過ごせる。
3.アルコールメニューがあったとしても、朝でも夜でも出かけたくなる場所という意味でバーとは異なる。
広義な定義ではありますが、サードプレイス(特にカフェ)は、安心して寛げる自由な場所であるべきだということです。
さてさて。
サードプレイスとしてのカフェの正体は一体なんでしょうか。どこにどのようになぜ存在しているのか。果たしてその実態は。
2020年においてもこれまでのようにコーヒーを飲みながら読書や仕事をしたりする場所、サロン的な場所なのでしょうか。
こんな話があります。
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