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思い出ばなし①~イギリス留学~

根拠のない自信があったのかどうか、20才の私は英語が出来ないのによくもまぁ留学に至ったもんだな、と思います。その時の私の英語力は英検準2級で「何とかなる」と思い込み、イギリスに行けることが嬉しくて嬉しくて、言葉や生活の不安など想像もしていませんでした。

良くも悪くも20年前はインターネットが身近に無く、不安材料を目にすることがなかったのかもしれません。単に世間知らず、、ですね。

留学というより、今思えばバックパッカーみたいなものです。20年以上前、ふと新聞の片隅にのっていた記事を見つけて「これだ!やってみたい!」とすぐに飛びつきました。

世界中の国でボランティアをしながら生活する、、、みたいな。
その間、一切収入は無しですが、不安はこれっぽっちもなく「やりたい!」と。両親もよく行かせてくれたなぁと思います。

ボランティア留学を決めたのは短大2年生、まわりは就職活動、4年制大学への編入のため勉学に励んだりしていました。わたしは海外生活をするために、せっせとアルバイトに精を出しておりました。

両親からも費用を出してもらいました。留学斡旋会社を通して申し込みをしておりましたので、その手数料を。今思えば、その会社は儲けていたなぁ。手数料のほとんどがその会社へ、ボランティアとして私を受け入れてくれた小学校には何もお金は払われていなかったのです。私を受け入れてくれて、毎日のランチもいただいていたのに!それは後から知ったことだったのですが。。。

だけどその会社のおかげで、今もずっとイギリスで繋がっている人たちに会えたのですから、結果オーライです。

生意気いって、勝手に留学を決めて、費用も出してくれて、情報も少ない土地へ、両親はよく私を許してくれたな、、、と感謝しかありません。
ただ当時の私はきちんと感謝をしていなかった、、、なんて生意気な娘だったろうと思います。

ボランティア留学のために、一応、筆記試験と面接(英語で)がありました。合格をもらい(応募すれば誰でも合格できたのかもしれない。。。)斡旋会社がボランティア先、ホームステイ先を見つけてくれました。

イングランド東部にあるEssex(エセックス)のChelmsford(チェルムスフォード)という町にある、私立小学校の先生の補助役として派遣されることになりました。

小学校の子供たち喜んでくれるかなぁと想像を膨らませて、イギリスへ出発する前は色々と手作りをしました。姉が幼稚園の先生だったこともあり、手伝ってもらいながら、紙芝居やパペット人形で「ももたろう」と「はなさがじいさん」を手作りしました。
日本らしい風景も沢山写真に撮り、説明書きをして、スケッチブックにまとめました。
小学校の子供たちへのお土産に、ピカチュウの鉛筆もそろえて、折り紙も用意しました。

ワクワクしながら、楽しみでしょうがない、そんな留学前の準備でした。
長くなりましたので一旦閉じます。ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


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