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ネガティブな出来事は望みへのプロセス

目の前で起こる出来事や状況って、
私に今、【この感情】を感じさせるために
起こった出来事、もしくは状況。

だから、その起こった出来事そのものに
意味はない。

その出来事が起こった目的
もとい、その出来事を起こした目的は
今、私に【この感情】を感じさせたかったから。
それ以上でもそれ以下でもない。

もし仮に、他の出来事で
寸分も狂いもなく
全ッく同じ感情を私に感じさせることが
出来たのなら、他の出来事でも良かった。

そのくらい、この出来事自体に意味は
ない。

私(意識)が私(エゴ)に今、【この唯一無二の感情】を感じさせたかった。

だから、本来であれば私はこの感情を
素直に感じて、次々と繰り広げられる世界の展開を楽しみに、ゆったり呼吸して
生きているだけでいい。

でも、私は【この唯一無二の感情】がネガティブな感情だと、特に感じることを怖がったり、駄目だと思ったり、恥ずかしく思ったりする。
つまり、素直に感情を感じることに対して【抵抗】を起こしてしまう。

だから私は本当は起こった出来事や
ネガティブな感情を感じることが
嫌なんじゃなくて、
ネガティブな感情を感じることを
【怖がる自分の感覚】、この【抵抗感】が嫌で耐えられないわけです。

だから、この感覚を変えたい!
この抵抗感をなくしたい!

だって、この感覚が変われば
ネガティブな感情を感じたとて、
怖さを感じないから嫌な気持ちを
感じずにいられる。
つまり、嫌な気持ちを感じていなければ
HAPPYなわけ。

じゃあ、この感覚をどう変えていくのかと
いうプロセス。

①ネガティブな出来事が起こる。

②ネガティブな感情が沸き起こる。

③『ムカつく…悲しい…恥ずかしい…』等の沸き起こった感情を感じてしまうだけ感じる。
(どんなに酷いことだって感じていい)


④ふと我に返った間に、思い出す。
『でも、この出来事って【この感情】を感じるために起こった出来事だったんだよな。っということは今は【この感情】を感じることが“正解”だったんだ。』っと。

⑤【この感情】を感じたことで湧いて出て来た望みは何かを考えてみる。
(なぜなら、光と闇は表裏一体だから。
どちらか一つでは存在が出来ないものだから。つまりネガティブが存在しているということはすでにポジティブが存在しているということ。)

例えば今日の私の話でいうと
とてもネガティブ思考で自分の意見を押し付けてくる人との会話ですごくイライラした。
だから私が【この感情】を感じたことで
湧いて出て来た望みは、

『金輪際、ネガティブ思考で自分の意見を押し付けてくる人と関わり合いになりたくない』でした。

確かにその望みが叶うなら本望です。
一生、そんな人が私の目の前に現れなければ私はHAPPYだと思う。

だけど、間違って現れてしまったら 
私はHAPPYではなくなってしまう。

“外の状況で自分の幸せが左右されない。
それが本当の幸せの尺度。”

それが宇宙の法則。

【私の観念が変われば現実は変わる】
であって、
【現実が変われば私の観念は変わる】ではないのです。

なので、この望みは
後者に当てはまってしまうから
宇宙は私の望みを叶えることが出来ません。

だから、現実を変える望み方ではなく、
私の観念を変える望み方に変えます。

じゃあ観念を変える望み方とは
どんな望み方かというと、

『ネガティブ思考で自分の意見を押し付けてくる人が私の目の前に現れようと現れまいと、私の心は1ミリも揺るがない。』
そんな風に感じたい。

それが私の望みです。

そんな風に感じることが出来れば
現実が、事実がどうであれ
私の心の平安は守られます。

⑥今まで経験してきた感覚の中で、
その変わりたい感覚に似たものがないかを探す。

私で言ったら例えば、
知り合いが
『今日、こんな変な人と関わっちゃってね、すごい気分悪くなった…最悪。』
と私に愚痴ってきたとします。
そしたら私は、
『もう、そんなん気にすることなんて
一つもない。勝手に怒るなりなんなりさせとけ〜。そんなことを考える時間が勿体ない。だから何も気に病むことはない。』
ってその人に言う。
その時の感覚って、
その人の人生にとって心底関係ない、
心底どうでもいい、
1秒でもそんなことに時間を割くのが
勿体ない事柄。
だからそんなことで気に病まなくて大丈夫って心の底から思ってる。
1ミリも心がザワついてない感覚。

自分の身にその出来事が起きた時でも
その人に対して思うこの感覚で自分に対してもいられたらいいなっと思いました。

⑦見つけられたらその感覚を思い出して、
今の私と同期させる。

…以上、これが一連のプロセスになります。


すごいですよね、
【この感情】を感じていなければ
この望みは生まれなかった。
この望みを生みたかったから
【この感情】を感じさせたかった。

だから”私“はこのシナリオを
描いたわけです。

この望みを叶えるために。

だから、いうなれば
ネガティブな出来事って
自分の望みを知るためのもの。

むしろ、叶えるためのものと言ってもいい。
なぜなら、知らなければ叶えることなんて出来ないから。

間違いなく、
ネガティブな出来事は望みへのプロセス。

この解釈はバシャールとハッピー理論の
ドッキングですが、
自分的にかなり腑に落とせた解釈と
なりました。
とっても嬉しい。

最終的に、
お金が有ろうと無かろうと
私は幸せ。
この人が居ようと居まいと
私は幸せ。
この人が私のことを好きだろうと
嫌いだろうと私はこの人が好き。
肌が荒れてようが荒れてなかろうと
私は可愛くて、素敵で、HAPPY。

私は絶対に大丈夫。
私の人生は常に順調に進んでる。
これからどんなことが起こるのかな
楽しみだな、ワクワク♪

どんなにネガティブと言われることが
起こったとしてもそんな風に
感じられるようになったら
最強!!!

それが目指す最終形態!

だから、ホップ・ステップ・ジャンプ。
私も訓練する!

ここまで読んで下さった方、
長々とお付き合い頂きありがとう
ございます♡

うまく書けたかわからないけど、
是非トライしてみて下さい!
そして、一緒に真理を探求しましょう♡!

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