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ニュアンスに安心するな

先日、目黒の中華屋さんにお昼ご飯を食べにいった。ビールを飲むつもりでもいたのでお昼ご飯ではないかもしれないが、タイミング的にはお昼ご飯である。

いかにも古い街中華といったお店のようだった。
11時半オープンという食べログなどのインフォメーション通りにお店が開いているか不安だったので行く前に電話で確認をした。

「今日は営業されていますか?」

こういうお店がググった先の情報で動いていた試しがない。

「お昼からやってますよ」

休みではないようでほっと胸を撫で下ろした矢先に「お昼から」が何時なのか…と不安がよぎる。
その確認までしなかったのを後悔したがさすがに2回電話をする勇気はなかった。自分も飲食店をやっているのでオープン前に電話がかかってくることの煩わしさを嫌というほど知っている。

バスを降り、目黒のアンジュールやkabiを横目に炎天下の中歩く。

少し不便な場所にあり12時をまたぐところだった。遅くなってしまった、もう混んでしまっただろうか。

その不安を打ち消すように店主さんが暖簾をちょうど出しているところだった。

「やっぱりね」

お昼から、は12時を指すのだ。

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炒飯とラーメンと瓶ビールを頼んだ。瓶ビールは昔ながらの冷蔵庫でこっちで勝手に取り出すシステムのようだった。

引き出し式のコカコーラの冷蔵庫だ。栓抜きとグラスだけ受け取る。

「すごい冷えているから栓抜く時に気をつけてね」

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普通に栓が抜けて拍子抜けだったけど、少しアトラクション感覚で楽しい。

「へぇ、わざわざ注文しないでもいいのかな。こっちで勝手に冷蔵庫から取ってテーブルに並んだ空き瓶の数でお会計するのかな?」と言ったら妻に
「さすがに違うでしょ〜」と言われた。

エアコンは1台、ほとんど効いていない。
汗だくになって食べたが悪くなかった。それはそれでいいと思えた。気持ちよくすらあった。
換気扇は回っていた。フードという火の元から煙を吸い上げる装置とステンレスの壁面は油で真っ黒だった。

ご主人はもうおじいちゃんと言われるようなジャンルの体型、服装、髪型をしていた。おでこにはなぜか絆創膏が貼ってある。
白髪であるというところが救いであるように思えた。クリストファーロイド演じるバック・トゥ・ザ・フューチャーのドクのように可愛らしくどこか気品が感じられた。

正直、期待していなかった味はとても美味しかった。

誰もお客さんは来なかった。
いわゆるランチタイムであったが人の気配はない。盆の入りということもあり街自体人の気配はなかった。それを差し引いてもお客さんの数は少ない。
テレビからは甲子園が流れている。


僕らが食べ終わる頃に常連さん(もしくは店主さんの昔ながらの友達)と思わしき人たちがやってきた。
餃子を頼んでコカコーラの冷蔵庫からビールを勝手に取り出している。

「やっぱりね」

連れの方はオムライスの大盛りを頼んでいた。

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さて帰ろうということで開いた食器をカウンターに下げた。勝手なように思えたがそのくらいは僕らのような若造でも想像できる。そうすべきなのだ、と。

テーブルも拭きたかったがふきんは見当たらない。お金のやりとりをしていると先ほどの常連さんがどこからかふきんを持ってきてテーブルを拭いてくれた。

「あ、ありがとうございます」「いえいえ」

そうか、このお店のルールはみんなで店を守ることなのか。

このお店の虜に僕らはなったのだ。


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この世にあるお店のほとんどは資金があれば誰にでも作れてしまう。99パーセントの店は「パクれる」のだ。
だが稀に絶対コピーできないお店がある。
それが「歴史」のある店。
そのご主人の皺だったり、真っ黒な換気扇、効かないエアコン、そして「お店を守ろうとするいろんな人の想い」、そういったものは絶対盗ることができない。


人はニュアンスを感じ取ると
「それがまるで自分のものになったかのような錯覚」
に陥る。
ニュアンスは最も再現性のない感覚だと思っていて「正解を導くこと」よりもはるかに難しい。
正解というのは例えば僕らのような飲食店であれば「売り上げを上げる」だったりする。
マーケティングが「いいものだと錯覚させること(思い込ませること)」っていうシンプルなものだというのはみんなが分かっている。
みんなが方程式を知っている。でもみんな解を導けない。いいものだと錯覚させるという正解以上に「そもそもどうやってやるの?」に存在するニュアンスが再現できないのだ。

それでも僕らはそこにふんわり存在するニュアンスに安心したりする。得体はしれないけど、分かったつもりになれるからだ。

でも「なんとなくできること」なんてこの世に一つも存在しない。
”分かったつもりになる”って本当に笑える怖い話だ。


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早く歳をとってそういうお店をやりたい。でも冒頭の中華屋さんと同じにはなれない。
僕が歳をとった時そのお店はまたさらに歳を重ねていてまた別のニュアンスによって守られているのだろう。

それが「歴史」なのだ。

今度は瓶ビールと餃子と目玉焼きを頼もう。


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