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アイデンティティは自分以外から構成される

文章の最後に、読んでくれてありがとう、という気持ちをきちんと書く。

私のオリジナルか、誰かの二番煎じか、そんなのは覚えていないけど、これは私のアイデンティティ。

熟成させ過ぎた下書きにこの記事があった。

最近色々考え方が変わっているが、この感覚は変わっていない。

だから記録として残しておきたい。

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私は私の中で「普通」の人間だ。

私以外私じゃないの、って歌をゲスの極み乙女。が歌っていたけど、本当にその通りだと思う。

私以外はみんな「普通」じゃない。

タイトルにもあるアイデンティティとは、「自己を自己として確信する自我の統一を持っていること」らしい。

その自我は、自分以外の他者と自分を比べることによって生まれる。

だって、もしこの世に私しかいないのであれば、私がどういう人間かなんてわからない。

私は左手がないけれど、それは右手と左手が存在していることがマジョリティであるこの世界に生きているから、「私は左手がない」という思考になる。

そう、私を私たらしめるのは、私のアイデンティティとは、私以外によって構成されるのだ。

私が私であるために他者が必要なんて面白いよなぁ。

さてさて、話が逸れた、いや逸れてないのか?笑

私が最後に感謝を書くということは、本心、だけどそれだけじゃなくて、そういう文章を見た時に心を動かされたから始めたことだった。

そうでない文章が多い中、最後に感謝される文章を読むと、心が温まる気がした。

そこから、自分が書きたい文章は誰かの心を温める文章なのかもしれないと思った。

少しでも、せめて文章の中だけでも、そんな人間になりたい。

まぁ、そういう文章ばっかり書けるわけじゃないけど。

***

最後の感謝の文は、私のアイデンティティだ。

他者への感謝をアイデンティティだとすると、私という存在は、他者への貢献があるからこそ私であるという構図になる。

アイデンティティは自分だけのものではなく、他者への貢献という社会的なものになる。

物事を抽象的にすると、人間どこかで思想がぶつかる。そんな話を最近した。

アイデンティティは社会的なものということは、すなわち、自分が自分であるためには社会が必要だということだ。

人間は社会的な動物だなんて、本当は人間が勝手に考えているんだと思っていた。

でもやっとわかった。人間は社会的な動物だった。

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こういった複雑な文章や考え方が好きだ。

誰の役にも立たない、考えたって仕方ない、そう言われるようなことが好きだ。

こんな乱雑な文章が、誰かの目に止まるかもしれない。

これを最後まで読んだあなた。

あなたと出会えて良かった。

出会ってくれてありがとう。

それだけ。それだけなんだよ。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。 あなたとの出会いに感謝です。 もしサポートしてくださったら、あなたの記事もご紹介させていただきます😊