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情報の洪水を泳ぐ、クリティカル・シンキング

Yukiです。

日々生きていると本当に色んな情報に触れるようになりました。

SNS、ブログ、動画、メール、インターネット、テレビ、新聞、ラジオ……

様々な情報源からの情報の量が増加するにつれ、人々は単にそれらを消費するだけでなく、編集者や情報収集者などとしても関与するようになってきています。

私もその1人としてこうしてnoteで投稿しているわけですが。

このような状態は情報過多、情報オーバーロード、情報の洪水なんて言われたりします。この概念が一般化されたのは実は最近ではなく、1970年のアルビン・トフラー「未来の衝撃」からと言われています。今から50年も前から既に現在の情報過多の概念があったなんて驚きですよね。

情報過多の懸念として主に以下の点が指摘されています。

- 生産性や意思決定に悪影響を与える可能性
- 有益な情報が不正確な情報や誤った情報や主張に汚染される可能性

日々を振り返ってどうでしょう。

冷静に考えれば特に自分にとって重要じゃないゴシップ記事に時間を費やしてしまった経験、誰しもあるのではないのでしょうか。

また、自分の政治的や金銭的な利益のために、根拠の不十分な情報、思い込みに基づく主張を繰り返したり、無用に不安を煽るような手法も広がってきているのも目にします。フェイクニュースも話題になりましたね。

情報過多への対処としては、自分にインプットされる情報のノイズを減らすような取り組みが各サービス提供者によってなされてはいます。Twitterのトップツイートの優先表示、Gmailでは受信トレイのカテゴリ分けでメールの通知設定も分けられたり、ニュースは各種キュレーションメディアで選別され、広告はGoogleにより関連性の高いものが表示されたり。

これらにより無秩序に自分に情報が洪水のように入ってくることを少しは防ぎ、生産性の低下にはある程度対処できるかもしれません。

しかし、入ってきた情報・主張の正確か判断すること、それに基づいて意思決定することはそのようなサービスに頼っていてはできません。

今日は自分でそれらを判断するための、「クリティカル・シンキング / Critical Thinking、批判的思考」をシェアさせて下さい。

クリティカル・シンキングとは情報・主張の前提を客観的に検証し、最適解に辿りたくための思考方法です。

説明のためにまず、何らかの「主張」Bとそれを支える「根拠・データ」Aの構造をシンプルにご紹介します。

A→B(AならばB)
A:証拠・データ
→:推論
B:主張

主張Bの正確さ・確からしさを確認する上で見るべきポイントは以下2点です。

- 証拠・データAが客観的で事実に近いか
- 推論(→)がもっともらしい推論か

まずは、「1. 証拠・データAが客観的で事実に近いか」について説明します。

例えば、証拠が「誰かの証言」だけだとどうでしょう。記憶違い、思い込み、恣意的な虚偽の証言、聞き間違いなどの可能性もありますね。

複数の情報ソースや第三者の記録などの裏付けの証拠も取らないと本当に正しいかは断言できません。

世の中の主張にはこの証拠・データの部分が実は思い込みであることが非常に多いんです。

ベストセラーとなった『FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』(ハンス・ロスリング, オーラ・ロスリング, 等著)においても、このことは以下のように指摘されていました。

専門家であっても次のような「ドラマチックすぎる世界の見方」を誤った先入観として持っている人が大半である。
- 世界では戦争、暴力、自然災害、人災、腐敗が絶えず、どんどん物騒になっている。
- 金持ちはより一層金持ちになり、貧乏人はより一層貧乏になり、貧困は増え続ける一方だ。
実際は、「事実に基づく世界の見方」をすれば、時を重ねるごとに少しずつ世界は良くなっており、人類が大いなる進歩を遂げている。
- 戦争、紛争、自然災害の犠牲者は減り続けている
- 今や世界の大部分の人は中間所得層に属しており、極度の貧困状態とはかけ離れている。

まずは事実を知ることが、主張の正しさを見る上で大事ですね。全てを事実ベースまで根拠を当たることは容易ではないですが、商社で働いていても、まずは海外であっても現場現物を自分の目で見ることは大切にしています。

次に、「2. 推論(→)がもっともらしい推論か」について。
以下がよくある誤った推論です。

- 同時に起こった2つの事象を原因、結果の関係と思い、他のケースにも当てはめる(相関関係と因果関係の誤認)
- 自分にのみ当てはまることを全員に当てはめるなど過度の一般化(帰納法による推論だが前提が異なるケース)
- ほとんどのケースはこうなるから、と個別に特殊な事情を見落としている(演繹法による推論だが前提が異なるケース)

他にも推論の論理的な間違いの表現の仕方、いろいろありますが、上記3つの類型かと思います。

事実に基づいて話していても、こういった誤った推論に基づいた主張になっていないか、一旦立ち止まって考えてみて下さい。

日々の「情報の洪水」の中でTwitter、YouTubeなどで流れる情報を見た際にリツイート、共有をする前に「根拠は?」「ソースはどこ?」「その推論、前提あってる?」など考えてみる癖をつけるところから始めてはいかがでしょうか。

情報の洪水の中でも溺れず泳ぎ切れるようになっていきたいですね。

尚、私も発信する際には証拠・データと推論の客観性、正確性、妥当性には気をつけてはいますが、何か誤りあれば指摘よろしくお願いします。

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