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「10分未来のメッセージ」 5.トロイメライの惨劇

「10分未来のメッセージ」これまでのお話……


 百貨店の警備員、朝土永汰は、セミに怯える女性客に呼び掛けられたのがきっかけで、「10分後の声がふと聞こえてくる」という己の能力を悟り、警備員としての使命を改めて認識する。
 そんな永汰の元に迷い込んで来た可愛いインコ。
 見つかった飼い主は、彼がほのかな恋心を抱き始めていた「セミの君」だった……。


5.トロイメライの惨劇


 その日は早番だったので、彼女には少しお待ち頂き、家までインコを引き取りに来てもらうことにした。

「うわっ! かっわいいねえ」

 サービスカウンターの絹江さんとは駅が一緒のご近所どうしだったので、お目付け役として付き添っていただいた。オレ達の間に──警備員とお客さんである彼女との間に──、そこはかとない何かがあるのを、ベテランならではの鋭い女の勘で敏感に察している気配。

「本当に、ふしぎなことです!」
 何も知らない当のインコは、お客さんにも愛嬌を振りまくお行儀の良さ。

「フランツ? 探したわよ。さあ、おうちに帰りましょうね」
「フランツ?」
「オスだったんかいな!」

「フランツ・リストのフランツ。わたし、リストのピアノ曲が好きで、尊敬してるので」

 彼女は早川深咲さんといって、自宅でピアノの先生をしているとのことだった。飼っている小鳥が音楽的なわけだ。

「リストの〈愛の夢〉、あたしも好きだわあ」
 と、絹江さんは鼻歌。

「きゃっ!」
 深咲さんがケージに添えた手を引っ込めた。

「大丈夫ですか?」
 指を突かれたようだ。こんなこと、初めてだ。きらちゃんが乱暴するなんて。

「こら、きらちゃん! いや、フ、フランツくん」

「忘れちゃったみたいですね。わたしのこと」

「鳥頭って言うくらいだからねえ」
 明るい調子で絹江さんが慰める。彼女がムードメイカーで助かった。

「フランツ、お別れだよ」
 オレはケージを持ち上げた。
「どうぞケージごとお持ち下さい」

 しかしオカメインコのケージは結構な大きさだし、かなりの重さ。その上フランツくんとやら、今になってお客さんに興奮したのかキーキー、キャーキャー騒ぎ立て続けている。

「このまま電車には乗せられないか」

「あたしが車で送ってったげるよ」

 絹江さんの提案に、深咲さんは安堵の表情を浮かべたが、インコのほうはそれどころではなさそうだ。

「キョエー! キョエー! ギャーッ!」

「フランツ!」
 深咲さんが声に凄味をきかせ、慣れた様子で叱りつけるが、フランツくんは余計に大暴れするばかり。
「だめだわ。オカメパニックね」

「オカメパニック?」

「時々、なるんです。環境が変わったり、何かに驚いたりすると」

 絹江さんが助け船。「子守唄でも、歌うかね」

「このピアノ、弾いてみていいですか?」
 深咲さんが遠慮がちにピアノの蓋に手をかけた。

「どうぞ。アップライトでよろしければ、ぜひ」

 静かで美しい旋律が流れ出す。クラシックともポピュラーとも受け取れそうな、取り止めのない、聞いたこともない音楽だが、鳥だけでなく、我が身も心も洗われるようだった。

「大人しくなった」
 絹江さんもうっとり。

「このままそっと連れて行けるかな?」
「そうですね」

「また、パニックらないかねえ?」案ずる絹江さん。

「どうでしょう」
 深咲さんも少々自信なさげ。
「でも、これ以上ご迷惑をかけるわけには」

「永ちゃん、あんたピアノ習いたいって言ってたじゃないか」
 絹江さんが素晴らしい提案を持ちかけた。
「こういうのはどう? きらちゃんがすっかり慣れるまで、早川深咲先生に定期的にピアノを教えに来ていただくってのは?」

 絹江さんは恋のキューピッドだ。

「ピアノ、されたいんですか?」
「独身男性の1人暮らしに普通ピアノなんてあるかいな。彼はね、相当なもんだよ」
「絹江さん!」
 しかしオレは既にヤル気満々。
「趣味の範囲でも、よろしければ」
「では、レッスン料はいただかないことに」
「いえ、それはきちんと」

 2人の押し問答を絹江さんが軽くあしらう。
「さあ、何の曲から始めるの?」

 そりゃあ〈きらきら星変奏曲〉でしょう。モーツァルト大先生の。


「ペダルを深く踏み込みすぎないように」
「はい、先生」

 効果的な運指法、ペダリング、ブレスのタイミング、微妙なタッチの加減といった、専門家ならではの分かり易い指導は、やはり効率が良い。独学のアマチュアのオレにも、彼女は忍耐強く、丁寧に付き合ってくれた。

「ペダルに頼りすぎないで、レガートで、指でつなげて」
「はあい、先生」
「トゥィンクートゥィンクー リーローター♪」
 大喜びでフランツが調子を合わせる。
「ふふっ」
「いいぞ、フランツ」


 確かに絹江さんは恋のキューピッドだ。オレ達はこんなふうにレッスン中も、レッスン後も次第に打ち解けていき、

「良かったら、珈琲でも淹れますが」
「ありがとうございます」

 一緒にお茶を飲み、カフェに行き、たまには食事もする仲になっていった。

「インコを飼い始めたきっかけって?」

「うちの近くに高圧ガスの製造所があって、ここに越してきた時、思ったんです。ほら、炭坑にカナリアを連れて行けば、ガスが漏れてたらすぐに騒ぎだすって」

 騒ぎ出すんじゃなくて、死んじゃうんですよ、とは言えなかった。セミの件もあるし、彼女、心配性なんだな。

「あたしの嫌いな虫も捕まえてくれるんじゃないかと期待してたんですが、実際は臆病で役立たず。ちょっとガッカリしちゃった」

「そろそろ、連れて帰りますか?」
「そうですね。次のレッスン辺りで」
「ぼくのレッスンは続けていただける?」
「あなたが望むなら。あたしで良ければ」
「今度は〈トロイメライ〉を教わりたいな」

「だめよ」彼女がぴしゃりと言い放った。

 これは想定外の反応だった。

「あ、いえ。難しいから」

「シューマンの〈トロイメライ〉ですよ?」
 メロディーを口ずさんでみる。
「譜面は簡単そうに見えても、意外と難曲なんです」
「なら、がぜんヤル気が出ちゃうなあ!」

「生徒が自殺したんです」

 とんだ話題の転換に、オレは心底驚いた。

「あたし、母校の学生オーケストラの顧問をしていた時期があって、会計の生徒が合宿の費用を無くしてしまって……」

 オケのメンバー50人から3万円ずつ集めた150万。会計係のその生徒がピアノを習いにきた際、紛失したことを相談されたものの、自分は教師として生活するのがやっとで、力になってあげられなかったのだと、涙ながらに彼女は語った。

「その生徒さんが〈トロイメライ〉を?」
「うちで、レッスンの直後に」
 彼女はうなだれた。
「果物ナイフで、発作的に」
「きみの家で?」

 何てことだ。「それは……、悪かった」

 ロマンチックな曲でムードを演出し、そろそろ告白を……というオレのささやかな企みは、かえって逆効果となってしまった。

「ふと思い出してしまうと、もう夜も眠れなくて」

 そんな夜はオレがそばについててやれたら……、という思いはすぐさま却下。百貨店の警備員とお客さんとの関係には、充分配慮しなければならない。踏み込みすぎは禁物だ。

「あの、朝土さん? 実は……、ちょっとお願いがあるんですが」
 思いつめた表情で、彼女は切り出した。
「睡眠薬なんて、持ってらっしゃらない?」

 警備の当直でたまに夜勤が回ってくることもあり、早番、遅番と多少は不規則なものの、自分は眠れなくて困るなんてことはないのだ。眠れなきゃ眠れないで、様々な小説ネタにいくらでも想いを馳せていられるわけだし。
「そういう類の薬とは縁がなくて」

「そう……、ですよね」

 聞けば、事件の後しばらくは常用していたが、ここ数年は母親がいちいち心配するので医者にも行き辛いのだとか。

 百貨店の医務室に、自分自身は世話になったことなどないが、勤務で憂うつになったり、過労で倒れた社員、怪我や、具合の悪くなったお客様の為に、医師も常勤している。変則的なシフトのせいと訴えて睡眠薬を処方してもらうなど、たやすいことではないか。

「もしかしたら手に入るかも」
 浅はかながらも請け負ってしまう。
「だけど常用はしないで下さいよ」

「すみません、ありがとうございます」
 彼女は心底ありがたそうな瞳でこちらを見つめた。「弱いのだと、慣れてしまって効かないと、かえって逆効果なので、強めのだと助かるんですが」

 つまり、一気に眠りたいと医者に伝えればいいわけだ。明日にでも試してみるか。



 翌日の昼休み、オレはまんまと睡眠薬を入手した。     
 とりあえずは、ということで2週間分。後ろめたい思いがなくもなかったが、それは大爆発の衝撃でいっぺんに消しとんだ。

「うわっ!」

 いきなりの大音響に飛び退る。

 いや、この場ではない。どこか遠方から。ガスの大爆発のような? 
 しかしその爆発音に驚いていたのはどうやら自分だけ? 通行人の誰1人として、身を伏せたり戸惑う人はいなかった。

── つまり、10分後に大爆発が起こる? ──




6.「衝撃の爆発音」に続く……





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