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無邪気な自分さよなら(9周年に寄せて。無料記事)

一番最初に始めた店舗「JAMCAFE」が7月7日で9周年を迎えます。

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僕が26歳の時なのでお店はまだ9歳ですが僕自身は35歳という年齢になってしまい愕然とした感じになっております。
お店をやるなんていうのは特別なことではないので早くに始めてしまえばいいと常々思っていますが、お店を始めた後の人生が30年存在するのよりお店を始めた後の人生が50年存在した方が楽しいよね、と改めて思っています。

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お店がオープンしたのは2011年7月で、3月に東日本大震災がありました。所在地は仙台市内。
東京店舗を始めようとした2020年はコロナウイルスの感染拡大がありましたし開業のタイミングがとことん悪いようです。
(ちなみに2店舗目のお店も仙台市内でしたが、その時は子供が産まれる1ヶ月後にオープンを控えていました。)
それ以前にも消費増税による不況などもあった。
でも、自分の動きを振り戻そうとする正体不明の力にどれだけ抗えるか、でその後の成功は決まるので毎回歯を食いしばってなんとかやっています。

と、山と谷あり、いろんなことを乗り越えてやってきましたが10年続く飲食店は1割ですのでまぁ序盤戦はひとまずいい形で終了したのかなと思っています。

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前回も書きましたが僕は自分が負けるという保険をかけるのが嫌いです。
「小さい店を作って細々と…」「地域の方だけに愛されればそれでいい」というような草野球の打席に立ち続けるけれどプロの世界には出ないよ、というような世界や人には1ミリも興味がありません。

当時の僕は地元仙台にはなかったようなカフェを作る、そうすれば仙台のカフェの文化がひっくり返るぞ、と豪語していました。
要は「仙台にもすごい格好いいカフェができたよ!知ってる?」というムーブメントを想像したのです。
もちろんお店がオープンしたところで業界の地図に変動はなく、仙台のカフェ文化がひっくり返るどころか当時はまだ「意味のあるもの」と見なされていた食べログさんなどで評価によっては酷評され、こちらがひっくり返るということが何度もありました。

立ち上げて数年、売り上げは悪くなかった。でも僕は草野球がしたいわけじゃなくてメジャーリーグの打席に立ちたかった。
変わらずに仙台のカフェを変えたかったし、それを諦めるつもりもありませんでした。
身の丈に合わない「自分が勝つ」という賭けをしたのです。実力も技術も知恵も何もなく志だけはあった。
食べてはいけるけどやっぱりたくさんのお客様に来て欲しかったんです。忙しくないお店なんて「必要とされていない」のだからそんな現状では納得できなかった。

だからこそどういう風に変化を起こし、自分に革命をもたらせばより良い結果が得られるのか?を考え抜くことができた。
「売り上げがなくてもいいから細々と」なんてやっていたら今頃10年もたない9割の飲食店の仲間入りを果たしていたと思います。

「自分が負けるほうに賭ける」と本当に負けるんですね。

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そこからは本当に勉強と実践、結果の検証の繰り返しでした。
コーヒーやエスプレッソなどの技術はもちろん、マーケティングに関わることなどいろんなセミナーに出かけ、本もたくさん読んだし、いろんなお店に勉強しにいった。地元ではそういう類のものが当時はなく、毎回東京に出かけていっては芸の肥やしにした。

ゲーム好きなのもの手伝い、なるほどこれはこのタイミングでこうやったらこういう結果に繋がるのか、という検証結果の膨大な積み重ねによる生きたデータが自分の手元にたくさん集まっていて自分の中に「カフェ経営の攻略本」のようなものが徐々に完成していきました。

これはこういう結果をもたらす、というものを肌感覚で理解して実践している方もいると思いますが僕は結構「なんでなんで?」タイプなので必ずなぜそうなったのか?までを体系的に分析(推論の範疇であっても)するので自分の手元にある攻略法は「意味のあるもの」だと自負しています。

土地が変わるとどうなるのか?っていうのも知りたくて東京出店をしようとしていましたがコロナウイルスによって一時中断中…

お店が変化していく中には切り捨てるという作業がつきものです。完全禁煙にする、団体さんは断る、子供は入れないなど、当時はまだ「え?」と思われるようなことをどんどんやっていきました。
お客さんは減るかもしれないけれど自分が勝負するならやるべき意味があるものを、と誓っていました。悩む事もあるけれど。
そうじゃなければ20代半ばの「仙台のカフェをひっくり返す」というよく分からない野心を抱えていた自分に失礼だと思うからです。

#ひっくり返すとは

そしてそういうお客様の絶対数が減るような取り組みを続けてもお客さんは減らなかった。絶対数は増えていったのです。

今現在では本当に一部の人かもしれないけれど仕事でいろんなところへ行くと「あ…!」と気づいてもらったりポジティブに捉えてくれる人も多くなった。お店の認知度も高まり、やり方なども注目されるようになってきた。もちろん東北の、しかもカフェという世界の括りでですが。
少しだけ昔の自分の野心に近づけるようになったのです。
「自分の勝ち」に賭けたから。まだまだ草野球だけどこうやって少しづつ高みに登っていくから楽しいと感じる。これもやっぱりゲーム要素ですよね。

それまでは本当にくる日もくる日も暇な時間があり、いつも掃除をしていた。
売り上げに悩み、ストレスからくる心臓の痛みに耐えることができずに病院で精密検査も受けた。そのくらい売り上げは安定しなかったしお客様は来なかった。

店の前は歩いているのに誰もお店に入ってこない。

「うちの店は外からは見えないのでは?」

本当にそう思うことさえあった。この恐怖は正直誰も分からないでしょう。経営者にしか分からない。
誰かが営業妨害しているのでは、と思い入り口を見にいく事もありましたね。
今思えばかなりやばい精神状況だったと思うけれど。笑
ビューティフルマインドのジョンナッシュ状態です。

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でも、ある時に、僕がバットを振り続けている試合の観客が増えてきた。バットを振り続けているうちに打球が遠くまで飛ぶようになっていったのですね。それで「あ、バットを振っている」と気づいてくれる人が増えた。

ある時を境にステージが変わった。

お客様が以前よりも安定してきてくれるようになった。もちろん客数が少ない時はあるけれど目標を切ることはなくなった。そこからは逆に「売り上げの目標」という「会社のようなこと」を僕は言い出した。

最初は仙台のカフェ文化に一石を投じるのが目標だったのに、いつからか一端の会社員のようなことを言い出したのだ。

きっとその時に僕は終わってしまったのだろう。

純粋な「カフェが好きでたまらない少年」から「売り上げの目標を立てるような社長」になったのです。
その2つに矛盾があるわけではないけれど無邪気だった自分は何処かへ消え去ってしまったのです。

でも、そういうことを繰り返してこそ成長と拡大はある。

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9周年を迎える今は、またゼロからのスタートになってしまいました。従業員もいないし会社の資金はコロナウイルスによって常に脅かされている。

でも僕自身はどこか昔に戻ったようで楽しんでいたりする。正解のない世界に身を投じ、自分自身の目標やそのズレと闘い、常に自分に疑問を投げかけている。

もちろん完全なゼロではない。僕のやることなすことを応援してくれるお客様がたくさんいらっしゃいます。このマガジンを毎月読んでくれている読者さんもいますしね。

昔の自分と決別する気はない。あれはあれでよかった。消えたけどなくなってはない。
日々細胞は生まれ変わるが、細胞変化によるこれまでの自然淘汰の総意が今の自分なのです。

来年は10周年。

また次のステージがやってくるのです。

自分はどんどん新しくなっていくと思うけど、過去にいた自分の影も忘れることなく、胸に抱いてまたやっていこうと思います。

まだまだ「仙台のカフェに新しさを」という野心の火は消えていない。

まだこのゲームは終わりません。東京編も残っていますしね。


それでは、引き続きお体には気をつけて。お元気にお過ごしください。本当にいつもありがとうございます!


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最後に(記事の最後ってことね)お願いがあります。

普段このマガジンは有料記事になっていて、そのマガジン7月第一弾用で書き進めていたのが今回の記事でした。でもすごいパーソナルなことでもあるけど読んでくれる人が増えて「カフェを経営すること」について少しでも何か感じてもらえたらな、と思い今回は無料にしてみました。
(普段のマガジンの読者さんはそういうことか、と優しい目で見守っていただけると嬉しいです)

ですので面白かったよ、という人は記事をシェアしたり、友達に教えてあげたり、もしくは1ヶ月だけでもいいのでご購読いただけると本当に嬉しいです。

(9周年ですしね!)

ぜひよろしくお願いします!

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